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〜『鬼滅の刃』全巻を読んで色々と思うことの呼吸〜参の型『千年の夜明け、そして暁(AKIRA)がやってきた!』

〜以下、本論文(笑)の注意事項です。〜
※ド派手にネタバレします!
※作家や作品のネット情報とかソースは一切なく(そーゆーの読まない)、私の30年以上のマンガ読み人生から生まれた勝手な分析や予想です!
※一切ディスってないです!
愛してます!

※ここから最終巻について、ベラベラ語ります!!

※壱の型から終の型まで、順にお読みいただけるとありがたいです。

それではどうぞ!!

↓↓↓↓↓

最終巻で永遠の命(滅びない肉体)を求めて人を食い続ける親玉、無惨は、炭治郎たちのチームワークを前にいよいよ追い詰められる。
あともう少しで、無惨の唯一の弱点である太陽が昇る夜明けがやってくる。
そして、とうとう夜明けがやって来た!千年繋がれた思いのバトンの前に屈しそうになる無惨。
そのとき無惨は『肉の壁』を求めて膨れ上がり、その姿は赤ん坊そっくりになる(ていうか、生まれる直前の胎児のようになる)。
そして胎児は炭治郎を取り込み、意識の中で語り合うのである。

これを見て、『あ!!これあれじゃん!!あれじゃーん!!あのシーンじゃん!!!』と思ったマンガ読みは全国に1000万人くらいいると思う(藤田和日郎の『うしおととら』!と思ったひとは筋がいい!)。

そうである、1982年から1990年に発表され世界的に一大ムーブメントを巻き起こし、今も映画化アニメ化などされ続ける、漫画の概念を覆したあの大傑作、大友克洋の『AKIRA』(アキラ)である。
奇しくも2020年ネオ東京でのオリンピック開催を迎える様子が描かれており、"予言漫画"と言われる本作品が、同じく2020年に大ムーブメントを起こした鬼滅の刃とシンクロするとは漫画の神の確信犯的な悪戯なのか。

『AKIRA』のクライマックスでも地球を揺るがす最強の力を持ち暴走する鉄雄は、対抗する主人公の金田に対して最後に胎児の姿になって膨れ上がって抗いながら、意識の中に金田を取り込むのである。

『鬼滅』では、意識の中で無惨が炭治郎に自分の代わりに『最強となり永遠の命を手に入れろ!』と語りかけ、自分の思いのバトンを繋ぐように迫る。 炭治郎は取り込まれそうになりながら、最終的には仲間たちの力や妹の力で意識から引き上げて助けてもらう。

『AKIRA』では直接的に鉄雄が金田に語りかけることはないが、幼い頃に鉄雄と金田が出会ったときの記憶が甦る。
そのとき、鉄雄は周囲の子供たちから弱い者いじめにあっていて、初めて出会った金田も自分をいじめに来たと思い、逃げてしまう。意識の中で金田は『あのとき(自分は)友達になろうと思ったんだ』と伝えると、幼い頃の鉄雄が逃げる足を止め『新しい友達が出来た』と喜ぶ様子が意識の中で映される。
で、最終的には取り込まれた意識からヒロインのケイが金田を引き上げて助ける。

どうだろうか??
この流れ、そして内包する意味合いはほぼ同じなのではないか。

生まれてきた瞬間にひとは肉体に固執し、生きることに固執せざるを得ない。それが生まれいづるものの性である(胎児の姿が象徴)。
しかし、生きることに固執し、最強の力、滅びない肉体を持つかのように見えた生命体の最終的な望み(『AKIRA』では根源的な望み)は、誰かと"繋がっていく"存在になることだった。

生きることとは滅びゆく肉体にあることのみを言うのではない。
肉体を離れたあとに生き続けること。
その"永遠の命"を手に入れるためには、思いのバトンを託す存在(自分以外の誰か)が必要だということを。

しかし、『鬼滅の刃』はこの後、昭和平成の大傑作『AKIRA』とは全く違うアプローチを行うことで令和の大傑作となる。
そしてこれが、令和の現代に『鬼滅の刃』という作品が必要とされた理由なのではないかと考えるのだ。。

〜つづく。。

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