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【全史】第20章 有藤青年監督新体制/1987(昭和62)年

(1)180度転換、有藤新体制

 私にとって有藤というプレーヤーは特別な存在だった。記憶にある限り、サードにはいつも「ミスターロッテ」がいた。選手と言葉を交わすようになっても、有藤の前ではいつも緊張している自分がいた。その有藤が待望の新監督になった。本来ならば、新しいシーズンが楽しみになるはずだった。
 しかし、発表されたコーチ陣を見て驚いた。当然、有藤の現役時代、日本一メンバーが支えると思っていたが、金田留と得津の名前が入っていたが、配置は二軍の投手コーチと打撃コーチ。一軍はカネやん時代の主力コーチだった高木、土屋コーチが返り咲いた。投手コーチは稲尾監督の下、トロイカ体制を敷いた醍醐ヘッド、佐藤コーチが退任し、山内監督時代の若生コーチが復帰した。有藤の意向がほとんど反映されていないことは明らかだった。
 そして、私は急速に興味が覚めていた。大学を卒業して就職し、生活スタイルが変わったことがあったかも知れない。毎日オリオンズ時代からオリオンズ一筋だった父親が亡くなったことがあったかも知れない。有藤監督を応援したい気持ちは強かったが、それ以上に、この数年間のオリオンズ球団への不信感からの嫌気が何倍も強かった。こう思っていたのは私だけではなかった。この頃から、球場で一緒に応援していた仲間が、何人も川崎球場から離れていた。
 私も前年までは川崎球場の試合はほぼ球場に通っていたが、この年から急激に足が遠のいた。ただ、ファンとしての気持ちは変わらない。一歩引いて応援することにした。何はともあれ、有藤監督の手腕に期待は高かった。

 さて、有藤新監督は40歳の青年監督。グラウンドでは「石コロでもあってイレギュラーしたらワシの責任」と丁寧にトンボで慣らす。今にもグローブを持ってノックを受けるのかと勘違いするほどアグレッシブに動いた。そして、選手たちには厳しさを求め、メニューは前年とは大きく変わった。
 課題は、やはり落合の穴をどう埋めるかだった。有藤は「走って走る機動力野球」を掲げた。前年初タイトルとなる盗塁王を獲得した西村はじめ、横田、高沢と機動力の軸となるメンバーは揃っている。
 練習時間も圧倒的に長くなっていたが、期待のレギュラー候補には徹底的に有藤自らが容赦なく鍛え上げた。特守では捕手の防具をつけ、1時間近くノックを浴びせた。
 有藤が注目したのは2年目の古川だ。ルーキーながら前年はチームで落合、リーに次ぐ16本塁打を放ち大器の片鱗を見せた。有藤は古川に4番を任せたい意向だ。内野陣はファーストに愛甲と山本功、セカンドに中日から移籍し、前年.295でセ・リーグ打撃成績8位に入った上川、サードにはセカンドから西村をコンバート、ショートには佐藤健と水上を競わせる。

 有藤が「大きな課題」と話すのが投手陣だ。ベテラン勢が先発の軸となるが、抑えの切り札牛島が中日から加わったことで、荘を先発に回すことが出来る。加えて前年ケガのためにフル稼働出来なかった石川と小川がキャンプでは順調。2年目の伊藤優、園川の左腕コンビも中継ぎのみならず、先発も視野に入れる。牛島とともに移籍した平沼も貴重な中継ぎとして期待が持てる。牛島が加わったことで、前年よりも投手力がアップしたことは明らかだった。
 その牛島にも注目が集まった。落合とのトレードが決まり、涙を流して受け入れた姿が繰り返しテレビで流され、ロッテ本社も「明るくて爽やかなイメージ」に注目。初めての試みとして、ロッテリアの「トレイシート(お盆の紙)」に牛島の顔写真やピッチング姿などを刷り込んだものを使用するなど、本社をあげてのバックアップも決まった。
 また、200勝に「あと19勝」と迫った村田にも注目だ。

 開幕は4月10日、近鉄3連戦(藤井寺)だった。開幕マウンドには自身10回目となる村田が上がった。しかし5回7失点で降板。3-8で黒星スタートとなった。翌11日は中止となり、13日の2回戦は荘が先発。その荘が打線の援護した1点を守るも6回裏に逆転を許して降板。そのまま1-2で連敗を喫した。
 続く14日の南海1回戦(大阪)を仁科で落として迎えた15日の2回戦。2回表の岡部の2ランと3回表の横田のタイムリーで上げた3点を先発の水谷が好投して守る。8回裏に1点を返されたものの、9回裏を牛島が締めてパ・リーグ初セーブで有藤監督初勝利を挙げた。
 16日の南海3回戦と18日の阪急1回戦(川崎)に連敗したものの、19日の阪急2回戦では村田が好投。打線も初回に5点を援護、その後追加点を奪い8-0、村田は9回も無失点で切り抜け、5年ぶりの完封で今シーズン初勝利を挙げた。しかし、この試合で4番の古川が2打席目で死球を受け、左手首を骨折。全治1ヶ月、復帰まで約2ヶ月という診断を受けた。

 古川を欠いた打線だったが好調を維持。翌20日の3回戦では18安打11得点、11-2で大勝。21日の日本ハム1回戦(川崎)では、3回裏に10得点、6回裏3点、7回裏3点、8回裏4点と17安打で大量得点、仁科も2失点で完投し20-2と2試合連続2ケタ得点で3連勝とした。
 その後3連敗して2連勝、29日の日本ハム5回戦(後楽園)には、石川が今シーズン3試合目の先発。7回裏に2点を失ったものの、打線の援護した3点を守る。8回途中から牛島がマウンドに上がり好セーブ。石川は1985(昭和60)年10月11日以来566日ぶりの白星を飾った。

 4月は7勝9敗と負け越したものの、まずまずのスタート。阪急が頭一つ飛び出したものの、他の5球団はダンゴ状態。オリオンズもその中に加わり4月を終えた。

(2)連勝と連敗繰り返しての借金生活

 4月に一歩飛び出したかに見えた阪急だったが、5月に入るともたつき始める。オリオンズは南海3連戦(川崎)を1勝2敗、6日の近鉄4回戦(川崎)では、1982(昭和57)年5月8日以来(パ・リーグでは同年8月1日以来)となるトリプルプレーが飛び出すも敗れ、5日からの近鉄3連戦(川崎)も1勝2敗と負け越し、西武とともに最下位に再転落する。
 しかし、9日からの阪急2連戦(福島)では、仁科の完封勝利と園川の好投(試合は引き分け)で1勝1分と勝ち越す。続く西武3回戦(西武)も荘が完投勝利を挙げ、ようやく上昇気配を見せる。15日の日本ハム7回戦では5-9と敗れたものの、4番リーが2安打を放ち、1500本安打を達成。1237試合目での達成は、日本プロ野球史上最短の記録(当時)となった。この時点で順位も近鉄と並んで4位と上昇、首位の阪急とも3ゲーム差と接近、6球団が3.5ゲーム差でひしめく。

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