外文好き古本屋が最近買った新刊本5冊と今読んでいる本1冊
おはこんばんにちは。
寸心堂書店のスンシンです。
ふだんからガイブン好きだと標榜しているんですが、お客さんにどのくらい浸透しているかは、よく分かりません。
大阪の古書組合の内輪では、僕がガイブン好きだというのは、けっこう知ってもらえているかなと思います。
ちなみに、通じていると思いますが「外文=ガイブン」というのは、「外国文学」のことです。
そういう、ガイブン好き古本屋であるスンシンは、プライベートでどういう新刊本を買っているのかと、今まさに読んでいる本は何の本か、ということを、これから書きます。
「誰が知りたいねん!」
と思わないでもないですけどね。
まず、わりと最近買った本5冊から。
(1)ミシェル・ビュトール『レペルトワールⅢ』(幻戯書房)
ビュトールというのは、20世紀のフランスの作家です。
ヌーヴォー・ロマンの小説家といえば、ナタリー・サロート、アラン・ロブ゠グリエ、ミシェル・ビュトール、クロード・シモンあたりの名前がパッと挙がるんだろうと思いますが、そのうちの一人というわけです。
しかし、ビュトールが「いわゆる小説」を書いたのは、1950年代から1960年までで、4作だけです。
その後は、なんとも分類しがたい「本」を作り続けたらしいです。
「らしいです」というのは、僕は小説以外は評論をちょっと手に取ったことがあるばかりで、それ以外のビュトールの本をほとんど手にしたことがないからなんですが。
そして、この『レペルトワール』というのは評論集です。
幻戯書房から、全5巻刊行される予定で、ただいま3巻まで出ています。
小説とその批評ということについて、あるいは批評とはそもそもどういう行為かとかいうようなことについて気になっている人は、ビュトールの評論集は刺激になると思います。
ある種の人――どの種の人?――には、おすすめ度★5です!
(2)アルベール・カミュ『転落』(光文社古典新訳文庫)
カミュは、20世紀のフランスの小説家です。
新潮文庫で、多分めちゃくちゃ版を重ねている『異邦人』で有名な人ですね。
「きょうママンが死んだ、昨日かもしれない。」
みたいな冒頭で有名なやつです。
新型コロナ・ウィルスの影響でカミュの『ペスト』もずいぶん話題になりました。
そういうカミュの第3の小説『転落』。
光文社古典新訳文庫ではすでに『ペスト』も新訳されているので、これからカミュ作品がさらに新訳されていってくれたらいいですよね。
『シーシュポスの神話』とかも来て欲しい。
あれ? でも光文社古典新訳文庫って、小説家の評論的なやつは、ぜんぜん入ってないかな?
(3)クリスティーヌ・オルスィニ『ルネ・ジラール』(文庫クセジュ)
最近一番よく通りかかる新刊書店は某所のブックファーストなんですけど、そこでは文庫クセジュのコーナーとかは、ないんですよね。
だから文庫クセジュの新刊って、いつも入っているのかどうかよく分からないんですけど、この本は哲学のコーナーに刺さってたんです。
「へぇ、ここでも文庫クセジュが入ることあるんだぁ」と思って、ついつい衝動買いしてしまいました。
とくにいま、ジラールが読みたいとかいう気分でもないので、さっと目を通した後は、積ん読です。
ここまでの3冊は、新刊として出てすぐ買った本でした。
このあとの2冊は、昔出た本が、復刊された機会に買ったものになります。
(4)ヴォルフガング・イーザー『行為としての読書』(岩波モダンクラシックス)
20世紀文学に興味があって、かつ文学理論とか批評理論とかに多少でも興味を持った人は、わりとすぐにこの本の存在に行きつくと思うんです。
以前からこの本、「読みたいなぁ」と思っていたんですけど、なかなか手に取る機会がありませんでした。
去年のいつだかに復刊されて、梅田阪急の紀伊國屋書店で面陳されているのを見た時にまた、「読みたいなぁ」と思ったんですが、すぐには買わずに、今年の2月、「矢野書房さんにバレンタインデーのチョコを買わなきゃ!」と思って、古書組合から天満橋まで行ったときに、天満橋のジュンク堂で買ったのでした。
矢野さんは翌月、ホワイトデーにお返しくれました!
(5)ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』(ちくま学芸文庫)
最近はもっぱら車通勤なので、以前と違って梅田とか、あんまり行くことないんですよね。
ということは、紀伊國屋書店にしろ、丸善ジュンク堂にしろ、どっちもあんまり行けなくなっているんです。
この本は、阪急百貨店のフランス・フェアに行ったときに、ちょっと紀伊國屋書店にも立ち寄って、「せっかく来たんだから何か買おう」となって、ちくま学芸文庫の創刊30周年記念「名著、復刊」からこれを選んで買ったのでした。
『ミメーシス』も『翻訳仏文法』も欲しいんだけど!
最近買った新刊本5冊は以上です。
そして、今読んでいる本はコレ↓です。
(0)ウィトゲンシュタイン『哲学探究』(講談社)
じつはずいぶん前に買って積んでました。
とにかくこれを読む前に『論理哲学論考』をちゃんと読まないと、と思って、それはあるときに実行しました。なかなか大変でした。
『論考』を読んでからもずいぶん経つんですけど、それでもなかなか『哲学探究』を「いよいよ読もう」とはなりませんでした。
ある時、野矢茂樹さんが『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』という戦い』という本を出されて、「いまこそ「いよいよ」か!?」と思ったんですが、結局そのときも読めなかったのでした。
最近、日南会という業者の市で「ウィトゲンシュタイン全集」が出たんです。
僕、『論考』を読んだ頃からずっと、ウィトゲンシュタインの全集、欲しかったんです。
でもまあ、普通に買ったら高いですから、ずっと買えずにいました。
市でなら買えるかも!? と思って、「これで買えなかったら仕方ない」という札で入札して、開札を待ちました。
結果、下札で落ちました。
やった!(のか?)
「下札で落ちる」ってどういうことか、分からないですよね?
気になった方は、スンシンに会ったときに聞いてください。
とにかくそういうわけで、ウィトゲンシュタイン全集が手に入ってしまいました。
それで「いよいよ哲学探究を読むときか!?」と思いました。
その前段階として、古田徹也さんの『はじめてのウィトゲンシュタイン』というのを読んだんです。
この本を読んではじめて、『論考』と『哲学探究』の関係についてのイメージが湧いたんでした。
これまでにも「『論考』はこんな本で、『探求』はこんな本」という話は、しばしば聞いてきたと思うんですけど、一向に『探求』がどういう本かというイメージが持てなかったんです。
ところが、古田さんのこの本を読んだときには、不思議と「はっ!」となったんでした。「あ、そうなのか」と。
それでやっと『探求』を読めるときが来たかな、というわけで、最近読み始めました。
この読書は、時間がかかると思います。
おわりに
僕はSNSとかで、あんまり買った本とか読んだ本の話をしないのは、「こういう本を読んでいる人とはお友だちになりたくない!」と思われるかもしれないなぁ、と思うからなんです。
それで、一時期はかたくなに自分が何の本を読んでいるかというようなことは言わないでいたんですけど、最近は「もういいや」と思っていて、自分に正直になりはじめました。
どっちにしたって友だちできないんだから!
こんな寸心堂ですけど、今後ともどうぞごひいきに(ハート)
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