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晴れを知らせてくれる人がいること ー「転職ばっかりうまくなる」を読んだ
(以下、ネタバレを含みます)
ひらいめぐみさんの「転職ばっかりうまくなる」を読んだ。
私は「個人的いい感じ本屋」を巡るのが好きなのだが、「転職ばっかりうまくなる」は発売直後の2024年1月初旬から、そのいい感じ本屋で高確率で見かけるようになった。
見かけはじめた当初はなんとなく手にとる気がしなかった。
というのも、2024年2月現在広告会社で働く社会人3年目の私は、2023年の秋から冬にかけて人生初の転職活動をしていた。
ありがたいことに志望度が高い準コンサル的な企業から内定をいただけたが、その一方で社内異動の筋も見えてきたことから転職内定を手に異動交渉をすることにした。
社内の様々な人に助けてもらいながら同時に社内の様々な壁にぶつかったりもして、毎日のように泣いている週もあったが12月頭には異動の方向で話がまとまった。
ほっとしたのも束の間、会社の費用で申し込んだ資格受験日が12月末と迫っていたことから資格勉強に追われ(資格には無事合格した)、10月半ばから始めた転職活動からのバタバタは仕事納めと同時に終わった。
そんなこんなで転職話はお腹いっぱいになっていたことや、今働いている会社は半分以上が中途社員ということもあり今の会社が3-4社目という人もそこそこいる環境の中で日頃から転職談を聞いていたことから、(主に前者が理由であるが)積極的に転職を題した本に手を伸ばす気になれなかった。
1月半ばのある日、いい感じ本屋開拓デーに以前から気になっていた西荻窪のBREWBOOKSに行った。
そこにも「転職ばっかりうまくなる」が置いてあった。
それまでに二度ほど本屋で見かけるも手にとらず、ということをしていたがその日はなんとなく手にとる気分になり、目次を開いてみた。
私は目次を一通り見た瞬間、すぐに買うことを決めた。
目次
一社目 倉庫、コンビニ
はじめての転職活動
二社目 営業
はじめての休職
三社目 webマーケティング
四社目 書店スタッフ
五社目 事務局・広報
六社目 編集・ライター
七社目 ライター・作家(フリーランス)
作者のひらいさんの職業遍歴になっている目次を見た瞬間、
「これ、私が生きていたかもしれない世界線の話だ」
と思った。
私は社会人2年目も終わりに差し掛かった2023年の1月頃、仕事で猛烈に病んでいた。
やってもやっても終わりが見えない増え続ける仕事、クライアントも社内担当者も癖が強い案件、本来担当外の未経験領域を任された責任が重い案件、またそれまでの1年間ほぼ毎日12-13時間勤務だったことや、入社以来ずっと在宅勤務が中心だったことなどの蓄積が重なり精神面も健康面も徐々に蝕まれていった。
食事も面倒になり朝に仕事の片手間で食べ始めた菓子パン1つが夕方になってもまだ食べ終わっていなかったり、平日はお風呂に入れなかったり、週末も日曜の昼を過ぎると憂鬱になり日曜の午後にはとても外にいる気分になれなかったりと生活にも支障が出始め、一時は休職も考えた。
そんな状況で考えていた転職先が書店スタッフとライターだった。
実際に好きなチェーンの書店がアルバイト募集をしているのを見つけ応募をしたり、ライターの募集要項を見てエントリーシートを書きかけたりした。
出版社に転職した元同期に話を聞きにいったり、書店スタッフのさらに先の夢として個人で本屋を開業した人の本を読み漁ったりもした。
それらの仕事に近づこうとする作業が一種の現実逃避として癒しになっていたが、それでもやはり転職による私生活への変化が怖くて踏み切れなかった。
そんな中、運良く社内で組織改編があり業務量が落ち着いている部署に異動できることとなった。すでに応募をしてしまった書店に対しては丁重に面接辞退の連絡を入れた。
そして異動先で無理のない働き方をして心身ともに回復したところで、また別軸で思うことがあり冒頭に書いた転職活動に至った。
もしあの時、もう少し勇気があったら今頃書店員かライターになっていたかもしれないという思いを持ち続けていた中で「転職ばっかりうまくなる」を手に取り、自分の中のたらればを成仏させるかのように一気に読んだ。
(余談だが、私は大学時代に日雇いで数回ではあるが大手アパレル会社倉庫でのバイト経験があることもあり、冒頭の倉庫バイトエピソードから画が浮かびかなり入り込めた。)
読了し、私の何倍もタフなひらいさんの視点を通してたらればの世界をたくさん見せてもらえた中で一番心に残ったのは転職に直接的に関係ない、ひらいさんの倉庫バイト時代の先輩とのやりとりだった。
Yさんはときどき、倉庫のちいさな窓を開けて、「ひらめん、春の匂いがするよ!」とか「見て夕焼け!」とか、ささいな日常の変化を教えてくれたりもした。その後何度か転職してみてショックだったのは、そんなことを共有し合える人は、社会人になるとあまりいない、ということだ。どんなに空がきれいなグラデーションを描いていても、外から春のこもれびのような、やわらかな甘い匂いが香ってきても、それを同じように喜んでくれる人を会社の中で見つけるのは難しい。
私にも、晴れを知らせてくれる会社の先輩がいる。
私が社会人2年目になりたての4月に午前4時のカラオケで、その先輩も私もマイナーアーティストのマイナー曲を知っていることが判明したことがきっかけで意気投合した。
(ちなみにその先輩は、この記事で書いているKさんである)
その先輩とは週末も遊ぶほどの仲になり、仕事の相談も頻繁にするようになった。
社会人2年目の冬に訪れる病み気の予兆は夏ごろからあったのだが、その頃から先輩はよく気にかけてくれていた。
快晴の日、先輩は私へ
「おさ、今日窓開けた方がいい!めっちゃいい天気だ!」
などと晴れを知らせる連絡をくれた。
私はその当時、基本在宅勤務で日当たりが悪い実家の自室で1日中仕事をしていた。
昼間でも電気をつけないと薄暗く、今から思えば病みの予兆もしくは一因でもあったのだが、カーテンを開ける労力も惜しんで外が晴れているのか雨が降っているのかも分からないまま仕事をしている日も多々あった。
平日は一歩も外に出ないことの方が多かった。
そんな私の状況を見抜くかのように、先輩は快晴の日には必ず晴れを知らせる連絡をくれた。
先輩の連絡きっかけにカーテンと窓を開け、数日ぶりにまともに日の光と外の空気に触れる。
一日中張り付いているPCの画面とは全く異なる時間の流れ方をしている外ののんびりとした空気を吸うことで、生活における仕事の本来の矮小さを思い出させてくれたことが何度もあった。
同時に、先輩がこの暖かい日差しの先に私を思い出して連絡してくれたことは、紛れもなく愛だと思った。
異動により病み期から脱し、心身ともに健康を取り戻した私は実家を出て一人暮らしを始めた。
都心からはやや外れているが家賃の割には少しだけ広くて、何より南向きでとても日当たりが良い部屋だ。
天気が良くても悪くても、カーテンも窓も開けるようになった。
私は「ぜったくん」というアーティストの Parallel New Days という曲の歌詞の一節が好きで、人生のたらればを考え始めたときにふと思い出すことがある。
会いたい君と
描いた世界上でも
同じさどちらも
幸せの総量は同じにできてた
今いる世界線楽しもうぜ
私が先輩からもらった「めっちゃいい天気だよ」や、ひらいさんが先輩からもらった「春の匂いがするよ!」「見て夕焼け!」は、「月が綺麗ですね」と同義だと思った。
綺麗なものを見せたい。見れた嬉しさを味わってほしい。暖かさやいい匂いを感じてほしい。
そう思い合える人と出会うために、私は自分で選んだ場所で生きている。