「昭和の天才 仲小路彰」 野島芳明
当たり前のことをなぜ言えないのだろう。現在のメディアに対して、そう思う。「我等斯ク信ズ」で戦争の原因は本当のことを包み隠さず書いているに過ぎないが、それがとても新鮮に感じるのはWGIPによって歪曲され、真実を糊塗した連合国の政策の効果ゆえだろうか。山名湖畔に疎開していた仲小路を昭和20年7月に富岡定俊海軍少尉が訪ねて書かれた文書「我等斯ク信ズ」は一読の価値がある。
平凡は非凡を見抜くことはできない。天才であるが故に精神的孤高の世界に独居し、山中湖の貧しい山荘に居続けていたという。高みであるがゆえに仲小路の言説を理解できなかったのかもしれないし、彼の孤独癖に由来するもの大かもしれない。否、人物は政治家にはならないことが多い。現今の議会は惨憺たるものだ。
博覧強記という言葉があるが、仲小路の仕事は奇蹟であり圧倒的でもある。知の巨人という喩えがあるが、仲小路の他に誰が冠を戴くのか。しかし、仲小路の労作の殆どは彼らの手によって焚書されたのである。
久し振りに読書の醍醐味を味わうことができた。心が震えた。
<メモ>(1/3のみ掲載)
・仲小路はこの連合国による激烈な「戦後の戦争」で日本が精神的に敗れることを危惧し、大東亜戦争の「植民地政策」「民族独立」という戦争目的は達成されたのだ、数百万の犠牲を出した大東亜戦争の血と労苦は報われたのだ、無駄な戦争ではなかったのだ、という「地の塩」の声を残したのです。
・当時のアメリカ世論の動向は対日戦にはむしろ否定的だったのです。ルーズベルトはそのために真珠湾攻撃を仕組んだのであります。
・ドストエフスキーは人間の「自由」の重みについて懐疑を抱きました。仲小路はそれを万有引力=人間愛として、それを「地球愛」とすることで、「地球性」という概念を提起し、「宇宙における人間の地位と存在」から「地球性」にもとづく地球文明の創造を願っている文明論を展開しています。いまから半世紀以上も前に、それも敗戦という最悪の条件の下で、こんな地球主義の文明論を展開していたことは驚嘆すべき天才性の現れという他ありません。
それに比べますと、アメリカ発のグローバリズムは経済、技術の発達、とくに情報ネットワークの全地球的な規模の爆発的な普及を基礎としたものであります。また政治的にはキリスト教的な「自由」の普遍性による民主体制の世界的拡大というイデオロギーにすぎません。
・その文書(我等斯ク信ズ)は、陸海軍指導部にあてたものであり、各戦線での陸海軍戦闘部隊が即時に停戦し、区々たる和平条件にとらわれることなく、全面撤兵することが、最終的な勝利をもたらすことであるとの説得を試みたものです。この仲小路の説得に、かねて昵懇の東部参謀長高島辰彦陸軍少尉はすぐに納得し、東部軍は動きませんでした。東部軍が動かないので、他の部隊も鎮静しました。
・仲小路が「敗北感の一掃」「勝利感の確保」を切々と訴えたのにもかかわらず、戦後のGHQの厳しい言論統制と「太平洋戦争史観」の強制で、広く日本国民全般に敗北感がみなぎってしまったのも、足利幕府の下で「神皇正統記」がたどった運命にもひとしいものがあるといえましょう。
・平和とは「戦争がない状態」、「非戦争」としての平和であってはならない。”戦争の惨禍”をいかに訴え、”被爆体験”をどんなに語り継いでも、それだけでは平和にはならない。平和は戦争の全エネルギー、戦争に動員される人員、財力、機材などのすべてを吸収できるほどの大規模な文化創造によってのみ実際的なものとなるだろうとしました。