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炊飯器におさらばした話

数年前、学生の頃から使っていた3合炊きの炊飯器を買い替えたいと思い立ち、家電量販店へ向かった。せっかく買うなら良い炊飯器にしたかったので、2店舗行き来して価格を見比べながら、結構高額な代物を手に入れた。帰り道の僕は、ホクホクだった。

それから、数えきれないほどこの炊飯器でご飯を炊いた。内釜が土鍋で、とてもおいしいご飯が炊けた。ただ、世話が焼ける炊飯器でもあった。壊れたのは1度や2度ではなかった。もう次壊れたら、どうするか考えた方がいいかな…。そう考えている矢先に、土鍋を落としてしまった。

あっけなかった。どうしよう、ご飯が炊けない…。

そういえば、以前修理に出している間、staubの鍋でご飯を炊いていたことを思い出した。白米の時は炊いたときに鍋に結構くっついてしまうのがネックだったが、今食べている玄米を炊いてみたら、とてもおいしく炊けた。そして、あまりくっつかない。

あれ、これでよかったんだ。…炊飯器がなくても大丈夫かも。

フッ素フリーの生活を目指していたし、タイミングとしてはちょうどよかった。炊飯器が壊れたことが、僕の背中を押してくれた気がした。

以前の炊飯器は圧力釜でもあったから、玄米でも1~2時間の浸水時間で炊飯できたが、staubではそうはいかない。少なくとも12時間は浸水しないとおいしく炊けないし、火加減や時間の調整も自分で行う必要がある。確かに、炊飯器の方が圧倒的に便利だが、前日の夜に玄米を洗って浸水し、翌日staubにセットして火にかけ、蒸らした後にふたを開ける瞬間のすべての工程を考えると、後者の方が圧倒的にご飯への愛着が湧く。いわゆる「丁寧な生活」は、このような手間を自然と愛おしく思える生活のことなのだと思う。

staubでご飯を炊き始めてから、料理をする順番や時間配分もよく考えるようになった。ご飯を炊くstaubがコンロを1つ占拠してしまうから、おかずを前もって作っておく。そして、食事を始めるタイミングに出来上がるように、ご飯を炊く。やはりご飯は炊きたてがおいしい。オーガニック生活を始めてから、ご飯をもりもり食べるようになっていたが、ご飯はまさにメインディッシュだと感じている。

それからというもの、フッ素コーティングのT-falのフライパンを使用するのを止め、ついでに無理と思っていた電子レンジともおさらばすることに成功した。(電子レンジの代わりに、おかずは鉄か鋳物ホーローのフライパンや鍋で温めたり、ご飯は蒸し器で温めるようにした。オーブン機能だけは使っている。)

炊飯器とのさよならは、大きな代償だった(少し寂しかったし、悲しかった)が、オーガニックを生活に取り入れている僕にとっては、フッ素と電子レンジにお別れするという、大きな一歩を踏み出す契機になってくれた。

便利すぎることは、必ずしも心を豊かにはしてくれない。些細なことに幸せを見出せる心の余裕を持つことが大切だということを、炊飯器は身をもって教えてくれたのだと思う。