人って悲しくて、愛おしいな
フクシンです。
今日は、幼少期から体験する痛みや悲しみへの対応がパーソナリティを形成するお話をしたいと思います。今日は、人って悲しい生き物やねってお話です。
なので、今日は心理を勉強されているかや、自己理解をもっと進めたい方、また対人で悩んでいる方など、最後まで見ていただけると、人の性格がこう創られているんだなとかいうのが、わかると思います。
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ローの早期決定論
今から50年以上前に、ローという方が、パーソナリティの差は親の養育態度によって変わる早期決定論を提唱されました。
養育態度は、3タイプあって
過保護や過剰要求に係る情緒型の親に育てられた子どもは、条件が適えば報酬の良い職業を志向する。
子どもを拒否したり無関心であったりする拒否型の親に育てられた子どもは、人間関係を志向せずもの思考で、科学的、機械的職業を志向する。
愛情をもって受容をする受容型の親に育てられた子どもは、人間及び人間以外の両方についてバランスの取れた職業を志向するという説を唱えました。
人を動かすのが一番難しい。これは僕が学生の頃からずっと引きずっていた思いです。
仕事でも、恋愛でもそうですが、人の心を動かす。難しいからこそ、今は、それが大きなテーマであり、思うイメージを実現するにはひとりでできないことがわかっているので、そこにチャレンジする。
だから、キャリアコンサルタントにも挑戦するし、YouTubeでもどれだけ人を引き付けられるか、チャレンジします。ダンスも仕事も、すべてが僕の答えは、人の心を動かせるか。これが僕の今のテーマです。
痛みに対処する
フロイトは、人間は快楽(エス)と理性(エゴ)、道徳(スーパーエゴ)の間で大きな葛藤を抱え込む。
人間は基本的に、自分自身に対する自己価値を低く感じることと、自分の価値観や既知の事項と反することには不快感を覚えるそうです。その不快感がある程度以上に高まり、理性(エゴ)が抱え込める量を超えるとオーバーヒートやパニックを防いで心の安定を保つため、防衛機制という動きを見せるということです。
それは次の点などで、
①合理化 欠点を認めるのが苦痛なので、正当化して自己を納得させること
僕の場合は大学受験で1浪、2年間で20学部のうち受かったのが2校。さらに公務員試験も1年目はことごとく不合格。今年はキャリアコンサルタント試験に不合格。試験という試験は落ちまくって、でも今、学びたいって思っている今の生活があるので、落ちてよかったなんて思っています。
こういうのも合理化でしょうか
②抑圧 受け入れ難い要求を無意識に閉じ込めることです。
いやなことがあった時に、心の奥底にしまっておくことです。例えば失恋したり、例えば何かをあきらめたりするときに、心の奥底にそっとしまっておくことです。
僕の場合は、抑圧しながら、時々爆発してしまうことがあります。そんな時は、とにかく叫ぶ。これです。
③摂取 外科医の対象の行動や考え方などを自分の中に無意識に取り入れること。取り入れる対象が限定される同一化は摂取の一種
例えば、同期で話もしてない苦手な人がいて、きっとあいつも俺のこと嫌っているっていうようなことです。あ、これはたとえです。
人のせいにするのもこれに当たります。キャリアコンサルタント試験の不合格では、俺だけ難しい設定だったんじゃないのって思うようなことです。
YouTubeで登録者数が伸びないのも、誰かのせいにする。そんなことです。ははは・・・
④取り入れ(同一化)ある対象の行動や考え方などを自分の中に無意識に取り入れ、その対象と同じ行動をとること。つまりいいなってことを真似することです。
この間、会議でコメントを求められるシーンがありました。ぼくの1つ前の人が、すごくクレバーなコメントをされてて、ぼくもそれに合わせて、賢そうなことを言おうと思ったのでけど、ぐだぐだなコメントになりました
⑤置き換え ある対象に向けられた欲求をほかの対象に向けかえること。いわゆる、八つ当たりとか、お目当てのものが売り切れて、同じブランドの他のもので我慢するというものです
こどもが小さい時のことです。なにかむしゃくしゃしていた時、こどもが味付けのりをバリバリ食べていて、それが無性に腹が立って、「何枚食べるねん」って怒ったことがあります。うーん、今思うと、あれはいけない
⑥投影 自分が持っている欲求を正視できず、相手が持っているように責任転嫁すること。これって、置き換えとどう違うのは、違いが少しわかりにくいです。
⑦反動形成 抑圧するだけでは十分でない強い欲求を処理するために心と正反対の行動をとること
好きな子にいじわるをするとか、言うものです。
これは、ぼくにはあんまりなかったな~
⑧知性化 何かヤバいことがあった時に、知的な行動、解釈で欲求を抑圧すること。
僕の場合でいうと、例えば、奈良マラソンに途中でリタイヤしたとき、「このマラソンは、普通のマラソンと違って、アップダウンが〇%多いからハードなのでしょうがないよな」って感じです。
⑨退行 苦しい現状から逃れるため、未熟な段階に戻り、平安を得ようとすること
ぼくは、日ごろのストレスを、時々車で一人、子どものように泣きながら発散させたりします。これもひとつの退行でしょうか
⑩昇華 社会的文化的に望ましい行動(スポーツや芸術活動など)に自己の欲求を移し替えること。
これは、ぼくのコンプレックスの人の心を動かすのが下手とか、チームスポーツで活躍できないとかいうのに移し替えて、一人でできる例えばダンスとかでのし上がりたいと思ったこと、こんなことだと思います。
⑪逃避
逃避には、現実や空想、病気に逃避する場合があります。
僕の場合は、空想の逃避が多くて、ランチの時にはいつも一人で妄想しています。寝る前も妄想しています。
⑫分離(隔離)
受け入れがたい感情や感覚を、思考や行為(行動)から切り離すこと。麻痺させることです。
これ、面白い話があって、中学校の時、ぼくは新設2年目の学校に行ってたんですが、水泳部でプールが初めて設置されたまさにプール開きの日、プールサイドにヘビが出現しました。同じ学年のワタマンってやつが、そのヘビのしっぽを振り回したとき、すぐ隣にたまたまいた山本君のエラあたりにヘビがかぶりついた。ワタマンは思わず手を離して、山本君のエラにはヘビがぶら下がる。そんな記憶があったのですが、この間、何十年ぶりにワタマンと会ったとき、ヘビにかまれたのは僕では、というのです。どうもよくわからないのですが、もしかしたら、ぼくがかまれてて、この記憶を隔離していたのかもしれません。でもこれって便利ですよ。
防衛機制は、いろんな紹介がされていて、ほかにもあるようです。皆さんも、それぞれ、経験ありませんか?
痛みに反応して人格が創られる
なぜ、早期決定論とか防衛機制のお話をしたかというと、先日、由佐美加子さん, 天外伺朗さんの著書 メンタルモデルを読みました。
この本を読んで人って悲しい生き物だけど・・・・ということを感じたので、関連するお話をしてみました。
メンタルモデルでは、痛みを人は避けるために、それを逃避する、または克服することによってパーソナリティが創られるそうです。
痛みとは、例えば、あるべきものがなくなるとき。例えば、親が弟、妹を育てるときに兄、姉が幼児返りする退行は、痛みを受けいれ、生きる術を身に着けるそうです。
その時に、痛みを克服するタイプと、逃避するタイプに分かれ、こうして4つのメンタルモデルに分類されるようです。
①私には価値がないと思う「価値なし」モデル
②私は愛されないと思う「愛なし」モデル
③私はしょせん独りぼっちという「独りぼっち」モデル
④私には何かが決定的に欠けているという「欠陥欠損」モデル
それぞれのモデルに応じて、人生の中で克服するために、人格が形成されていくということです。
ね、何か人って悲しい生き物だと思いませんか。
また、この痛みに対して、
①適合しようとしてその状態に安住している適合期、
②外側に同じパタンで働きかけることから、不本意な現実の深刻度が一見すると破綻しているようにみえる直面期
③自分の生き方の限界に直面することで、外側に向かってた意識が、自らの内面に向かい、自分を見つめ直す自己統合期
④気づきが繰り返して、何かがないと思い込んでいた信念が自分の内側にあることに気づく体現期
⑤自分の作り出したい世界に目覚め、周囲の進化を促す自己表現期
に分かれ、発達段階を踏んでいくようです
ぼくはひとりぼっちモデル
ぼくは、たぶん③のひとりぼっちモデルです。
ひとりぼっちモデルは、あり方が個性的でユニーク。ひとりでいることを気にも留めてないと装いながら、裏で独特の痛みと孤独感を抱えています。
まさにこれ。
さっきの発達段階に当てはめてみれば、
中学までは①適合期
高校になって、自分がこれではだめだと思いだす②直面期
大学卒業が見えてきて、思いをかたちにしようと初めてひとりで歩んだ③自己統合期
でも社会人になっても④体現期にはなかなかいかずに、③自己統合期にとどまっていました。でも最近、やりたいことは言語化する。そんな体験を踏まえて、ようやく④の体現期が来たのだと思います。
そして、これから⑤の自己表現期で、いろんな人とつながっていろんなことを実現していきたいと思っています。
悩むことは悪くない
答えがない人生も悪くない
でもモヤモヤする
感じる世界に身を置きたい
自分らしさ
命が求める自分の姿
自分の人生の制約は本当はない
外側に望まない何かが見えたら、心にそれが欠損している
宝石みたいな言葉がこの本にはちりばめられています。
人って悲しい生き物
でもこう考えると、人って悲しい生き物ですよね。
誰もがかつてこどもだった。
生きる中で痛みに反応して傷つかないように人格が形成される。
どんな人もそんな背景を背負っている。
そう考えると、誰でもひとりひとりが愛おしく思えてくるのは僕だけでしょうか。
今日も最後までおつきあいいただきありがとうございました。
よかったらチャンネル登録などしていただけると励みになります。
フクシンでした。
またお会いしましょう。