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【note創作大賞2024恋愛小説部門】君は僕のアンドロメダ②

【第1章】『2つの星座』

[第1節]星に救われた女の子


小さな頃は、夜が怖かった。

ママが手を握ってくれても震えて眠れないことがあった。

絵本の世界にはキラキラ輝く"おほしさま"がいるのに、私はおほしさまを見たことがなかった。

「ママ、おほしさま見たいよ。」

「そうだね、この辺じゃ見えないからね」

この街は明るすぎて、本当はお空にたくさんいるおほしさまが隠れてしまっているらしい。


「ママ、おほしさまがいるところまで行ってみたいよ」


そう言うと、ママは困った顔をして笑った。

「また今度ね」

私の頭を撫でて、絵本を閉じた。




私は体が弱かったから、ほとんど外へ出かけることができなかった。

診察以外で外出する機会はなかった。

その代わりに、ママがいない日も愛犬のこむぎがずっと私の横にいてくれた。

こむぎは甘えん坊で構って欲しい時はクゥンと可愛い声で鳴く。

どんなに喧嘩しても、私たちはいつも一緒だった。


ひとりぼっちの私の理解者はこむぎしかいなかったから。



小学1年生の誕生日に、ママに初めて旅行を提案された。

私の初めてのお出かけ。

こむぎも一緒に行ける場所だと聞いて、ますます楽しみになった。


翌日、家から3時間かけて車で移動し、目的地に向かった。

長時間の乗車に慣れていなくて少し酔ったが、ウトウトしてきたので目を閉じた。


夢を見た。

健康な体を手に入れて当たり前に外に出る。

みんなと同じように学校に行って、勉強を教え合って、給食を食べて、放課後に公園で遊んで。

走り回って、疲れ切って、草原に寝転がる。

体調なんて気にせずにただ"普通に"毎日を過ごす。

そんな夢だった。



「着いたよ」

車のドアが開いてママの声がした。

耳元でクゥンと鳴くこむぎの柔らかい毛並みが首に当たる。

くすぐったくて目を開く。

あぁ、夢か。

体に力を入れてみても、やっぱりうまく動かない。


こむぎが私の顔をペロっと舐める。


「こむぎ、くすぐったいよ」

こむぎはキョトンとした顔で私を見つめた。



ママは慣れた手つきで私を車椅子へと乗せる。

「ねぇ、空見て?」

ママに言われた通り空を見上げると、そこは絵本の中の世界だった。

数え切れないほどの星がキラキラ輝いて私を照らしていた。

こんなに綺麗なもの、見たことない。

おほしさまって本当にいたんだ。

今まで生きていたのはこれを見るためだったのかな。

そう思って、涙が頬を伝った。

「あのね、蒼夏、ママさ…」

ピーポーピーポー。

山奥だというのに救急車のサイレンが鳴った。

さっきまで私につられて涙を浮かべていたママの顔は、赤く照らされていてよく見えなかった。

しばらくして、救急車は遠ざかりまた静かな森に戻った。

ママは何もなかったかのように、黙って空を見上げていた。

「…ママ、どうしたの?」

「ううん、なんでもないよ。蒼夏が喜んでくれてよかったなって。」

ママは今までに見たことない苦しそうな顔で私に笑いかけた。


それ以上何も聞けなくて、空を見上げた。

「あのね、ママ。私はこの景色、絶対に忘れたくない。生まれてきてよかった、最高の誕生日だよ。」

私は鼻を啜りながら笑った。

「そう言ってくれてよかった。蒼夏、ママから生まれてきてくれて本当にありがとう。」

いつもみたいに優しく笑い返してくれた。

それからすぐママの目から涙がこぼれ落ちた。

「ママ、どうしたの?泣かないで」

「ごめんね。この景色をもう2度と見れないのはママも寂しいなって。」

「じゃあ、絵に描いて残そうよ!」

私はカバンに入れていた入学祝いの色鉛筆とスケッチブックを取り出した。

車の暇な時間を潰すために持ってきたものが役立つなんて思っていなかった。


スケッチブックをペラペラとめくって新しい真っ白なページに辿り着く。

姫宮 蒼夏ひめみや あおかと書かれたネームシールが綺麗に貼られた色鉛筆。

ケースを開けると、ほとんど新品のままの色鉛筆が長さを揃えて待っていた。

その中から、黒と黄色の2色を選んで取り出す。

暗い手元を車のライトで照らして、夜空を丁寧に描いた。

これが私が初めて書いた星空の絵だった。




翌朝、カーテンから漏れた日の光に起こされた。

私は自分の部屋のベッドの上で寝ていた。

昨日のことが夢のようで、慌ててスケッチブックを開く。

ちゃんと、星空の絵がある。

夢じゃなかった。

嬉しくて何度もその絵を抱きしめた。



少し躊躇った後にスケッチブックから絵を切り離して、ママにプレゼントした。


ママは嬉しいと言って涙をポロポロこぼした。

私が戸惑っていると、

「大丈夫、これは嬉し涙だよ」

そう言って頭を撫でながら笑ってくれた。





3年生の梅雨が明けた頃、私の体調が悪化したので1年間ほどの入院が決まった。

ママと離れるだけじゃなく、こむぎとも離れることになり、どうしようもない寂しさが私を襲った。

『でも、仕方ないことだ。』

そうやって自分に言い聞かせて、感情に蓋をした。



入院してからしばらくは病院に慣れるための期間で、ほとんどが自由な時間だった。

診察が1日に1回あるだけで他に特にすることもなく絵を描いていた。

2年前、ママが私の絵を褒めてくれたことが嬉しくてあれからずっと描き続けている。


入学祝いの12色の色鉛筆はすぐに使い切ってしまった。

今は、36色入っている新しい色鉛筆を使っている。

最初はこんなに沢山の色をどう使っていいかわからなかった。

そんな風に色塗りで困っている時に助けてくれたのは、看護師の西村さん。

明るくて見ているだけで元気が貰えるような人だった。



コンコン。

部屋のドアがノックされる。

「失礼します。姫宮さん、夕方の検温と食前のお薬です〜。今夜担当の西村です。」

ふわふわとした明るい声で私に話しかける。

「ありがとうございます。お願いします。」

薬の乗ったワゴンから、私の名前と夕食前と書かれ包装されたものを取り出す。

「はじめまして、姫宮 蒼夏ひめみや あおかさんですね。夕食後のお薬です。」


左手の上に4粒の形の違う錠剤を出してもらう。

コップに注いでおいた麦茶で、一気にごくりと飲み込む。

入院し出してから、薬の苦い味を感じなくなった。


「では、検温しますね。」

渡された体温計を脇に挟む。


西村さんは私がさっきまで描いていたこむぎの絵に視線をやった。

「わぁ!かわいいですね、姫宮さんはわんちゃん飼ってるんですか?」

眉毛を柔らかく動かしながら、私に微笑みかける。

「そうです、でも毛並みとかあんまり上手に描けなくて…」

ピピッ。

話の最中で、体温計が鳴った。

「36.5度、平熱ですね。ありがとうございます。私でよかったら色の塗り方教えますよ。昔、美術部だったんです。」

「…お願いしたいです!」

西村さんは机に飾っていたこむぎの写真を覗き込む。

「かわいいですね!色の濃さでふわふわ感は出せるかもしれないです。」

西村さんは左の胸ポケットから小さなメモ帳を取り出す。

「姫宮さん、色鉛筆借りてもいいですか?」

西村さんの目を見て、私はコクっと頷く。

「まずここに、薄く黄土色を使って、その後に…、それで…、最後に…、できました!どうですか?」

こんな一瞬で、今にも動きそうな毛を描けるなんて。

「すごいです。私もやってみたいです…!」

「簡単にできますよ!まず、この色を薄く重ねていくと…」

西村さんの手が私の手に触れて、びっくりして咄嗟に手を引っ込ませてしまった。

「「あっ」」

西村さんがこちらを見るのを察したので、目を逸らした。

「すみません、大丈夫です。…気にしないでください。」

私は手を机の上に戻し、西村さんの顔を見上げる。

西村さんは申し訳ない顔をして、私のことを見つめていた。

「絵の話になると熱が入っちゃって……言い訳ですね。すみません。お邪魔しました。」

「あの、待ってください!」

西村さんが出て行こうとしたところに、無意識で叫んでしまった。

西村さんは目を大きく開いてこちらを見つめていた。

「あの…絵のことを知れるの嬉しいです…。だから、もっと…話したい…です。」

西村さんは優しい笑顔を浮かべた。

「それならよかったです。それではまた食後伺いますね。」

そのまま、西村さんは深い礼をして退室した。

私、自分の気持ち言葉にできた。

大きく息を吸って、窓の外を見つめる。

さっきまで青かった空は、夕日によってオレンジ色に染まっていた。




それから2週間経った、猛暑日。

先生との診察で今日から理学療法に参加しようという話になった。

他の子と関わる時間ができると思うと緊張したけどワクワクもした。



西村さんがノックして部屋に入ってくる。

「姫宮さん、今から参加できそうですか?」

優しい声で私に話しかける。

私がコクリと頷くと、西村さんは私を車椅子に乗せてくれた。

「じゃあ、行きましょうか」

西村さんは車椅子を押しながら、今日の活動の説明をしてくれた。


今日の活動は"隣の子と協力して一つのパズルを完成させる"というものだった。

隣の子と話せるかな、不安だな。

でも、友達になれるかもしれないし頑張ろう。



「もうすぐ着きます、不安ですか?」

心を読まれたのかと驚いて振り向く。

「ちょっとだけ…。でも、大丈夫です」

「そうですか、それならよかった。」

西村さんはにっこり笑った。


廊下の1番奥の開けたスペースに辿り着いた。

「今日は私も近くにいるのでしんどくなったらいつでも教えてくださいね」

コクっと頷くと、西村さんは私の名前が書かれた席まで車椅子を押してくれた。


他の子達はもう席に着いていて、私が最後だった。

300ピースのパズルが置かれた長机が全部で4脚。

そこに同じ年くらいの子達が2人ずつ座っている。

私の席の前にあったのは、ウユニ塩湖に星空が映っているパズル。

蓋の写真が綺麗でうっとりと見惚れてしまう。

「じゃあ、それぞれ活動始めてください。困ったらいつでも声をかけてくださいね。」

理学療法士さんの声でハッとして隣を見る。

「このパズル難しそうだから、違うがいいよー、ねぇ?」

隣に座っていたパッチリした目の可愛らしい女の子に話しかけられた。

「えっと、でも、星にはいろんな形あるから…、大丈夫だと思うよ…?」

「へぇー!そうなんだ!心強いなぁ。最近ここに来た子だよね?」

目をぱちぱちさせながら、透き通った高い声でスラスラと喋る。

「うん、そうだよ。えっと…よろしくね」


「こちらこそよろしくね、名前なんて言うのかな?」

私は手首に結んである入院患者のバンドを見せる。

彼女は、バンドの『2006/3/22  姫宮 蒼夏ヒメミヤ アオカ』と書かれた文字を見た後に、私の顔を見て何も言わずニコリと笑う。

「えっと…姫宮 蒼夏」

「あおかちゃんね、覚えた!私はりずだよ。」

彼女の左手に巻いてあるバンドに目をやる。

『2005/12/4白河 莉鈴しらかわ りず

「りずちゃん、珍しい字書くんだね」

「んー、そうなのかなぁ?あおかちゃんはどんな漢字なの?」

もう一度バンドを見せようとすると、りずちゃんは首を振った。

「私、字読めないんだ。だから、声で教えて欲しい。」

「え、えっとね、草冠の方の蒼っていう字に、夏。」

「アオの漢字わかんないなぁ。でも夏が入ってることは夏生まれってことなのかな?」

自分の手首に巻かれたバンドに視線を落とす。

「いや、3月生まれだよ。生まれたのは夏じゃなかったんだけどパパがね……」



え、パパ……?

鼓動が早くなる。

ねぇ、パパどこにいるの……?

頭の中に誰かの声が響く。



うまく息ができない。

視界が真っ暗になる。


あ、これ、ダメなやつだ。

「あおかちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」

りずちゃんの声が遠くに聞こえる。



深い水に沈んでいく感覚。



ドサッ。

力が抜けて、車椅子から落ちる。

抵抗することもできず、床に打ち付けられる。

意識はあるのに、動けない。


「先生!姫宮さんが……」

担当医を呼ぶ西村さんの声が聞こえる。



部屋に運ばれた後も、落ち着くまでは西村さんがずっと一緒にいてくれた。


私は同じ言葉をずっと繰り返していた。

「パパとみーちゃんは私のせいで…。だから私さえいなければ…。」

思い出せない記憶が私の脳を内側から叩いた。

ひどい頭痛がして、何度も吐いた。



頓服薬を飲んで気持ちが落ち着いてからも、胸から取り出せなかったモヤのかかった記憶だけが残った。




その日は夜になっても眠れなかった。

パパって誰だろう。

みーちゃんって誰だろう。

そう考えるたびに頭がズキズキして気分が悪くなった。

体が完全に思考することを拒絶していた。



「あ、おほしさま、ここからだと見えるんだ。」

星は1人でもキラキラ輝けるのに、私は1人じゃ何もできない。

ため息を一つ吐く。

そのまま何時間も空を見つめて感傷に浸った。


私が私のことを知らないまま生きていくのは怖かった。

でも、真実を知ってしまうことも同じくらい怖かった。


何度も夜の暗闇に吸い込まれそうになりながら、自分であり続けた。

ママが手を繋いでくれなくても、私にはおほしさまがいる。

そう思えることが何よりの助けだった。



少しだけ眠気が来た時、突然、視界が明るくなった。

たくさんの光の粒が夜の闇の中を駆けて行った。

これってまさか。

枕元に置いてある星空の図鑑を開く。

やっぱり、ペルセウス座流星群だ。



今の日付を確認する。

2014年8月14日 午前3時47分

おほしさまは何度でも私がこの世界に生きる希望をくれる。




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