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2022年の秋頃に考えていたこと

この先自分はどうやって人生を進めていくべきか。そんなことばかり考えていた。

とにかく自分は何かを作ることに生き甲斐を見出だす質である。
物心ついた時には、某国営放送のワクワクさんをみて、工作に明け暮れた。
自分の頭の中に在るものを、目に見える形にするのがこの上なく楽しかったのだ。

文章を書いて自分の感情や考えを綴る。
そしてその文章は今という時代、たとえ死んでもネット上に残り続ける。
永遠とはいかないかもしれないが。
最終的に出版することが出来れば、本として私の魂は残り続ける。

もし私が亡くなったら、このnoteや手元にある日記などを誰か本にはしてくれないか。
いや、きっと自己愛にまみれた私のことだから、生きている時分に自費出版またはzineみたいにまとめあげるに違いない。
なんならそうなることすら今からワクワクしている。
そもそもあれだ、今から10年単位もしくは五年単位でこうやってコツコツ文章を書いていれば良いのだ。

文章を残すことだけでなくて、私は本当は思うような服が作れるようになりたい。ハンドメイドのアクセサリーを自分の感性で作って販売したい。沢山の人に広めたいのではなく、本当に気に入って大切に使ってくれる人に買ってもらいたい。

思い悩まずに、すぐに行動できる性格だったらどれだけよいだろうと思うことがしばしばある。何をするにも腰が重い。
何故そんなにも思い悩むのか。
原因は自分でも分かってる。行動しないから。

この世の中は行動すれば、何かが起きることが大人になってわかった。
この身体がこの世界にあるかぎり、色んな体験をさせてもらえる「チャンス」なんだ。

社会人になるまで、きちんと自覚したことはなかったけれど、無意識で孤独になる状況を選んだんだと思う。
自分と向き合い哲学的なことを考えたいがために、一人見知らぬ土地で働き、家族や友人と物理的に距離を置いていたんだ。それを高校生から大学生にかけての私は潜在的に望んでいたように思う。

家族には、若いのにそんな友達と遊べない環境に行ってかわいそうともいわれた。
余計なお世話だ。
確かに友達と時間を気にせず夜通し遊べるのは独身時代の今しかないかもしれない。

けれど、コロナもあって見知らぬ土地で一人暮らしすることは、自分についてかなりゆっくり考える機会になった。

この経験は決して無駄ではないし、内省することがいかに重要かが分かった。

今、実は新卒から勤めた会社を3年半弱で退職し、地元に戻ってゆっくりしている。
色々と自分の在りたい姿やこれから先のことを考えたうえでの判断だった。

ひたすら内省することは苦しかった。
もう孤独でいることには飽きた。
これからは人とのつながりをしっかりつくっていきたい。
孤独な時間は次のステージで色々動くためのエネルギーと思考の整理になった。

一人暮らしするまでは内省することに難しさを感じていたが、内省することへのハードルが随分下がって楽になったように思う。

また来年からは新天地で働き、生活をすることになるだろうけれど、自分の時間と自分の好きな空間で暮らすことは大切にしたい。

それまでにすべきことは一杯ある。
さあ今日もやっていこう。

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