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畳の上の水練

畳の上の水練
2025年02月07日 | 雑記帳

高僧と言われる方が「悩みは2人で分かてば二分の一、3人ならば三分の一になる。」と仰ることがありますが、死に対する悩みは「人に話をしたからと言って、二分の一や三分の一にはならない。」と思えてしまいます。

死に対する不安も含めて人生の悩みの大半は、自分のことに関する悩みなので、基本は自分で解決することが望まれます。

なぜなら、その悩みこそ自分が生まれてくる時に決めた「人生の問題集」だから、自分で解かないと魂の成長に繋がりません。

心理学を勉強した方や心理カウンセラーが、その人の悩みを聴いて「こうした方が良い。これをするべきだ。」とか言う事が多いのですが、それらは所詮「畳の上の水練」と同じで、頭の中で作られた答えにしか、聞こえない様に思えてしまいます。

勿論、相談者と似た様な経験をされて、自分なりの解決方法を模索し、あるいは解決した方もいらっしゃるでしょうが、それでもその人に、解決すべきヒントは与えられても答えは出せないはずです。
いや、答えは出しては行けないのです。

答えを教える家庭教師が無能である様に、答えを教えるカウンセラーは、相談を受ける側としては失格であると私は考えております。
何故なら、悩みにある人達を依存させるからです。

ダメな先生や、変な宗教や占い師の悪いところは「相談者を依存させるような事を行なっている」いるからです。
答えを出してしまうから、また新たな問題が起きると、答えを求めにやって来る様になります。

そうして人生の全てを、その人に、その組織に依存して「自分自身の判断、考え方」と言う「大事な尊厳」を無くしていきます。
この罪は、ある意味殺人よりも罪が深いと感じます。

こうした「大先生」気取りの人達を、この世の中から減らしていきたいと、私は心から願っています。

https://orior.co.jp/tataminouenosurenn/

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