社会課題解決よりも社会創造を
初めに言っておきたいのは、社会課題解決が必要でないと言いたいわけではない。社会課題解決も必要。それ以上に社会創造に力が入ればと願っているということだとご理解いただきたい。
ここ数年企業に関わっていて、ビジネスの目的が社会課題解決にシフトしてきていることを切に感じている。SDGsの追い風もあり、一昨年あたりから加速しているように感じる。普段NPOの方々と接することもあり、社会課題とは何かについて知ることも多くなった。知れば知るほど疑問に思ったこと。
それは、
「理想状態は何なのか」
という問いである。
社会課題とは少子高齢化、所得格差、待機児童、人口減少、貧困など多岐にわたる。詳しくはリストとしてもウェブ検索することが可能だ。そして、世の中にはそれぞれの課題に対して真っ向から向き合うNPOやNGOが存在し、それぞれの課題解決に思いを持ち、人生をかけて挑んでいる。そこで企業も、、、という文脈はよくわかるが、果たして本質的なのだろうか。
SDGsの前身である8つの目標を掲げたミレニアム開発目標(MDGs)。一定の成果は得たものの認知度はさほどではなかった。そこでより多くの人々を巻き込み持続可能な世界の実現を加速するために今度は経済活動をターゲットに含めた。それがSDGsの17の目標である。結果的に多くの人々が認知するに至っている(日本はわずか30%程度と言われているが)
SDGsの主たる目的は「Transforming our world」である。一つ一つのターゲットを達成することが目的ではない。つまり、結果として世界を変容させること。私は国連が経済活動のトランスフォームなくして、持続可能な世界の実現は不可能と認識したからこそ巻き込んだのであり、いよいよ本丸に着手したと認識している。であるならば、資本主義に基づく現経済活動のパラダイムが限界を迎えており、その結果生み出されている数々の問題が社会課題なわけで、その社会課題解決に現資本主義のパラダイムの経済活動のまま向き合うということに、本当にどれだけの意味があるのだろうか。企業にとってはブルーオーシャンとなる新市場が生まれた以上のインパクトが本当にもたらされるのだろうか。
かの有名なアインシュタインの言葉「どんな問題も、それをつくり出したときの意識レベルでは解決できない。」が思い出される。*意識レベルとはつまりパラダイムと言い換えられる。
さらにSDGsが掲げる「Transforming our world」だが、このTransformされた世界の姿とはどんな姿なのか。もちろんその姿を描こうと試みる機会が様々な場で設けられていることも知っているが、その姿を掲げないまま課題だけを追う形になっているのが概ねの現状になっていはいないだろうか。一方で、その姿を全世界画一的にしないほうがいろんな意味で、世の平和のためであることも十分理解できる。とはいえ、どこに向かって進んでいるのかわからないまま時代についていくだけなのも、どこか気持ちが悪い。では、この理想は国連が出してくれるのか、どこかの国の大統領が打ち出すのか、日本政府が出してくれるのか。私は全世界の全人類が描いて重ね合うことに他ならないと考えている。現状の延長にはない、ゴールを置くことが本当のスタートで、そこからすべてを変えていくというメカニズムを人・組織に関わる様々な場面で目にしてきた。一人一人が掲げる理想の社会の姿を互いに重ね合い、シフトするためのテクノロジーがどんどん生まれてきている現代だからこそきっとそれは可能であるように思う。
鍵は、自分の外にはない。一人一人の描く理想のセカイにある。そして多様な個人が描く色鮮やかな社会のモザイク画の中心にはきっと共通の思いがあるはず。
それが見つかったとき、世界は知らない間にシフトしているはず。
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