おさ かな湖

1998年生まれ。会社員。プーさんのぬいぐるみをずっと干している家の向かいに住んでいます。

おさ かな湖

1998年生まれ。会社員。プーさんのぬいぐるみをずっと干している家の向かいに住んでいます。

最近の記事

きみは自分の服から出た糸くずを異国に捨てていけるか

 わたしは捨てていけない。 糸くずの気持ちを考えるとあまりにも切なすぎるからだ。  躊躇なく異国に糸くずを捨てていけるという人は、服の一部として何度も同じ季節を過ごしてきた糸くずを、あるいは下着として誰よりも近くで自分に寄り添ってくれた糸くずを、異国でサッと払ったものならばその糸くずが二度と日本の土を踏むことはできないのだと考えたことはあるだろうか。 言葉もわからない地で、異国の人々に踏まれて一生を終える糸くず。 帰国後も、異国の地でもう土になったかもしれない糸くずのこ

    • リトルトゥースの綿毛たち ー オードリーANN東京ドームの帰り道

       オードリーANN東京ドーム公演に行った。  開演前、スタンド1階席から会場を見渡すと天上席までびっちりと客が入っていた。 自分たちのことが好きな人たちがこんなにいるなんて、いや目の前にいる人数のさらに数倍もいるなんてどんな気持ちなんだろうと考えたら始まる前から泣きそうになってしまい、いやいやまだ早いとなんとか涙を引っ込める。  公演は本当にほんとうに素晴らしかった。 公演前は「ドームで何を話すんだろう、ドームで話すにふさわしい話題って何だろう」と思っていたが公演が始

      • 自由律俳句(供養)

         数年前から、又吉さんとせきしろさんの自由律俳句「カキフライが無いなら来なかった」シリーズや、かが屋の加賀さんと白武ときおさんの「エロ自由律俳句」シリーズをきっかけに自由律俳句が好きになった。 いずれの自由律俳句シリーズも共通して、たったひとことなのにその情景が恐ろしいぐらい鮮明に浮かぶ。そんな「記憶のzipファイルの解凍キー」みたいなところが好きだ。 それから自分でも思いついたものを気まぐれでメモしていたのでこちらで供養します。 ***

        • 晴れを知らせてくれる人がいること ー「転職ばっかりうまくなる」を読んだ

          (以下、ネタバレを含みます)  ひらいめぐみさんの「転職ばっかりうまくなる」を読んだ。  私は「個人的いい感じ本屋」を巡るのが好きなのだが、「転職ばっかりうまくなる」は発売直後の2024年1月初旬から、そのいい感じ本屋で高確率で見かけるようになった。 見かけはじめた当初はなんとなく手にとる気がしなかった。  というのも、2024年2月現在広告会社で働く社会人3年目の私は、2023年の秋から冬にかけて人生初の転職活動をしていた。 ありがたいことに志望度が高い準コンサル的

          「俺以外は全員E、俺だけI」| 26歳(2024年)

          「おさ はさ、I?E?」 「私、Iです。」 「やっぱりそうだよな、そんな気がしてた。俺もIなんだよ。」  MBTI診断(16Personalities)の、診断結果の頭文字の話だ。  私はINFP、仲介者だ。 ネット上ではINFPは社会不適合者などボロクソに言われていることがあるが、私個人としては「なんかまあ深く考えがちで穏やかな人間が分類されるところだろう」くらいにしか思っていなかったり診断結果文も好きだったりする。 特に、INFPを象徴して引用されているこの言

          「俺以外は全員E、俺だけI」| 26歳(2024年)

          「出身大学は秘密です」| 17歳(2015年)

           私には四歳年上の兄がいる。 兄が小学四年生になったとき、両親の「私立の中高がどんなものだか見てみたい」という考えで兄は半強制的に中学受験をすることになり、無事に合格した。  両親は私にも、兄のときと同じように「私立の中高を受験しなさい」と言うものだと思っていた。 しかし実際には「お兄ちゃんの受験で私立の中高がどんなものか分かったから、あなたは私立でも公立でもどっちでもいいよ」と言われた。 自分も兄と同じように、小学四年生になったら青地に塾の頭文字「N」が光るリュックで

          「出身大学は秘密です」| 17歳(2015年)

          「私、死にたいなんて思ったことなかったからびっくりしちゃって」 | 16歳(2014年)

           中学・高校の頃、毎日漠然と死にたいと思っていた。  私立の中高一貫校に通っていたが、本当に馴染めなかった。高い学費を払って通わせてくれた親には大変申し訳ない。中高六年間ほぼ毎年、ひとりぼっちにならないようにするための「友達」と一緒にいる日々だった。その友達がクラスで一人だけのこともあったし、本当にひとりぼっちな時期もあった。  その後どうにか大学で社会性を取り戻し今はそれなりに眩しい業界の端っこで会社員をやれているが、今の心持ちであの中学・高校に戻っても多分クラスには馴

          「私、死にたいなんて思ったことなかったからびっくりしちゃって」 | 16歳(2014年)

          バグース | 15歳(2013年)

           「バグース」という単語を初めて知ったのはネットカフェからでもなくダーツバーからでもなく、中学三年生のときの担任・I先生の口癖からだった。  バグースはインドネシア語でGoodのような意味だ。I先生が以前インドネシアの日本人学校で教えていたとかいう経緯でI先生の口癖になっており、何か良いことをすると「バグース!」と褒めてくれた。  I先生は当時四十代の男の先生で、癖の強さと繊細さがぐちゃぐちゃに混じり合っている人だった。  事あるごとにジャッキー・チェンの話をし(昔は校

          バグース | 15歳(2013年)

          眉毛は抜くな | 12歳(2010年)

           小学五年生の時、新しく音楽担当の女の先生が赴任してきた。 当時四十歳前後だったと思う。最初の授業で黒板にとても美しい字でフルネームを書き、自己紹介もそこそこに「私の名前の字面、すごく綺麗でしょう?自慢なの!」といきなり字面の美しさポイントを説明し始めインパクトを残した彼女は、その美しい名前の名字にちなんで「濱ちゃん」と子どもたちから呼ばれていた。  濱ちゃんは身長が高くて、声も大きくて、面白くて、もちろんピアノも歌もとてもうまくて、すぐに子どもたちの人気者になった。私も

          眉毛は抜くな | 12歳(2010年)