《有料》(9)東京パレードと仙台軽視
第6章 24年ぶり、日本一への道 (1974(昭和49)年)
【=無料公開=】(1)「オリオンズ マラソン部」地獄のトレーニング
《有料公開》(2)太平洋との「遺恨試合」騒動2 ~昭和49年編~
《有料公開》(3)開門前に並んで「選手と写真撮影」
《有料公開》(4)アルトマンの帰国と有藤の離脱
《有料公開》(5)太平洋との「遺恨試合」騒動3 ~昭和49年・最終章~
【=無料公開=】(6)「静岡・草薙、奇跡の3連戦」と後期優勝
《有料公開》(7)カネやん、宮城の空に舞う プレーオフ
《有料公開》(8)一丸でつかんだ24年ぶりの日本一(日本シリーズ)
《有料公開》(9)チャンピオンのシーズンオフ
(9)東京パレードと仙台軽視
日本一という最高の結果に1974(昭和49)年シーズンが終わった。前年はどちらかというとカネやんの登場で「お祭り騒ぎ」的な雰囲気だったが。この年は「実力を見せつけた」シーズンだったように思う。
日本一のオフは露出度も高く、ファンにとっては楽しい日々となった。
優勝を決めた翌24日、名古屋から東京駅に戻ると、その東京駅から『史上最大のパレード』が始まった。何と、東京駅をスタートし、銀座ー新橋ー虎の門ー赤坂見附ー四谷ー新宿百人町のロッテ本社まで15キロに至るという稀に見るロングランパレードだった。先頭のオープンカーにはカネやんと日本シリーズМVPの弘田。沿道は平日にも関わらず多くの見物人で溢れ、その数は200万人と推定された。今では決して警察が許可しない距離である。現在、パレードは銀座周辺に限られているが、このパレードが原因だと言われている。
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