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百年戦争


イギリス対フランス : 百年戦争で何が変わったのか?

世界史の学習がすっかり定着してきました。中世ヨーロッパ以降の世界史について語ります。今回は【百年戦争】について書きます。

世界史ユーテラ/百年戦争

私の世界史の学習は、ほぼ佐藤幸夫先生のYoutubeを基本としています。百年戦争については、この件に造詣の深い佐藤幸夫先生の動画をご覧ください。

① 百年戦争/時代背景

中世ヨーロッパの政治状況 : 

中世ヨーロッパでは、複雑な政治的、経済的要因が絡み合っていました。11世紀のノルマン征服以降、イングランド王はフランス国内に領土を持ち、両国間には緊張が生じていました。カペー朝がヴァロワ朝に交代する際、イングランド王エドワード3世がフランス王位を主張し、これが戦争の引き金となりました。

経済的要因 : 

イングランドは、フランドル地方の羊毛産業やガスコーニュ地方のぶどう産業を支配下に置きたいと考えており、これが戦争の一因となりました。


百年戦争当時の英仏関係: クレシーの戦い, ポワティエの戦い,アザンクールの戦い
©世界の歴史まっぷ

② 百年戦争の経過

  • 第一次(1337年 - 1360年)

イングランド王: エドワード3世、エドワード黒太子
フランス王位の継承権を主張し、多くの勝利を収めました。

フランス王: フィリップ6世、ジャン2世
フィリップ6世の治世に戦争が始まり、ジャン2世の治世にクレシーとポワティエで敗北しました。

  • 第二次(1369年 - 1389年)

イングランド王: エドワード3世(後期)、リチャード2世
リチャード2世の統治力不足が国内の混乱を招きました。

フランス王: シャルル5世
クレシーとポワティエで失った領土の一部を取り戻しました。

  • 第三次(1415年 - 1453年)

イングランド王: ヘンリー5世、ヘンリー6世

ヘンリー5世のアジャンクールの大勝利後、フランス北部を占領。イングランド=フランス二重王国ができる。(王位=ヘンリー6世)
しかし、ヘンリー5世の死後、イングランドは劣勢になります。この辺りからイングランドの優勢の雲行きが怪しくなります。

ここでヘンリー5世を描いた映画を紹介させて下さい。この映画を見たので、この記事を書こうと思った次第です。ヘンリー5世強すぎます❣

フランス王: シャルル6世、シャルル7世

ジャンヌ・ダルクの助けを借り、オルレアンやランスでイングランド軍を撃退。フランスが最終的に大陸を奪還しました。

⑤ 百年戦争間の重要な出来事


ブラックデス(ペスト):  
ヨーロッパ全土での人口減少と社会変革を引き起こしました。

兵器と戦術の変化 : 
長弓の導入や火器の発展により、戦争の様相が多様化しました。

徴税方法の変化 : 
シャルル5世が直接課税を開始、中世後半から軍費調達する動きが進みました。

農民の反乱:
フランスではジャックリーの乱、イングランドではワット・タイラーの乱が発生しました。いずれも税負担への不満から起こり、最終的には農民の解放が進みました。

⑥ 百年戦争後の両国の道筋


フランスの展望 : 

百年戦争初期、フランスは諸侯の独立性が高く、統一した防衛が困難でした。ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立が続き、特にブルゴーニュ派はイングランドと一時的に同盟を組むことでフランスの分裂を助長しました。

しかし、シャルル7世は王権を強化し、中央集権化を進めることで政治的安定を取り戻しました。これによりフランスは絶対王政の基盤を築き、その後イタリア戦争へと進んでいきます。

イングランドの展望 : 

ジャンヌ・ダルクの活躍でイングランドは多くの領地を失い、ヘンリー6世と貴族諸侯との争いが始まりました。この内紛は薔薇戦争へと発展し、イングランドの内政改革を促す契機となりました。

⑦結論


百年戦争はフランス国内の政治的対立を長期化させましたが、最終的には王権の強化と中央集権化を促進しました。イングランドもまた、この戦争を通じて内政改革を行い、新たな国際関係の展開に向かうこととなりました。

次回は,イングランド【ばら戦争】について書きたいと考えています。最後まで読んで頂いてありがとうございます。


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