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◆読書日記.《山口昌男・監修『反構造としての笑い 破壊と再生のプログラム』》

※本稿は某SNSに2021年10月31日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 山口昌男/監修『反構造としての笑い 破壊と再生のプログラム』読了。

『反構造としての笑い 破壊と再生のプログラム』

 ……したのだが、本日はレビューを書いている時間的余裕がなかったので、本書については特に気になった所だけについて簡単に紹介するにとどめよう。

 本書は『道化の民俗学』にて西洋の「道化」の役割を文化人類学的に説明した山口昌男が慣習となり、様々な「笑い」に関する随筆や論文、対談集などを集めた文集である。
 執筆陣は作家の萩野アンナや日本文化史の黒川創、演劇論の藤井康生、江戸文学論の田中優子、落語の桂枝雀師匠までいる豪華さ。
 そんな様々な分野の専門家が多角的に「笑い」とは何なのかという問題について考察を行っている。

 とは言え、自分にとって本書での白眉は何と言っても人工知能研究のマーヴィン・ミンスキーの論文「ジョークと認知的無意識の論理」であった。

 人類学や生物学、思想哲学などの分野からの「笑い」の研究については良く見かけるアプローチだったが、この論文のアプローチは目から鱗が落ちる思いであった。

 ミンスキーのアプローチの発端は、フロイトが論じていたジョーク論から始めるというものであった。

 フロイトは精神が我々に「禁止された考え方」を取る事を困難にさせている心的な「検閲官(センサー)」を、ジョークがどのように克服するのか、という事をその試論にて説明しているのだというのである。

 人工知能やCPUなど、論理的で整合性の取れた思考の処理を行うシステムの場合、「パラドクス」のような、論理によって答えが出ない問題であったり、自己言及的な問題によってロジックが無限ループしてしまうような問題に行き当たると、いつまでも考え続けてフリーズしてしまうという事がしばしばおこる。

 例えば誰かが人工知能に「私がいま言っている事はウソです」と言った場合、人工知能は「もしそれが嘘なら嘘なんかついていない事になるためにその発言は本当になる。しかし、それが本当だとするならば「嘘だ」と言っている事は嘘という事になるし、それならば~~」という形で無限ループが始まってしまう。

 このような正当なロジックによって問題を解こうとすると無限ループが起こってしまうような、パラドクスのような問題というのは、そういった人工知能にとっては真剣に考えさせられるような問題なのかもしれないが、われわれ人間にとってみれば思わず笑って済ませられてしまうような他愛もない話であったりする。

 例えばローマ帝国の歴史家、政治家であったスエトニウスが言ったと言われるパラドクス「ゆっくり急げ」といったような矛盾した言葉は、人に笑いを誘う力がある。

 古今東西のあらゆるパラドクスを集めたP・ヒューズ&G・ブレヒトの『パラドクスの匣』にはこの手のパラドクスが数多く紹介されているが、その中にはスエトニウスのパラドクスのように思わず笑ってしまうようなものも多い。
 
 試しに『パラドクスの匣』から、なかなか傑作だと思えるパラドクスをいつくか引用してみよう。

 デュマ・フィス「あらゆる一般通念は危険である。そういう一般通念でさえ」

 トリスタン・ツァラ「原則として、わたしは原則に反対である」

 ルイス・ブニュエル「神に感謝するが、わたしはいまなお無神論者だ」

 禅の言説「片手で拍手すると、どういう音がするか?」

 アルフォンス・カール「変われば変わるほど、それは同じものだ」

 スウィフト「無常ほどこの世で不変なるものはない」

 人工知能的なアプローチで考えれば、こういった無限ループを誘う意味のない言葉についてまで、真正面から真面目に突き詰めて考えてしまうというのは、きりがないので危険なのである。

 どこまでロジックを進めれば「それを考えるのはバカバカしい事だ」と結論付ける事ができるのか? それをどう学習するのか?

 例えば、これをある種の精神的な障害を抱えている人に「ゆっくり急げ」といったような矛盾した命令を与えれば、その人は一生懸命「ゆっくり急ぐ」事を実践しようと、ゆっくりしたり急いだり……と試行錯誤を繰り返して混乱に陥ってしまうだろう。

 矛盾やパラドクスはロジックの"バグ"なのである。

 普通の人はそれを即時に「考えるだにバカバカしい問題だ」と悟って、そのロジックを進める事を「笑う事」によって中断するのである。――これが、フロイト的な「禁止された考え方」を取る事を抑圧する心的な「検閲官(センサー)」として働いている「笑い」という心的システムなのであった。

 ミンスキーはこのように、人間が「笑う」という問題を、人工知能的なシステムが「笑い」を成立させる条件を考えていく事によって解き明かそうとするのである。

 昔の西洋の考えでは「笑いの原理」は凡そ「優越論」と「嘲笑論」の2つに分けられると言われていた(『現代思想』1984年2月号・特集「笑い」を参照の事)。U・エーコ『薔薇の名前』にも出てきたように西洋ではかつて笑いは「悪」と捉える考えがあった。
 以前、柳田國男『不幸なる芸術・笑の本願』をご紹介した際も、日本の笑いの源流を柳田が「笑いは一つの攻撃方法である」といったネガティブな形で主張していた。

 それに対してミンスキーの理論は「笑いは善か悪か」といった思想・哲学や歴史・民俗学のスタンスとはまったく違った切り口なのが面白い。
 この論文の説明は本書の中でも非常にロジックが厳密で説得力が高く、今までの「笑い」論にはないユニークな視点があったと思う。


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