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本で振り返る2021

生きることについて

2021年を振り返る。

元々休日は家で引きこもっていたので流行りの鬱というわけではないのだが、メンタルの調子があまり良くなかった2021上半期。2019年あたりまではオリンピック・パラリンピックを生で観戦することを生きる目標にしていたので、チケットの抽選がことごとく外れたことや、一年間の延期によって色々なモチベーションが削がれてしまった。

気分が沈んでいたその頃読んでいた本は主に、生きることを考えるものだった。それもサバイバルとか生への執着を感じさせる体験記、あるいはノウハウ本などだ。そういうものを読んでいればなにか生きることに対して理由が見つけられるのかなと思ったからだ。

生きること≒食べること

抜け殻のようになってからも異常限界独身男性と称される人たちの足跡をなぞるように週末にパンを焼いたりして表層だけの「丁寧な暮らし」を演じてみたが、ただ腹が満たされるだけだった。人は、目標や生き甲斐なしにただ生きるということはできないみたいだ。それでも食欲だけは裏切らないので、食に関する書物を買い漁ったり、実践したりした。

その中でも特に興味深かったのは高野秀行の「謎のアジア納豆」だった。私は納豆が好きなのだ。自分で作ったこともある。この本は納豆とは何なのか、これを問い直すような本だった。私のこれまでの納豆の概念を一新するものだった。

世界にはまだ自分の知らないものがある。身近な納豆でさえ知らなかったことがあるという事実は、希望にさえ思えた。

食は裏切らないところがよい。納豆からはじまって、この他にも食に関する本をいくつか購入した。


精神安定剤としての山という提案

食で延命してきた上半期が終わり、いよいよこのnoteを始めたきっかけである山の購入にはいる。購入に至るまでは下記を参照されたい。

ここまでメンタルがうんぬん書いたが、山を購入してからこれがかなり改善した。

土地を持つというのは当然様々なリスクを伴うわけだが、自分が欲しくて手に入れた土地というのは、リスクを背負うことからくる責任や重圧よりも、広大な土地を自分の自由にできる掌握感がこれを上回る。
精神的には何があっても、「まあ、俺山持ってるしな」でだいたいのことが乗り切れる。山の前では些細なことなど、どうでも良いのだ。

正式に山を手に入れてからほとんど毎週山へ通っているが、一日中布団の中だった休日の在り方が完全に変わった。朝はやく起きて、準備をして電車に乗り込む。キャンプ飯を食べ、夕刻まで山で作業して家へ帰る。

休日に出かける習慣ができて身体的にも安定してきた。山は精神安定剤だ。それも数十万円から始められる半永久的に持続する良薬だ。人におすすめはしないが、私にはよく効いた。

山を手に入れてからは山で過ごすに当たって必要な知識を得るための本を読んできた。

本は良い。気分の沈んだときも、調子の良いときも変わらずそこにあって私達に新しいことを教えてくれる。2022年はどんな本を読むことになるのだろう。

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