love myself、なんてね
私は双極性障害だ。
世界の全てが面白く感じ、毎日が輝いて見える躁状態と、皆様ご存知の暗い鬱状態を行き来する、感情ジェットコースター人生を送っている。
投薬治療で誤魔化しながら、やっぱり病状に左右される日々。
気分が高揚する楽しい時を経験しているからこそ、その後に来る暗く辛い鬱状態が、より苦しいものになるのでは無いかと思っている。鬱状態の時にこそ、もうこの人生を終わらせてしまいたいと何度も思う。
それでも鬱状態が終わり、楽しい躁状態が来れば、「この世界でいちばん長生きしてやる!なんてったって私はサイコーだからな!」のマインドで生きている。非常に奇妙な生き物だと自分で思う。
あとたまに、躁状態の馬鹿みたいな勢いで「このまま死んでやろうかな!」なんて思うこともある。躁状態はまともな思考が出来ないため馬鹿すぎる。
反対に、鬱状態はうじうじ考えすぎるため、こちらも馬鹿すぎる。病状が安定していないと馬鹿になってしまう病気が、双極性障害なのである。
(鬱状態の方が思考力があるため文章を書ける。そのため、比較的行動力が残っている軽い鬱状態はあまり嫌いではない。)
元々わたしは完璧主義で、鬱状態の時に毎日お風呂に入れないことや、ソファやリビングで寝落ちしてしまうこと、メイクを落とさずに寝てしまうことなど、一つ一つに落胆し、自分には生きる価値がないと思わされていた。
誰に何を言われた訳でもなく、内なる自分自身に一番苦しめられてきた。
それから、躁状態で散財した分のカードの請求が来た時も。
しかし最近の私は違う。「馬鹿言えよ、人間なんだから完璧なわけないじゃん」なんて思っている、本当に。
今年の5月に素敵な出会いがあってから段々と自分を肯定できるようになっていき、「自己肯定感とは」「自己肯定感を高めるには」なんて考える隙もないくらいになっている。自分を受け入れてあげることが出来るようになってきてから、そんなことを考える必要がなくなったのだと思う。
自己肯定感については結局よく分かっていないけれど、自分を想ってあげることが心の健康に一番良いと思う。
という所まで思考できる段階に至った自分を誇りに思う。
現に軽い鬱状態の今ですら、このように少々明るい文章を書いている。
このように強くしなやかなマインドを手に入れるために一番の起爆剤となった出会いは、自分自身が強い思いを持って行動しなければ、得られないものだった。辛く苦しい現状を打破するため、単身で未知の環境に飛び込んだのだった。
限られた期間ではあったものの、この経験があったからこそ、自分の人生を掴むのは自分、自分の人生を面白くするのも自分、という考えを持つことが出来た。
それまでは守るべきものすらない弱い自分を、守って守って守って、何にも挑戦できていなかった。そんな自分を幼少期の家庭環境のせいにしていた時期もあった。
そんな人間ですら自分を愛するようになったり、変わることが出来たりするのだから、なりたい自分になれない人なんていないと思う。
私はこれから鬱状態の山場を迎える。
もう何度も経験しているから分かるけれど、辛くて苦しくて、もがいてももがききれず、何も出来なくなる自分を人と比べては落ち込む日々になるだろう。
それでも、私は私で、人は人。人にできても私には出来ないこともあるし、反対に、私にできて人にできないこともある。例えば、楽器、作曲、物作り、写真・動画撮影など。
私の特技だって躁状態の勢いから来ている部分もあると思う。
鬱がきたからといって、私の全てが、双極性障害の全てがダメになるわけではない。それが分かっているから、今までの私よりも強い私でいられると思う。
今日も自分を愛していこう。明日も、明後日も。