肌の記憶
おはようございます
あなたの今日はきっと今から始まるのかな
私が洗い物をする時、自分と同じ事をしてる人は世界にどのくらい居るのかを考えてちょっとした音楽をかけて大きな括りで縛られてたまるか!と宇宙の検索欄に引っかからないよう生きてます。
電車の座席上の荷台はもはや意味をなさなくなったと言うのに消えない
そんな風にひっそりと社会に溶け込む自分は嫌いじゃない
写真という括りに関しても上記の様に感じる
田舎に越して理解した
東京に選べぬ程の店があり、夜が来ない事
まさに保温したままの炊飯器の様だな(笑)
日本人なら新米を炊いた事はあるよな
(無いならぜひ炊いてほしい)
もう直ぐ炊けるな…と音の前に匂いがやって来てピピッ!しゃもじを立てて底からかんもす
お米のツヤと香りは日本人の誇りそのもの
一粒一粒個性はあるというのに私はなんとも思わず大きく口に運ぶ
お米は数があってのご飯
まさしく東京。
米ニケーションが炊飯器内で行われていて、お米をほぐした後、再米ニケーションが行われる
そうやってさらに美味しくなるのだろう
こんな例え、自分はアニミズムだと主張してるみたいだな。実際そうだと思うけど
そんなこんなで半年は都内というほかほかの釜の中から離れ甘酒や麹になろうとした生活が始まる
私にとって"自分"を写す行為は自分が思い描く"自分"と違う"誰か"の写るよくわからない写真だと思っている。人に撮ってもらう行為は背景があり撮り手の心情が肯定する写真となるが、セルフィーは全て一人で担うこととなる。
これは自分のための写真なのだとはっきりわかる
18歳の頃から深い悲しみの度に写してきた
大人になるなんて図々しいが、環境変化もありその波もやんわりと形を変える様になった
同時に写真の形も変わっていった
私は甘くなれたのか苦くなれたのか
食べてもらわなければわからない
写真をお召し上がりくださいませ
まだ嫌な事から耳を塞いでる自分はいるけれど
多分そんな自分が好きなんだと思う
何者にもなれないと塞いだ自分は
何者にもなれる自分だという事
基本として何も求めない私が唯一思う事、今でも過去でもなく未来のその人の事が好きなのであればいい友達になれるのかなって
何者かになるという事は言語化できてしまう人になるという事だ
いい意味で言語化し難い存在でありたい
22歳の肌の色
少し日焼けしてシミができた
ホクロも増えたし
吹き出物の位置も変わったみたいだ
知識を食べるようになった
美味しい料理を作る様に、いい焼き加減を見つけそれが毎日に溢れ出す
引き算のやり方は何通りとあるが、貴方通りで引けばそれは貴方だけの素敵な食事になるね
足し算も引き算も数字にしなければ全てが貴方だけのものになる
私はこうして自由に写真を撮れる世界で嬉しいと思う。
読んだ本の中に"自由な表現ができるという事は平和である事だ"とあった
ごもっともでございます。
もし戦争が起こったら写真を撮っている場合ではないし生活という言葉が無くなる
今の私に頭の中はお花畑だなぁと言ってもこれは悪口ではなく事実になるだろう
いつかできなくなるその日まで
できる事はやらなくちゃ
平和だから何者か問うのだろう
そうじゃなくなった時、皆兵士になり変わる
何者か問われる方がよほど良い事だと思える
切花はいつか枯れるとわかっていて、最後まで綺麗なのか?
花に言葉はないけれど理解不能な花が私に与えてくれる力はとても大きい
最後に
この世界で一番美しいものはなんですか?
私は自分の眼だと思います
きっとそう信じたいから言葉にします
読んでくれてありがとう。
嫌だとか悲しいとか怒りとかいわゆる不の感情はダメなんじゃなくて実は一番味方なんだぜ
あったかく過ごしてね