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スペイン継承戦争とフランス絶対王政

こんにちは。
今日は17世紀のフランスの王権の盛衰について共有させて頂きます。


①スペイン継承戦争とフランス絶対王政のまとめ

17世紀中ごろ、フランスはルイ13世とルイ14世の治世に絶対王政の絶頂を迎えました。
16世紀末、ユグノー戦争の終結後、フランス王権は貴族の影響力を抑え、常備軍の設立や官僚制度を整備し、強固な中央集権体制を築きます。
また、重商主義を推進し、貿易を活性化することで国富を増大させました。

しかし、ルイ14世の度重なる戦争、特にスペイン継承戦争(1701年–1713年)はフランス財政に大きな負担を強い、結果的にはヨーロッパ覇権を手にすることは叶いませんでした。また、カトリック信仰を強く推進し、ユグノーを弾圧した政策は産業の衰退を招き、フランスの長期的な国力低下につながりました。

②学習に使用した教材

今回の『スペイン継承戦争とフランス絶対王政』を学習した教材は、ユーテラ世界史 / 佐藤幸夫先生のYoutubeです。当時のフランス・スペイン・神聖ローマ帝国の家系図を用いて、人物の相関関係を分かりやすく解説されています。ご興味のある方はぜひご参考にしてみてください。

③ルイ13世と宰相リシュリューによる親政

ルイ13世(在位:1610年–1643年)は宰相リシュリューを重用し、国内統治と国際的な影響力の向上を図りました。ユグノー派の軍事力を削ぎ、1629年にはラ・ロシェルの包囲戦でユグノーを屈服させました。また、ドイツ30年戦争(1618年–1648年)ではプロテスタント陣営を支援し、ハプスブルク家の力を削ぐことに成功します。

ドイツ30年戦争
神聖ローマ帝国内で生じたカトリックとプロテスタントの宗教争いを発端とした戦争です。この戦争が各国の神聖ローマ帝国内の領土争いに拡大し、
プロテスタント:スウェーデン・デンマーク・オランダ・フランス。
カトリック:ハプスブルク家(オーストリア・スペイン)、プロテスタント。
に分かれての戦争。最終的にプロテスタント側が勝利を収めます。

ドイツ30年戦争

④太陽王ルイ14世による絶対王政

ルイ14世(在位:1643年–1715年)即位期の始めは、宰相マザランと母:アンヌが摂政として政務を行っていました。彼が親政を開始すると財務大臣コルベールの重商主義を基に経済を発展させ、ヴェルサイユ宮殿を建設して貴族を宮廷に取り込むことで王権をさらに強化しました。彼の統治下でフランスはヨーロッパ随一の強国となりました。

ルイ13世の小城館を改築した造営初期のヴェルサイユ宮殿 (Pierre Patel画-ヴェルサイユ宮殿蔵)©Public Domain

コルベールの重商主義

  • 国内産業振興:毛織物やガラス製品の国営工場を設立。

  • 輸出促進と輸入制限:輸出品には奨励、輸入品には関税を課す政策。

  • 海外進出:インドでは東インド会社を設立し、北米ミシシッピ川流域や中米で植民地を拡大しました。黒人奴隷貿易による砂糖の輸入。

⑤ヨーロッパ諸外国との戦争

ルイ14世は領土拡大を目指し、南ネーデルラントやライン川流域を侵略しました。しかし、スペイン継承戦争(1701年–1713年)ではフランスとスペインの同盟がイギリス、神聖ローマ帝国、オランダ連合軍に敗北します。

17世紀ヨーロッパの戦争と内乱地図 ©世界の歴史まっぷ

スペイン継承戦争(1701年)

17世紀末ごろ、スペイン国王ハプスブルグ家は、カルロス2世が嗣子に恵まれず断絶の危機にありました。当時カルロス2世と血縁関係にあった二名が候補に挙がります。カルロス2世の義理の兄弟にあたるルイ14世の孫であるフィリップと義理の兄弟の子供にあたり、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世の息子カールです。

その後、フィリップがフェリペ2世としてスペイン国王に即位します。これがスペイン・ブルボン朝の始まりです。

この後、スペイン王国のブルボン家の王位就任に反対した神聖ローマ帝国・イギリス・オランダとフランス・スペイン連合国との戦争に発展します。

スペイン継承戦争の結果(ユトレヒト条約・1713年)

  • フェリペ5世のスペイン王位を認める条件で、フランスとスペインの合併を禁止。

  • イギリスはジブラルタル、ミノルカ島、黒人奴隷貿易の参入権(アシエント)を獲得。

  • 神聖ローマ帝国は南ネーデルラントを獲得。

⑥フランス絶対王政の衰退

ルイ14世は1685年にナントの王令を廃止し、ユグノーの信仰を禁止しました。この政策により、多くの商工業者層が国外に亡命し、フランスの産業力は大きく低下しました。さらに、度重なる戦争で国庫は破綻寸前となり、絶対王政は徐々にその勢いを失っていきます。

⑦スペイン継承戦争とフランス絶対王政のまとめ

ルイ14世の治世は、フランス絶対王政の最盛期を象徴する一方で、その衰退の始まりでもありました。度重なる戦争と宗教政策は、国内外でのフランスの立場を揺るがし、18世紀後半のフランス革命へとつながる要因となりました。

フランス絶対王政の歴史は、華やかさと困難の両方を示してくれます。あと100年もしないうちにフランス革命に発展する激動のフランスの歴史を知ることができるのが、楽しみです。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。また、ヨーロッパ史の学習を続けたいと思います。

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