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〜『鬼滅の刃』全巻を読み終わって色々と思うことの呼吸〜壱の型『昔は煉獄さんみたいな方はけっこういたんじゃないか!?』

〜以下、本論文(笑)の注意事項です。〜

※ド派手にネタバレします!
※作家や作品のネット情報とかソースは一切なく(そーゆーの読まない)、私の30年以上のマンガ読み人生から生まれた勝手な分析や予想です!
※一切ディスってないです!
愛してます!

※壱の型から終の型まで、順にお読みいただけるとありがたいです。

それではどうぞ!!
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この作品の言いたいことは『ひとの思いがこの世で一番強い』であることは間違いないが、それは私が大好きなドラゴンボールの悟空のようにプッツンしたら伝説のスーパーサイヤ人になっちゃった!!オラ最強!!!というものではない。
思いが強くなる=肉体が強くなる=敵に勝つという単純な図式ではない。

炭治郎は最後の最後まで最強にはならなかった。最後の最後まで仲間に助けてもらっていたし、究極的にはずっと守ってきた妹に助けてもらった。

この作者は、肉体に対する憧れと猜疑心が圧倒的に強い。こんなに肉体の確かさに対する猜疑心が強い作家はなかなか見たことがない。どんなに屈強な悲鳴嶼さんも宇髄さんも猪之助もつらい過去やコンプレックスを抱えていて、無欠ではない(逆に肉体的に恵まれていないしのぶは最強の毒使いであったりする)。
また剣士のトップである親方様に至っては日に日に動けなくなり30歳以下で死ぬ運命にある。
そして、なんと言ってもこの漫画はこんな破天荒な設定で、ドラクエのホイミ(回復魔法)に当たるものが、全くないのだ。一回やられたら本当におしまい(こんなんありか!?)

で、作者の肉体に対する猜疑心、切実さと裏腹にセットとなるのがひとの『思い』の強さであるが、
ひとの思いを運ぶ器である肉体はそのように滅びてしまうので、バトンにして繋いでいかないとならない。
そこで出てくるのが『伝統』『因習』や『師弟関係』などの結びつきだ。したがって断片的に出てくるこの漫画の“教え”はひどく古典的である。
まず、
『兄弟、家族仲良く。絆を大切に』
『先輩は後輩を守るもの』
『長男は頑張らないといけない』
『信じられたら応えないとならない』

衝撃的だったのは、『ひとの手書きの文字は踏んではならない』=文字は思いを繋ぐ大切なものだから。

この経済最優先の物質的な世の中で駒として利用され続け悩み苦しむ若者にこの古典的な教えは、
『やっぱりそうだよね!?先輩は後輩を守るものだよね!?』
『家族は大切なんだよね!?』
という絶妙な安心感と指針を与えた。やっぱり昔から言われてたことに間違いはなかった、と。

この漫画の大ヒット要因には、この古典的な教えの働きが見逃せない。
実は新しいテーゼを提出してはいない。ますます生きる手ごたえが薄くなりながら命の脆さを見せつけられる現代の、その無常から絶望しない古典的な方法(手段)をもう一度伝え直している。
ここがこの漫画の大ヒットの大きなポイントであることは間違いないように思う。

つづく。。

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