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コラム②「不自由な水の中にある自由の話」
普段,陸上で生活しているぼくらにとって,水の中に放り込まれてしまったら困惑します。うまく動くこともできませんし,沈んでしまえば息もできません。とても不自由です。そんな中で「自由になろう」なんて,無理な話のように聞こえてきませんか。
ところが,「束縛があるからこそ,自由になれる」という考え方もあるのです。
たとえば,世の中には,とても自由に生きているように見える人がいます。そういう人は,どんなことを考えて生きているのでしょう。
そこで,このお話では,こんな言葉を紹介したいと思います。
「自由とは,必然性の洞察なり」
![](https://assets.st-note.com/img/1735959551-2VBGMYe9RfNlr0jTXDmOKzxS.jpg)
これは,18世紀の哲学者,ヘーゲルという哲学者の言葉です。
「必然性(ひつぜんせい)」というのは,「必ず起こること」。
「洞察(どうさつ)」というのは,「つつぬけに見抜くこと」。
つまり,「自由というのは,当たり前のことを見抜くこと」だ,というのです。
具体的に説明すると,「地球には重力があるのに,それに逆らって生きたい!」というのは,自由な生き方とはいえない,ということです。
当たり前の法則を見抜いて,それをうまく利用して生きるというのが,本当の自由だということ。
つまり,「重力」はあって当たり前なんだから,「あー,この〈重力〉さえなきゃいいのにな~」などとぼやくのではなく,それよりも「〈物体は地球に引っ張られる〉ということを利用するように動く方が,自由に生きられるようになる」ということなのです。
学校のクラスで,「先生たちの言っていることが気に入らないから」といって,ただ反抗するような生き方は,賢いとはいえません。
先生の考え,自分がしたいこと,それぞれをよく考えて,「どちらも幸せになる方法」を探っていけば,学校はたのしくなります。
「あれはヤダ」「これはヤダ」と,ただ言っていたのでは,先生だって,子どもたちに何かしてあげようなどとは思ってくれません。まずは,きちんとした態度を示して,認めてもらうことから始めるのが,「自由への第一歩」なのかもしれません。
●自由というのは〈さぐるもの〉
そして,どんどん自分たちで動こうとします。「あれやってよ」「これやってよ」などと言っていても,誰も耳を貸してくれないでしょう。叱られておしまいです。それで,不満をもつなどというのは,自分から自由を捨てているようなものです。
例えば,学活の作り方。「クラスみんなでやりたいこと」を提案するときに,「自分たちで楽しめることを考えるので,ぜひやらせてください!」と先生に提案してみるのです。そして,チャンスをもらったら,その会をうんと楽しんで見せて,担任の先生に「これはいいな~!」と思わせればいいのです。きっと,次回があるでしょう。
でも,いざやるときになって,「今回決まったことは自分がやりたかったことじゃない。だから,やりたくない!」などと思って,はじっこの方で参加しない人たちが現れたり,やりながら文句ばかり言っていたり,始めるときになってもいつまでもグダグダしていたり,つまらないことでケンカを始めたりするところを見せてしまったら,先生は「ああ,もうこういう時間はなくそう」と判断します。自由を捨てるのは簡単です。そして,自由を守るのは「みんなの協力が必要」というわけです。
自分たちで動こうとすると,できる範囲を先生が教えてくれます。その範囲を,どうやって楽しいものにしていくのか,どうしたらその範囲を広げていけるのか,自分たちの頭で考えていくというのが,賢い生き方,「自由な生き方」なのかもしれません。
●束縛の中にある自由の話
また,「束縛される中の自由」というのを見つけられるようになることが大切です。束縛というのは「決まりにしばられること」,つまり「ルール」です。「しばられる」のに「自由」なんて,どういうことなのでしょう。
例えば,学校には「関係ないものを持ってきてはいけません」という束縛(ルール)があります。「そんなことを決められるのはイヤだな」と思うかもしれません。でもそれは,友達から「今度,学校でアレを貸してほしいから持ってきて!」という面倒なお願いをされたとしても,このルールがあれば,簡単にそれを断ることができます。それはある意味,「必要ないものは持ってこなくていい自由」を得ている,ともいえるのです。時に,束縛があった方が自由に動けることがあるのです。
「これについて,考えたことをノートに書きましょう」と言われるより「この選択肢から考えてごらん」という方が,より深く考えることができるようになるでしょう。そういう経験をしたことは,ありませんか?
要するに,束縛された内側は,「とっても守られていて安全」=「自由」なのです。束縛されると,そのぶん何かが自由になっている…それに気づけたら,新しい世界が広がります。
●水の中にある自由をみつけよう
水の中には,水の中のルールがあります。それは確かに不自由なものかもしれません。けれど,その法則をつつぬけに見抜いて,それを使いこなすことができたなら,陸上では決して味わえない自由が得られるでしょう。
水泳の授業では,そんなたのしみ方ができるといいですね。
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