ミデルブルフ Middelburg オランダ/ゼーラント ~侵略者に備えた円形の修道院を中心とした海洋都市
※ 訪問記は1996年8月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
訪問記の中で最も古い記録がこの記事です。1996年に訪問したほかの都市はそれ以降も訪れているので、この時期一度しか行っていないのはミデルブルフだけになります。デジタルデータのない時代なので、その後スキャンされた写真数枚しか残されていませんでした。
ゼーラントの州都。オランイェ=ナッサウ家では、ミデルブルフと隣り合っているフェーレとフリシンゲンの侯爵でもあったため、ミデルブルフにもナッサウ家の屋敷があったそうです。ウィレム沈黙公が暗殺された後、ルイーズ・ド・コリニーと義理の娘たち、その後はルイーズたちと入れ替わるように、ナッサウ伯ユスティヌスが住んでいました。
Adriaen van de Venne (1615) ミデルブルフからの出発
北海に面し、イングランドとの外交の窓口になった街のひとつでもあります。絵は、ロバート・シドニー(当時ド・リール子爵)の帰国の風景とされるもの。
ミデルブルフ修道院
もともとは修道院を中心として発展した街です。修道院の中庭は円形で、現在は市庁舎・ゼーラント博物館・ゼーラント公文書館・新教会・聖歌隊教会・飲食店などが入る複合施設になっています。
下は1644年の様子。修道院?と思うくらい社交の場のようにみえます。
エベルトセン兄弟のモニュメントもあるようです。ゼーラントらしく提督関係のものが多そうです。
ゼーウス博物館
ゼーラント博物館。修道院の一角にあります。
八十年戦争期の16世紀の海戦画タペストリーの部屋があります。
アクセス
現在も17世紀当時の水濠が残されています。地図のかたちがほとんど変わっていません。
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