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〜『鬼滅の刃』全巻を読んで色々と思うことの呼吸〜漆の型『炭治郎が向こう側を超えてくるとき』
〜以下、本論文(笑)の注意事項です。〜
※ド派手にネタバレします!
※作家や作品のネット情報とかソースは一切なく(そーゆーの読まない)、私の30年以上のマンガ読み人生から生まれた勝手な分析や予想です!
※一切ディスってないです!
愛してます!
※ここから最終巻について、さらにまだまだベラベラ語ります!!
※壱の型から終の型まで、順にお読みいただけるとありがたいです。
それではどうぞ!!
↓↓↓↓↓
これまでほかの多くの作品が伝えてきたように『命は大切なんだよ、だから生きようね!』では現代ではもう届かない。弱い、弱い!
つまり、こうだ。
我々皆"ひとの思い"を運ぶ代替可能な器である。思いのバトンを繋がなくてはならない。その思いとは、この肉体ある限り日常を生きよう、というもの。
その思いを繋ぐ使命が、生まれてきたからには全員にある!
あなたの身体はあなたひとりの身体ではない!あなたはひとりではない!
"だから"→毎日を生きようね!!!
である。
お見事!!
なぜこれほどまでに強いメッセージを作品で放つことができたのか。
それは作者自身が強烈に苦しんでいる当事者だからであろう。
誰よりも『肉体に対する猜疑心』と『代替可能な自分』に苦しみ、悩み続けてきた現代を代表する人間なのだ。
自分は代替可能であり、大した存在ではない、と作家自身が考えている。それが最も如実に現れ、『鬼滅の刃』をまさに超現代的な作品に仕上げたのが大ラスだ。
最後の最後、現代への"証明シーン"も終わり、本当の本当のラストシーンでは、藤の花を前に炭治郎が鬼となったあと再生したシワシワの老人のような手と、優しく繋がれた禰󠄀豆子の手がアップで映る。
そしてその後、誰が誰に語っているのかが不明なままの語りが8ページに渡り続く。
『生まれて
くることができて
幸福でした
どうか笑顔を
忘れないで
ください
あなたが
泣いていると
悲しくて
たまらなくなる
後ろめたい
なんて
そんなこと
思わないで
私たちがいたと
いうことを
憶えていてくれる
だけでいい
(中略)
生きている
ことは
それだけで
奇跡
あなたは
尊い人です
大切な
人です
精一杯
生きてください
最愛の
仲間たちよ』
そして炭治郎達の後ろ姿で本当に作品終了である。
一見、戦いの中で敗れていった鬼殺隊の仲間たちから炭治郎たちへの言葉のようにも思えるが、読んでいく途中で誰が誰に伝えているのか(伝えている主体が誰なのか)"あなた"が一体誰を指すのかが分からなくなる。
このラストは漫画の中のキャラクターから別のキャラクターへの語りというだけでは説明がつかない。言うなれば作者から読者への遺書である。
炭治郎の後ろ姿は彼らの後ろ姿ではなく(顔が見えないのがポイント)、『最愛の仲間たち』は漫画を読んでいる読者としての"あなた"だ。炭治郎を現代の読者である"あなた"と同一視しろ!!と力強く断言しての終了!!
飛び出す絵本的なものをリアルでいく恐ろしい力技である。
これを読んだときの驚愕。
漫画作品という範疇でいいのか?これは!?と、昭和生まれの私は思う。
山口百恵が引退ファイナルコンサートでラスト曲の『さよならの向こう側』を熱唱して白いマイクをステージに置き、観客号泣、そのままスターは立ち去るかと思いきや、おもむろにマイクを拾い直し『と!これで山口百恵の引退コンサートは終わりでーす!楽しんでいただけましたか!?』とか語り出したらビックリするだろう(例えが古すぎてすみません。あと、ディスってません)。
尾崎豊がライブで『15の夜』を熱唱したあとMCで『いや、もちろん、バイクはほんとに盗んだらダメですよ、これぐらいのエネルギーを今を良くするために使おうね、ということですよ』と、諭し始めたら会場は騒然とするだろう(マジで例えが古すぎてすみません、あと何度も言いますがディスってません)。
自分の漫画作品それ自体では読者に届かないのではないか、という不安からくる、誤解を恐れず言えば、大いなる蛇足とも取れる読者への直接的な語り。そんなことは作家も百も承知だろうが、恥も外聞もなく描かずにはいられないのである。
ここに作家の現代と自分自身への焦燥を痛いほど感じる。自分自身が現代人としての悩める当事者であるが故に描くことができた作品だが、であるが故にここまで踏み越えなければならなかった。
本当に、真の意味で読者と共に作り上げられた作品である。読者に作家の遺書が届いて完成する、紙面上の双方向性体型を直に行う荒技、まさにSNS時代の産物とも言えるものだろう。
ここまで踏み越えて描く作家の姿勢まで顕にして『鬼滅の刃』は2020年の傑作として完成なのである。
〜つづく。。〜