量子力学と神のいたずら?世界が「一つに決まらない」理由
「猫は箱の中で生きているのか、死んでいるのか?」―― 量子力学の世界では、観測するまで答えは「両方」なのです。これは、シュレーディンガーの猫という思考実験に代表される、現実の曖昧さを示す概念です。ボーアやハイゼンベルクといった科学者たちは、この「確率の宇宙」を研究し、その不確実性の奥に潜む深遠な真理を探求しました。
本記事では、量子力学が示す「決まらない世界」の不思議と、科学者たちが抱いた宇宙への畏敬の念について考えてみましょう。
「確率の宇宙」とは?ボーアとハイゼンベルクの考え
20世紀初頭、物理学の世界は「決定論的な世界観」からの脱却を迫られていました。ニュートンの物理学が支配していた時代には、未来はすべて予測可能なものでした。しかし、量子力学の登場により、科学者たちは**「観測するまでは状態が確定しない」** という驚くべき現実に直面します。
ニールス・ボーアとヴェルナー・ハイゼンベルクは、量子の世界を次のように説明しました。
観測するまで状態は決まらない
例えば、電子は観測されるまでは「粒子」でありながら同時に「波」として存在する。
どちらの状態であるかは、私たちが観測した瞬間に初めて確定する。
不確定性原理
ハイゼンベルクは、「粒子の位置と速度を同時に正確に知ることはできない」と主張。
これは、物理学に根本的な曖昧さが存在することを意味していました。
これらの理論は、宇宙が単純な因果関係に支配されているという考えを揺るがし、世界の根底に「確率」が支配している可能性を示したのです。
ボーアの「相補性」――科学と異なる視点の調和
ボーアは、「物理学には複数の視点が必要であり、それらは相補的な関係にある」とする**「相補性の原理」** を提唱しました。例えば、光は粒子としても波としても振る舞うことができるという概念は、単一の視点では説明しきれない事実を示しています。
この考え方は、物理学のみならず、哲学や生物学、ひいては信仰にも通じるものでした。彼は科学的探求だけでは世界のすべてを説明できないことを認識し、異なる視点や概念が互いに補い合うことで、より深い理解にたどり着くと考えていました。
物理的な法則だけではなく、精神性や信仰といった側面もまた、宇宙の真理に迫るための重要な要素 であるという視点は、現代にも通じるものがあります。
「神はサイコロを振るのか?」 アインシュタインの反論
ボーアやハイゼンベルクの主張に対して、アルベルト・アインシュタインは強い異議を唱えました。彼の有名な言葉、
「神はサイコロを振らない(Gott würfelt nicht)」
これは、宇宙が厳密な法則によって秩序立てられているという信念を表しています。アインシュタインは、量子力学が提唱する「確率的な世界観」を受け入れず、次のように考えていました。
宇宙の背後には、私たちがまだ見つけていない隠れた法則が存在するはず。
不確定性や確率は、単に私たちの理解の限界に過ぎない。
この議論は、科学の限界と可能性、そして信仰の役割について、現代に至るまで多くの示唆を与え続けています。
量子力学が示す「神の遊び場」
量子の世界における「決まらない未来」は、まるで宇宙が神の遊び場であるかのよう な印象を与えます。
重ね合わせ
観測するまで、すべての可能性が同時に存在している状態。
量子もつれ
2つの粒子がどんなに遠く離れていても、お互いの状態が瞬時に影響し合う。
波動関数の崩壊
観測が行われた瞬間に、無数の可能性の中から一つの現実が決まる。
このように、量子力学は従来の物理学とは異なり、「世界は一つに決まらない」 という不確実性を私たちに示しています。
科学と信仰――新たな視点への扉
現代において、科学技術は飛躍的に発展していますが、精神性や信仰の価値が軽視されることもあります。しかし、量子力学の示す「観測による現実の確定」は、私たちの意識や信念が世界に影響を与える可能性 を示唆しているとも言えます。
宇宙の不確実性を受け入れることこそが、人間の知性を超えた真理への第一歩かもしれません。ボーアが示した「異なる視点の調和」という考え方は、科学と信仰の共存においても重要な示唆を与えてくれるでしょう。
まとめ――決められた未来はない?
量子力学が明らかにしたのは、私たちの未来が「一つに決まらない」という事実です。
科学と信仰は補完し合う :物理学だけでは説明できない領域が存在する。
観測者としての私たち :私たちの意識が世界に与える影響を再認識する。
神の意志と自由意志 :不確実な宇宙の中で、私たちは何を選ぶのか。
あなたは、この「決まらない世界」とどう向き合いますか?
参考書籍:
三田一郎(著)『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』、ブルーバックス、講談社、2018年6月20日。