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頑張る、我を張る。

大学生の頃、「がんばれ!」って言うことも言われることにも、抵抗感を抱いていました。何だか、無責任な言葉なような気がして。

けれど、社会人になって気づけば、先輩や上司、クライアントの方にさえも「頑張ります!」って言っていたように思います。

そんなことを思い出した、今。

なぜ、抵抗感を抱いたのか?

学生時代、なぜ抵抗感を抱いたのか。自分の中で思いを巡らしてみようと今このnoteを書いてます。

浮かんだ理由は、「頑張る」って具体的な動作を思い浮かべることができないこと。

私は、何をどうするの?相手の何をどう応援するの?そんな疑問が、心の潜在的な部分で生まれるのだと思います。

だから無責任に頑張るって言いたくないし、言われたくもなかったのだと。(めっちゃドライでメンタルマッチョで尖ってるな、学生時代の私w)

社会人の私

社会人になり、まだまだ慣れない仕事に家事。

今まで、親がやってくれていたい身の回りのことに本当に有り難みを感じながら過ごす日々が続きました。仕事をして、自分の身の回りのことをして。当たり前だけど、慣れないからこその疲労を感じていました。私の場合、家事もちゃんとしなきゃと思うタイプで、夜は、社内やクライアント先との飲み会に率先して参加していることもあり、基本自炊。毎日弁当を作っていたし、食べるものも惣菜や冷凍食品などを一切買わず、健康を意識してました。(今でもそれは変わらないけど)

どんどん疲労が溜まり、仕事も溜まり、自分でタスク管理してはいても、ピーク時は、「断ることが面倒」みたいな時期があって、仕事を引き受けまくっていました。そういう日々を過ごしていると、「できる?」と聞かれると「頑張ります!」と脳みそを通過することなく、口からぽろっとでてしまう。

気がつけば、私があまり無闇に使わないようにしていた「頑張る」という言葉を連呼していたのです。

頑張るとは何なのか。

そんな長い回想をしながら、結局「頑張る」って何なの?と思うわけです。(笑)

ネット上の情報になりますが、「頑張る」とは「我に張る」もしくは「眼張る」という言葉に由来するようです。

自分を押し通す、競争し、自分の利益を優先させることが頑張ること。

これが本来の意味らしく、否定的な言葉だったようです。自己中心的に己の目的を達成してやる!そんなイメージでしょうか。

今でもそのような意味合いで使えわれることもあるかと思いますが、私の主観にはなりますが、現代の「頑張る」という意味は、変化しているように思います。

【ポジティブな表現】
・前向きに努力すること。
・励ましの言葉。
【ネガティブな表現】
・耐えながら、我慢してやり抜くこと。

こうして、由来や本来の意味と現代の言葉の使い方を照らし合わせてみると、私が抱いていた抵抗感がしっくりきます。

言葉は時代によって意味が変化するものですが、本来の意味の名残りがあるからこそ、使う際に何かしら違和感を抱くのかもしれません。

個人的には、やりたいことをやっている、つまり前向きに努力すること時に適した他の言葉が欲しいです。(笑)

きっとその時、その人は、頑張ってないから。

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