【note創作大賞2024恋愛小説部門】君は僕のアンドロメダ③
次の日、ノックの音で目を覚ました。
机の上にある時計は10:00と表示していた。
目をこすって起き上がる。
ドアの向こう側には心配そうな西村さんの顔が見えた。
「姫宮さん体調はどうですか?」
「えっと…大丈夫です」
「頭の痛みも平気ですか?」
頭を縦に振りコクっと頷く。
西村さんは安堵した表情でよかったと呟いた。
西村さんがカーテンを開けて部屋にきらきらと光が差し込む。
窓の外は夜の闇なんてなかったかのように青く透き通っていた。
「では私は朝食とってきますね」
部屋から西村さんが出た後、図鑑のペルセウス座流星群のページを探す。
ペラペラと勢いよくページをめくっていく。
……?
紙が1枚ひらひらと膝の上に落ちた。
スケッチブックから乱暴に破かれていびつな形をしたその紙には不思議な絵が描かれていた。
全くの見覚えがない絵だった。
でもそれが私の絵であることは間違いなかった。
初めてお出かけをして星を見た山。
お母さんの赤い軽自動車。
数時間前に見たペルセウス座流星群。
人が4人。
ママと私。
私の足元にはこむぎ。
その横に知らない女の子と男の人。
知らないというよりも顔の部分が破いてあり”わからない”が正しかった。
私の中の確かな記憶と知らない記憶が混ざった絵。
私がまだ立てていたころの絵。
絵を見つめていると昨日と同じ類の頭痛が私を襲った。
また扉がコンコンと鳴り西村さんが入ってきた。
「すみません、温めるのに少し時間がかかってしまって。」
机に朝食が置かれる。
味噌のいいにおいがした。
「ありがとうございます。いただきます。」
白米を口へ次々と運ぶ。
吐き気で昨日の晩御飯はほとんど食べられなかったのでお腹が空いていた。
初めて病院に来てからごはんをおいしいと感じた。
白米を食べ終わり味噌汁へ手をかけた時、西村さんは口を開いた。
「姫宮さん、この絵って…?」
「…わからないです。図鑑に挟んであって。」
「そうですか…少しの間だけ預かってもですか?」
「えっ、はい。大丈夫ですよ。」
「ありがとうございます。」
西村さんの浮かべた笑顔の奥に動揺が見えた気がした。
西村さんはこの絵のことを何か知っているのだろうか。
口を開こうとしたその時、病棟の放送がかかった。
『本日の理学療法は水彩画です。参加できる方は活動スペースまでお越しください。』
「姫宮さん、今日は無理して参加しなくていいですからね。」
朝食についている牛乳を一気に飲み干して声を出す。
「私、水彩画行ってみたいです…!」
「本当に大丈夫ですか?」
「今はとにかく絵が描きたいです。…だめですか?」
「わかりました。無理はしないでくださいね。」
「…!ありがとうございます!」
「食器を片付けてきますので準備して待っていてくださいね。」
西村さんは食器の乗ったトレーと破れた絵を持って部屋を後にした。
自分で車いすに乗って洗面台まで行く。
顔を洗って歯を磨く。
ミントの味がする歯磨き粉はまだうとうとしていた頭をすっきりさせた。
肩までの長さの髪をとかしてゆるくひとつに結ぶ。
3度目のノックが部屋に響く。
「姫宮さん、準備できましたか?」
「はい…!」
「では、行きましょうか」
西村さんは車いすの後ろに回って昨日と同じように押してくれる。
胸が高鳴った。
廊下は昨日よりも明るくきらめいて見えた。
水彩画で描くのは将来の夢だった。
私の席の前にも白い画用紙が配られ、絵の具を隣の子と分けながら描くことになった。
今日も隣の席にはりずちゃんが座っていた。
「あおかちゃん!昨日大丈夫だった?」
「うん大丈夫……。心配かけてごめんね。」
「それならよかったぁ!」
りずちゃんのうるうるとした瞳はきらきらと輝いていた。
「りずちゃん、ありがとうね」
昨日会ったばかりの私をそこまで心配してくれるなんて。
嬉しくて笑みがこぼれた。
「あおかちゃん笑ったらちょーかわいいじゃん!」
私は照れてしまって何も言葉が出なかった。
「あおかちゃんは何色使う〜?」
将来の夢。
私にはあるかないかわからない遠い未来の話。
「えっと、黒色と黄色だけでいいかな」
「そうなの?」
「うん、りずちゃんは?」
「私はお姫様だからピンクいっぱい使うよ!」
「そうなんだ、可愛いね」
りずちゃんはほっぺをほんのり赤くして、そんなことないよと小さく言った。
近くにいた理学療法士さんが私に声をかけた。
「姫宮さんも、もっといろんな色を使って書いてみませんか?」
理学療法士さんのまなざしの圧に押されてついコクリと頷いてしまった。
私のパレットに青、藍、緑、黄緑、黄、山吹、橙、赤、桃、白と絵の具を入れ10個の溝が埋まるまで色を出した。
「完成したらまた見せてくださいね!」
あーあ。黒色を出すところなくなっちゃった。
どうしようと思ってきょろきょろすると目に入った絵の具入れに書かれた”色の作り方”。
『ブラックはシアン・マゼンタ・イエローを混ぜる』
シアンは青、マゼンタは赤、イエローは黄と記されていた。
パレットに乗っている同じ色を少しずつとって混ぜて合わせるとみるみる黒に近い色ができた。
緑みたいに生き生きしているようにも見えて、紫みたいに大人びているようにも見える。
そんな美しくて深みのある色ができた。
黒だけど黒じゃなくて。
綺麗だけどどこか不格好で。
ふと今朝の絵を思い出してあの日の草むらを描こうと決める。
暗くて見えなかった地面の色を想像して書く。
緑、黄緑を使って草を一本一本を丁寧に筆先で描く。
今まで色鉛筆でしか絵を描いたことがなかったから水分量の調節や筆の使い方が難しく感じた。
「ねえ、あおかちゃん、この色ってなんて名前教えてくれない?」
りずちゃんの手には”山吹色”と書かれた絵具チューブがあった。
「やまぶきいろだよ。綺麗な色だよね。」
「ヤマブキイロってどんな漢字を書くの?」
「山が吹く…かな。」
「吹く?」
「風が”吹く”とかで使う漢字だよ。草が芽を出すときに使う芽吹くって言葉があってね。」
「メ……フク……難しい言葉たくさん知ってるんだね。」
「家で過ごす時間が多かっただけだよ。」
「それにしても、ヤマ…ブ…キイロってあおかちゃんに似合うね!」
「え?」
「あおかちゃんの笑顔は星空みたいにきらきらしててかわいい!」
「えっと、ありがとう…?」
照れてしまったけどお礼を言うことができた。
りずちゃんはニコっと笑い筆を動かした。
私も頑張らなきゃなぁと思い筆に集中した。
地平線より上はパレットにできた黒色を塗って夜空の闇を表現する。
綺麗な均一濃さにならなかった夜空の色は絵の具チューブから出す黒色よりも本物に似た闇の色をしていた。
何度も震えて過ごした夜の闇はただの黒色じゃなかった。
闇にはたくさんの色が潜んでいる。
絵具を洗うための水もたくさんの色が混ざってみたことのない色ができていた。
直感的に私の感情はこんな色だろうな思った。
手が止まっていることに気づいて我に返る。
パレットに余ってしまった色をどこに塗ろう。
リズちゃんの言葉を思い出して星を黄色じゃなくて山吹色にすることにした。
ちょんちょんと細い筆で夜の闇に光を描く。
藍色で夜の闇に見えない風を吹かせる。
山吹色で草むらに光を宿す。
橙色に白と黄を混ぜて三日月を輝かせる。
…赤色と桃色の使い道がない。
横を見るとりずちゃんがパレットに桃色を出そうとしていた。
「りずちゃん、よかったら私のももいろ……えっと…ピンク余ってるから使っていいよ。」
「え!ありがとう、あおかちゃんは優しいね。」
優しいという言葉が絵具のことか色を言い直したことかはわからなかった。
どちらにせよりずちゃんの可愛らしい笑顔が見れたので満足だった。
りずちゃんに私のパレットを手渡すとき、左手首に傷が見えた。
一本じゃなくて数十本の深い傷。
刃物で故意につけられたリストカットの跡。
袖から見える傷は同じ赤でも絵具の何倍も痛々しかった。
私は気づかないふりをした。
それしかできなかった。
ここに入院している子は小さな体に大きな苦しみを背負っている。
誰もが心に大きな傷を負っている。
私の心の傷は……うまく思い出せない。
時計が12時の鐘を鳴らす。
いつも遠くから聞こえていた12時の鐘が今日はとても近い。
鐘が鳴り終わると理学療法士さんが口を開く。
「そろそろ昼ご飯が来るのでキリの良いところまでかけた方からお部屋に戻ってくださいね~。明日も水彩画なので画用紙は置いたままで大丈夫ですよ。」
あと少しで終わるしそこまでやろうかな。
「あおかちゃんは終わりそう?」
「んー、もうちょっとだけやろうかな。」
「じゃあ私は先に戻るね。また明日ね!あおかちゃん!」
「うん、また明日ね。」
りずちゃんは机に可愛いプリンセスを残していった。
りずちゃんが看護師さんと話しながらしきりに左の手首をひっかいていたのも見ないふりをした。
頭にティアラをつけてピンクのリボンがたくさんついたドレスをまとったプリンセス。
りずちゃんはプリンセスのようにみんなに愛されたいんだろうな。
じゃあ私は…?
私の絵を見た男の子たちがこそこそと話しているのが耳に入った。
「あれって星になりたいってこと?」
「え、死にたいとか?病みアピール的な?」
「しっ、聞こえるって」
「やめとけって~」
話し声も笑い声もちゃんと聞こえてる。
恥ずかしくて顔が熱くなった。
右手に力が入らなくなって筆が止まった。
ヒーローは人の夢を笑わない。
そんな言葉が喉から出るわけもなく俯いた。
私にとってお姫様やヒーローよりもおほしさまの方がずっときらきら輝いていた。
昼ご飯は味がしなかった。
ただただ自分の夢を笑われたことが悔しくて惨めな気持ちだけが胃に溜まった。
午後に私の体調を心配してママがお見舞いに来た。
昨日のことはほとんど思い出せなかったからペルセウス座流星群を見たこと、水彩画を描いたことを話した。
ママは私の話が終わると間髪なく口を開いた。
「あおかは何にでもなれるよ。好きなことを好きなだけ頑張ればいいしおほしさまにもなれるよ。」
ママの言葉があたたかくて心が少しだけ軽くなった。
病弱な私への同情でも何でもいいと思った。
それでもまだ胃にたまったもやもやは消化できずに重りとして体の中に残った。
次の日、私は理学療法に参加しなかった。
体調が悪いので休みたいと素直に伝えた。
リハビリで少し回復しかけていた足も力がうまくはいらなくなった。
ベッドに寝転んで天井を見上げる。
黒い絵の具で心を塗りつぶしたような最悪の気分だった。
りずちゃんに伝えた「また明日」の言葉は嘘となって消えていった。
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