授業はたのしいだけでいい! ―第5回「授業書の授業が教えてくれたこと」
あなたの職場に,ちょっと苦手な先生はいませんか?
自分のやり方とは違うし,自分がやっていることを否定してきたりもする。そんなとき,どんなふうに自分の気持ちを守っていけばよいのでしょう?
あ,考えてみたら,先生だけではありませんね。
子どもも,保護者も,それぞれが「自分の正義感」で,ぼくにぶつかってくることがあります。
そんな時,誰も敵にしない〈心の持ちよう〉になるためには,どうしたらいいのでしょう。その解決法を,ぼくは授業書の授業に教えてもらったのです。今回は,そんなお話です。
●ぼくの仮説元年
ついに,仮説実験授業の授業書を,ちゃんとやってみようと決心したぼく。そんなぼくの仮説元年は,教師5年目で2度目の2年生の担任だった時でした。
「生活科」という枠組みをうまく利用して,ドキドキしながら《空気と水》の授業書を始めました。これは,彼女さんのオススメの授業書だったし,空気と水は〈生活〉に関係があるので,何か言われても説明できると思ったのです。
始める前までは,「スポイト競争なんて,やる必要があるんだろうか?」って思っていましたが,彼女さんに「それが一番おもしろいんじゃない!」って言われて,疑心暗鬼ながらもやってみました。
すると,子どもの喜びようは全くの予想外で,思わず自分の世界観が変わりました。その後の話ですが,高学年で授業したときも,《空気と水》の「スポイト競争」は大盛り上がり。
ぼくが授業書を体験するようになって最初に思い知ったのは,「子どもがたのしむポイントは,大人の頭だけで一生懸命考えたって,わかりはしない」ということでした。
今でこそ,子どもの喜びそうなことも予想できるようになってきましたが,それでも,「たのしかったかどうかは,実際に授業して,聞いてみなければわからない」という確信があります。
さらに,スポイトで十分に遊んだ知識が,その後の問題の予想に自然と結びついていくことを目の当たりにし,授業書の問題配列の妙に驚かされました。
どこまでも子ども目線で進む授業の進行に,「授業というのは,こうやれば子どもたちが喜んで、自ら学んでくれるんだよ」と教えてもらっているような感じがしました。
そんな,初めての《空気と水》の授業が終わりかけ,子どもたちの感想に「次回が最終回なんて残念です」という嬉しいものが見られるようになった頃,それに混ざって,こんな疑問が書かれた感想を見つけたのです。
「空気って見えないけど,本当に強いと思いました。見えないくらい小さなつぶつぶがとんでいるって先生は言ってたけど,本当なのかな?」
…びっくりしました。
それを読んだぼくは,子どもたちから「《もしも原子が見えたなら》の授業をやってください!」ってお願いされているかのように感じました。
「分子・原子なんて,小学生には早すぎる。もっと大人になってからでいい」って思っていた自分はどこへやら,
「大人になるまで,この〈知りたい〉という好奇心を維持することなんてできるだろうか。いいや,子どもが学びたいときに学ばせてやれなくてどうするんだ。子どもが学びたいのはまさに“いま”なんだ!」
って思えてしまい,次の授業に迷わず《もしも原子が見えたなら》を選んでいました。
そして,知ってしまったのです。
《授業書》は,読んだときに感じていた面白さよりも,授業をしてみて感じる面白さの方が何倍も上回ってしまうのだということを。
みんなで授業をして,いろんな意見が出て,人はいろんな考え方をするのだと知って,実験結果にみんなで驚いて,思いもよらない発想をする友達に感心して,いろいろ考えられた自分もまた,素晴らしいなって思えて・・・。
授業書を読んだだけでは,そういう広がりまでをも予想することなんて,全くといっていいほどできていませんでした。
その年,ぼくは《タネと発芽》《足はなんぼん?》《ふしぎな石じしゃく》と,次々と授業書の授業を積み重ね,一気に仮説実験授業の大ファンになりました。
そんな授業書の授業に教えてもらったことはたくさんありますが,特に「自分の考え方を変えてくれたこと」を3つにしぼって紹介します。
①子どもの気持ちを初めて知れたような気がした
感想を書いてもらう機会が増え,子どもがどんなことに喜んでくれるのかがわかってきた。それまでは,教師の勝手な想像で,子どもの考えを判断していたということに気づいた。なぜなら,子どもたちの感想文には,いつも驚かされてばかりだったから。
そして,そんな子どもたちが信じられるようになった。いろいろなことを,子どもたちに任せられるようになったのも,授業書の授業で,子どもたちと信頼関係が結べたからだと思う。
②他人や自分,そして人間の素晴らしさの発見
授業書の授業は,授業プランなどの授業とは違って,「予想通りのたのしさ」以上の,何か新しい発見が毎回あって驚かされる。教師が予想していなかったような,子どもたちのキラリとした姿に気づき,子どもって素晴らしいな,人間ってステキだな,という発見ができた。
理想ではなく,心から「いろんな考えがあるからいい」という体験ができた。これは,同じような体験をした子たちの人生の中で,とても大きな宝物になっていると思う。
③人からの批判を選択肢で考えられるようになった
他人の意見は,その人の予想選択肢でしかないー。そんなふうに考えられるようになった。どんな人が,どんなことを言っていようが,それが正しいのかどうかは,実験して,結果をみていくことで,はじめてわかってくる。
真理は,偉い人が決めるわけでも,多くの人が言っているから決まるわけでもない,ということを知った。
***
冒頭の問題「苦手な人に何かを言われたときの心の持ちよう」は,
「それがあなたの選択肢なんだね。ぼくのとは違うけど,ぼくに代わって実験してくれるのならありがたい。どちらがよいのかは,結果を見ていきましょう」
と,思えるようになって解決しました。
そう考えられるようになることで,自分の予想が当たって自信がついたり,逆に,嫌な気持ちにさせられた相手の意見も,後々考えると「当たってたのかもしれないか。やるな」などと思えるようにもなりました。
どんなことでも,実験的にとらえられるようになるとき,苦手な人の意見も,自分が大切にしている意見も,意に介さないような人たちのつぶやきも,すべての主張が平等になり,そのすべてが,結果を見ていくときの道しるべになる,ということを知ったのです。
「この世の中に不要な人などいない」という考えが,ただの理想ではないと,腑に落ちる体験。これは,きっと「世界平和」にもつながっていくはずです。
仮説実験授業は,いつかきっと,世界を救うものになる。
いま,ぼくは,そんなふうに確信しているのです。
つづく
※これは,『たのしい授業』という雑誌の「手書きのページ」に,2021年6月号~11月号までの半年間連載されたものです。「手書きの原稿」をごらんになりたい方は,ご購入いただけるとありがたいです!
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?