◆読書日記.《諸星大二郎『マッドメン〔完全版〕』》
※本稿は某SNSに2018年9月3日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
いま更ながらですが、巨匠・諸星大二郎先生の代表的な長編マンガ『マッドメン〔完全版〕』読みました!
この時期の諸星先生の漫画はネームも情報量も多いので読むのに時間がかかるかと思っていましたが、読み始めたら面白くて一気に読んでしまいました!
さすが、これ程のプロットを思いついて作り上げられるのは諸星先生くらいのものでしょう。
一読、宮崎駿監督の『もののけ姫』に雰囲気が似ているな、と感じました。
そう感じたのは、本書の物語構造が「森の中の勢力争い」に「文明と森(自然)との勢力争い」が絡んでくる三つどもえのヘゲモニー闘争となっている点が、『もののけ姫』的であったからでしょう。
それにしても、相変わらずこの時期の諸星先生の知識の該博さには驚かされます。
『暗黒神話』で展開した古代史的な知識にプラスして、今回は明らかにジェームズ・G・フレイザーやレヴィ=ストロースらの文化人類学の知識をちゃんと抑えているところが、普通の漫画家離れしていると思いました。
諸星先生に共同原作者がいたという話は聞かないので、恐らくプロットも全部ご自分で考えて作られているのでしょうが、このように専門的な学問の分野に自分なりの大胆な説を持ち出すといった内容のものを漫画家さんが考え出すというのは、なかなかあることではないと思います。
カーゴ・カルトとノアの伝説をつなげる力技は、まるでロジェ・カイヨワのような発想力を感じました。
そのほかにも本作では、名作の名に相応しいくらいに、いくつものテーマを語ることができると思います。
例えば本作では、主な舞台となるパプア・ニューギニアに乗り込んできて、未開民族の伝統的古代宗教を「迷信」だから捨てなさい、と諭して西洋式の技術と教育、そしてキリスト教を授けて文明開化してもらおうとする西洋キリスト教の神父らが出てきます。
ここで改めて考えてみれば未開民族の伝統的宗教とキリスト教との間に価値の優劣はあるのでしょうか?
西洋諸国の文化人類学者の先遣隊となった宣教師の人々は、そういった未開民族の文化の観察と破壊の両方を同時に行っていたという批判があったそうですが、本作でも明らかにそういう宣教師らの行動に正義はないという書き方がなされています。
キリスト教と伝統的古代宗教の間に論理的な優劣や倫理的な優劣などは存在しないのではないか――確かに、伝統的古代宗教を「迷信」だと退けてその文化を破壊してまで西洋文明を押し付け、同じように神を信仰する「迷信」であるキリスト教を「正しいもの」として押し付けるのは、単なる西洋的優越感から生まれる慢心でしかないのかもしれません。
本作では、カーゴ・カルトとノアの伝説の根元が繋がっていることを示すことで「ノアの箱舟の伝説」と、ほとんど同じ物語構造の伝説がパプア・ニューギニアの伝統的古代宗教にも伝わっているという事実を提示していますし、またはアダムとイヴの伝説を、カウナギとナミテの伝説と、はたまたイザナギとイザナミの伝説とつなげ、レヴィ=ストロースのように各地の神話の関連性をつなげることで、それら各地の宗教が似たような伝説を信じている、何ら優劣のない対等な「文明」であり「宗教」であるということを示しています。
逆に、いわゆる未開人と呼ばれる人々の伝統的宗教のほうが、神や祖先の教えを忠実に守り森と精霊と共に生きる伝統的な文化を守っているという点では、進歩主義が進みすぎて宗教的な生活から離れ始めている現代人よりも"宗教人"としては正しい宗教的態度であり、宗教的に正しい生活を送っているのではないかとさえ思えてしまいます。
ここら辺の西洋文明と未開人の伝統的文明とを対比して相対化するやり方は、どことなくレヴィ=ストロースの『野生の思考』と似たようなスタンスを感じます。
産業技術が発展した西洋のほうが未開人よりも頭がいいとか倫理的にも進歩しているとかいうことはない、未開人には未開人なりの『野生の思考』があるのだ、というように。
いわゆる未開人と呼ばれる人々の生活レベルが大昔から変わっていないということは、単に「進歩していない」という事を意味するのではないと思います。
進歩していないのは、進歩する必要がないからに他なりません。長いあいだ同じような文化や生活を続けても何ら支障がなかったからこそ、その文化が続いているわけです。
つまり、本来なら西洋文明さえ流入してこなければ、「知恵の実を食べる前の楽園の中にいるアダムとイヴ」のように、延々に同じ暮らしぶりを続けていた事でしょう。
鎖国をといて無理やり西洋化した日本にも言える事ですが、自国の風土に合わない文化を入れればどこかで必ず「歪み」が生じるものです。
西洋的な産業革命的技術文明を取り込んだことによる「歪み」はいま現在、世界中のあちこちに広がってきているとは言えないでしょうか。
アフリカでは国のないところに西洋列強が無理に国を建てたことによる混乱が未だに続いています。
これは東南アジアから中東にかけての国々の混乱についても同じ事だと思います(こういった世界の紛争の構図はティム・マーシャル『恐怖の地政学』などで詳しく見る事が出来ます)。
西洋人が南半球の国々を劣ったものとして見る「慢心」のようなものは、現在に至ってもまだまだ消滅はしていないのではないでしょうか。本作を読んでみて、思わずそんなところまで考えてしまいました。
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