老いはどのように進むのか?82歳の祖母と見つめた時間の流れ
実家で、82歳の祖母としゃべった。
何年も通っていた体操教室が参加者の高齢化のため、なくなってしまったと嘆いていた。
「どうやら、80が境目みたい」
80歳を越えると、見事に体が悪くなってきた。
朝起きて、着替えて、洗濯して、ご飯食べて、お風呂入って
日常生活でで精一杯になってきた。
友達たちも入院したり、免許返納しはじめてるそう。
最近までは、行き慣れた場所へは自分で運転していた。認知症ではまったくないけど、たまに運転中にめまいがする時があるから、自動車免許返納を考え中。
まだ自分で歩けるけど、行きたい場所へ行きにくくなってきた。
バスやタクシー、娘、義理娘を頼るようになって、これまでは何とか、体操教室に通うことができていた。
「老い」というものを身体感覚で実感している声を聞いた気がした。
身体の衰えと共に、自分でできていたことができなくなっていき、
誰かを頼るようになったり、頼る先が変化していく。
その中で大切なのは、
頼る先がたくさんあること?頼る先の存在を知っていること?
太くて頑丈な頼り先があること?頼り方を知っていること?
お金をたくさん貯めていること?・・・・
改めて考えるきっかけになった。
争うことができない変化に対して、人は何を感じ、考えるのであろうか。
日本人女性の健康寿命はおよそ75歳だったことを思い出した。