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#65 ぶどう全国1位、みかん全国2位だった!?〜大阪農業の歴史〜

図書館の蔵書検索で何気に「大阪農業」と調べてヒットしたこの書籍。

こんな本まで置いてるのかと感心しつつ、大阪の農業の歴史を勉強しようと借りてみました。

江戸時代(17世紀)

江戸時代の大阪農業

江戸時代は稲作と綿栽培が盛んだったようです。
綿については17世紀後半から栽培が広がり、畑の表作(野菜⇒綿⇒野菜⇒綿)や、稲との輪作(稲⇒綿⇒稲)がされていたよう。

書籍によると全国有数の綿産地だとか。

江戸時代(18世紀)

18世紀の大阪農業

稲の裏作に油の原料である菜種が盛んに栽培されるようになります。
特に今の中部~北摂地域(大東から枚方市および池田市から高槻市にかけて)で盛んに育てられていたようです。

一方、今の大阪市では野菜(大根、株、なす、くわい)や桃が育てられていました。
伝統野菜にもなっている「天王寺蕪」や「吹田くわい」などです。

そして、栄えていた綿栽培は、他地域での栽培が盛んになり、18世紀末ごろには衰退しはじめたようです。

明治時代(19世紀)

明治時代の大阪農業

明治時代には、大阪市、堺市が誕生し都市化が進行します。
そして、外国綿の輸入や石油ランプ・電燈の普及により綿油の需要が減ったことから一気に綿産業が衰退していきます。

代わりに野菜に切り替わり、1884年に泉南地方でタマネギが導入され、水田の裏作として広がりました(泉州タマネギ)

また、みかん、ぶどうも広く広がりました。

大正時代(1912年~1926年)

大正時代は小作争議(小作人vs地主)が広がったようです。
地主が自分で土地を耕すのではなく、貸し出して耕してもらう(小作)形が大阪では全国よりも進んでいて、
1884年で面積ベースの小作率が50%(全国40%)、1897年には63%(全国44%)と全国平均を上回っていました。

一方、大阪のみかんは1897年(明治30年)ごろから本格栽培され、大正末期には2000haで和歌山県に次いで全国2位とのことです。

昭和時代(戦前、戦中、戦後)

戦時中は食糧難のため果樹園や花き園にイモ類を植える取り組みが進んだり、戦後は重化学工業が発達し都市化が一層進みました。

昭和時代に最盛期を迎える特産品

そんな中、昭和時代に様々な農産物が盛んに育てられています。

ぶどう:明治以降に盛んになり、昭和初期(1930年ごろ)には全国1位の生産量と言われています。
また、ビニール被覆は1957年(昭和32年)にジベレリン処理は1960年(昭和35年)に大阪で全国に先駆けて行われるなど、ぶどう栽培の最前線を進んでいたようです。

大根は最盛時には1500haの作付面積があり、れんこんも250ha、しょうが50ha、河内一寸そら豆にいたっては2000ha以上の作付があったとのことである。

いかがでしょうか。今から約100年前にはみかんやぶどうは全国有数の産地であったなんて想像つかないですよね。

住んでいる地域の食の歴史って調べるととっても面白いです!皆さんもぜひ調べてみてください。

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