心壊れた出来事をほぐしてく
やっと前向きな言葉が出てきそうなので、年を越す前に二度の出来事に向き合ってみようと思う。
まず一度目は体を壊してから、心も壊れていたことを知った。
二度目は少し成長して、心がおかしいなと感じることができて、その後に体を壊した。
「これくらい大丈夫だろ」と思っていても、意外と自分はもろいのかということを実感せざるを得なかった。
二度とも上半期に起きた。
二度とも日本酒に関する出来事だった。
日本酒を飲むのも嫌いになりそうになった。
誰かに頼まれたことではなく、好きで選んで始めたことなのに、なぜこんな思いをしなければいけないのか、それを受け入れるまでにかなりの時間がかかった。
何度も文章にしようとしてもネガティブな言葉ばかりになりそうでやめていた。
今はもう心から前向きな言葉が出そうになっていることに感謝したい。
だから出来事の詳細は書かないようにするけど漏れてきたらごめんなさい。
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一度目は、ポンボール(日本酒のソーダ割り)に合う日本酒を造ってくださった酒蔵の、やり取りしていた唯一の方が、実は一人で単独行動をしていて、社内の誰にもポンボールの話をしておらず、結果的に散々振り回され、その人は酒蔵を辞めていったこと。
その人が「誰にも話していない」ということを知るまでとても長く、「勝手」なことがたくさんあり、不可解な状況に振り回された。
ちょうどそのタイミングに朝劇の顔合わせがあり、顔見知りの人たちに次々と「顔、白くない?」と言われて、「え、やっぱり?」と思わず出た。
自分でも薄々気づいていたけど、通常運転ではないことを初めて実感してしまった。優しい仲間たちのおかげで。実感してしまうと、何かが外れた。色々あってから、この時に初めて涙が出た。
どうやら限界だったらしい。そんなことも知らなかった。自分の状態というのは周りの人たちの方が知っているらしい。
人間不信になっていたところに、信じたい人たちが現れた。この時、もし朝劇の稽古がなかったら、しばらく実家に避難することになっていただろう。
顔合わせ直前にも数日だけ帰省した。すると母は「え、今回なんで帰ってきたんやっけ?」と笑いながら聞いてくる。
帰省するにも理由が必要な歳になっている。多分いつもと違う私の様子を感じていたんだろう。
「んー、療養かな」と軽く答えると、「ポンボールはほどほどでええんやからな」と言ってきた。
本当にその通り。
芝居を続けるために、もう一本軸作ろうと思って始めたことで自分の首を絞めていた。
この時は芝居に命を救われたような気分だった。芝居があって良かった。
芝居を通じて落ち着いてきた時に、ある大手酒蔵が大手8社に対してポンボールを提案してほしいとお願いしてくださった。
ポンボールに関して意気消沈していたから、とてもありがたい話で張り切ってプレゼン資料を作り、zoomなのに汗をかきながら20分間プレゼンした。
「ポンボールがターゲット層に刺さることは理解できたが、コラボイベントは難しそう」とのことだった。その理由も理解できたから了承した。
しかしその1ヶ月後に衝撃的なメールが届いた。
「この夏、日本酒のソーダ割り『日本酒ハイボール』を全国で実施していくことになりました」
はて?
すぐには理解ができなかった。
なるほど、こういうやり方が現実にあるのかと知った。
ポンボールをもうやめようと思った。
大手がやればすぐに全国規模で動かせて、一人で地道にやってもただずっと道が続いていくだけだと思い知らされた気分だった。
すべてがアホらしくなった。日本酒を飲む人が増えればいいなという純粋な気持ちを平気でへし折ってくる人が多い。
展開しようとすると何かブレーキがかかるため、「もしかして日本酒ってまだ女性が関わっちゃダメなの?」なんてくだらないことまでよぎってしまった。
現に会議に女性は一人もいなかったけど、こういう時の思考回路は非常に狭く、悪循環しかない。
これが心壊れた二度目の出来事。
一度目と違って成長していたのは、心の違和感に自分が気づいてあげたことと、壊れる前に人に話すことを意識していたこと。
そのおかげでリアルタイムで人に相談することができた。これは今年の大きな進歩の一つでもある。
人に相談したり、頼ったりが大の苦手で、ずっと全部事後報告になってしまっていた。
「こんなことあってさ〜、こうやってん」と現状通常運転の私が過去形で話すことばかり。
それを話せる相手がいるのもありがたいことだけど、過去形で話すのをやめようと思った。
やめようと思ってもなかなか難しいけど、一度心を壊すと、もう二度とあの時間を経験したくない気持ちが強めに湧いてくる。
それでも一人で考えていると、その時間に引っ張られてしまう。
なのでそうならないためにも、人に話して相談するようになった。そうすると日常の些細なことでも「これでいいと思う?」と聞けるようになった。自分が渦中にいる時にいかに人に話せるようになるか、これを上半期は特に意識した。
この大手さんたちに関しては、夏以降「日本酒のソーダ割り」が飲食店や酒屋で見る機会が確実に増えている。最初は悔しい気持ちが強かったけど、周りの人たちの支えのおかげで、今はどうでもいいと思えてきている。
というのも、これ以降気をつけたのは、自分の半径5メートル以内の人たちの依頼と提案に誠意を込めて応えたいと思えたから。
「ポンボールやめようと思う」と話したら、愛を持って引き止めてくれる人たちがいた。今ではやめようと思ったことすらアホらしく思えるけど、その時は簡単に浮かんだ選択肢だった。
でもポンボールをやめるということは、生きる希望を一つ失うことでもあった。
そこまで考えさせられた出来事二つが、しばらくの間、許せなかった。体調も安定しない元凶だったから。
だけど、結局それも自分が招いたことだった。だから「自分が許せない」にだんだんシフトチェンジしていく。
そこから、周りと比べ始める。「自分よりもっと大変な人がいる」そんなこと思ったら、「こんなことで」いつまでも落ち込んでたらダメだ、自分で向き合って戦っていかなきゃ、と無理に立ち向かおうとすると、人に相談もできなくなってまた心も体もおかしくなる。
この循環が上半期はずっとあった。「こんなことで」というのは人と比べた結果の言葉だと思う。人と比べても何にもならない。
全部自分が招いているということ。じゃあ、招く自分が変われば、招かられる出来事も変わるんじゃないか。そこに行き着いた。
そして楽になった。全部自分だから誰かのせいにすることがなくなって、人と比べることもなくなり、自分一人で立ち向かおうとするのもやめた。
と言っても、何でもかんでも人に甘えて頼るということではない。自分で立ち向かえるために、自分の不器用さと不出来を受け入れた上で、人に頼るということを意識してみた。
そんな私を最初は意外がる人たちもいたけど、みんなすぐに受け入れて丁寧に応えてくれる人ばかりだった。話を聞いてくれる人たち、気を遣わず頼らせてもらえる人たちに感謝だった。
私もそんな人になりたいと思う。お手本はいつも自分の周りにたくさんいる。まだまだ人間修行中だなと思う。
二度心を壊したおかげで、生きている限り人間修行だと思って生き始めることができた。
今、こうして上半期の出来事を振り返ってみても、ネガティブなことではなく、ポジティブな感情だけが湧いてくる。あの時のおかげで、周りの支えになる人たちのありがたみも増した。
というわけで、今はあの出来事たちに心から感謝できている。そのおかげで、今の有り難みを実感しながら生きていられるから。
そして、上半期の日本酒嫌いになりそうな気持ちを打ち消してくれるように、下半期は報われるような出来事も多い。
ポンボールの商品化が決まり、それに伴い、協力してくださる酒屋、賛同してくださる飲食店の皆様、本当に様々な方達の応援のおかげでポンボールを続けられている。
絶望的な経験も生きている限り生きる希望に繋げていける、なんて元気な時にしか感じられないけど、2024年以前以後と言えるほど、人生において大きな変化になった。
以前以後で一つ確実に言えるのは、日本酒を以前よりもさらに楽しく美味しく飲めるようになっている。それは乗り越えた先のご褒美のような味覚をゲットした気分。
「何事も無駄なことはない」なんて絶望的な時は1ミリも思えないけど、後になってそう思えたら十分だし、そう思えるようになった自分のちょっとした変化の成長をふわっと包んであげたい。
日々色々あっても、人間修行中と思えば面白くなってきた。