スメルズライクグリーンスピリット 感想
「誰にでも忘れられない夏がある」という言葉と共に4人の男性が何かをまっすぐ見つめているポスター、このポスターの意味が最後の最後でわかるような、そんな作品だった。
忘れられない夏、筆者にとっても忘れられない作品になった。
昨今、深夜帯の30分ドラマで放送される作品の中で、BL作品が非常に増えているように思う。
この作品もざっくりと括ったらBLに入るのかもしれないが、個人的には、この作品はここ最近よく見かけるBLドラマとは違うのではないかと思う。
確かにこの作品の中には男性同士の恋愛も描かれているのだが、自らのアイデンティティに苦悩しながら本当の自分を探し続けること、そして、同性愛や同性愛者として"この世界"で生きることの核心をついた話だったと思う。
1990年代、現在よりも同性愛に対する理解は希薄だった時代。さらに閉鎖的な田舎町が舞台で、非常に鬱屈とした空気が漂っていた。
この物語の主人公は三島フトシ。彼は髪をロングヘアに伸ばしている少年。夜な夜な母の化粧品を使って可愛い格好をすることを密かな楽しみとしている。そんな彼は、学校でいじめに遭っていた。
そのいじめグループのリーダー格的存在が桐野マコト。バスケ部のエースで、女子の憧れの存在だ。
そしてもう1人、同じくバスケ部の夢野太郎。三島のことを「キモロング」と嘲笑い、何かと彼に突っかかっては嫌がらせをしていた。
三島は彼らから執拗ないじめを受けているものの、あまり意に介していない様子。だが、大切に伸ばしていた髪を切られたことは、かなりショックだったよう。でも、切られたら切られたで、仕上がりはなぜかいい感じになっていた。
そんないじめに遭っている三島をやたら気にかけているのが、若く、最近三島たちの学校に赴任をしてきた教員の柳田だ。
物語は三島を中心としたこの4名をめぐる形で展開していく。
4名を演じている役者の皆さんが本当に素晴らしかった。
三島から漂うなんとも言えないあのミステリアスな空気感、あれは荒木飛羽さんだから出たのだと思う。
そして、三島とひょんなことからお互いの秘密を知り、「本当の自分」を解放した桐野。彼を演じている曽野舜太さんの演技が本当に良い。
「俺」と「あたし」。桐野も実は、周囲にひた隠しにしている「本当の自分」があった。
桐野は女の子になりたいのだ。
「俺」を演じている時と、「あたし」を演じている時がまるで別人のようだ。「あたし」の時は、喋り方、声のトーン、所作、目つき、その全てが女性的で、この演じ分けは本当にすごい。
そして、夢野。夢野を演じるのは藤本洸大さん。
彼は三島をさんざんいじめていながらも、どこか彼のことが気になる様子。
後半では、いつも三島のことを気にかけていて、その不器用な優しさに胸がほっこりする。
三島に思いを伝えたものの、彼が「男性である」という事実を突きつけられた途端にふと我に帰り立ち去ってしまうのだが、その後1人で葛藤する姿が印象的だった。
教員の柳田を演じているのは阿部顕嵐さん。いつもニコニコしていて、優しくて爽やか。絵に描いたような素敵な先生、のように見えるのだが、その笑顔は貼り付けられたように空虚なものに見えていた。
そんな彼の秘密が明らかになり、ついに本性を現したときの目に狂気が宿ったあの演技、2度と忘れないと思う。
この物語には、たびたび「パンドラの箱」という言葉が出てくる。
「パンドラの箱」は開けてしまったら2度と後戻りすることができない、ということなのだろう。三島と桐野は、お互いの秘密を知り、ついにパンドラの箱を開けた。
2人きり、屋上で化粧品を使ってお互いにメイクをしたり、好きな男性のタイプで盛り上がったり、本当にキラキラと輝いている時間だった。
彼らにとって、この時間が永遠に続けばいいのにな、と思って見ていた。
2人は、こうした関わりがなければ、ずっと本心に蓋をしていたのだろう。
彼らと対照的に描かれていたのが柳田だ。
彼はずっと1人だった。理解してくれる仲間はいなかった。家族にすら、ひどい言葉を浴びせられていた。そんな過去が、柳田自身の語りによって明かされた。
だからと言って、彼のした行いは到底許されるものではない。
だが、彼にも三島にとっての桐野、桐野にとっての三島のような存在がいたら、彼があそこまで歪むことは無かっただろうし、彼の生きる"今"が違うものになっていたと思う。
そして、あの出来事があった後でさえ、「あの時先生を受け入れていたら、先生を救えたかもしれない」と三島は語った。
これは三島の根っからの優しさから出てきた言葉なのだろうが、それに対して、桐野が「いや、あいつのしたことは、同類としても、教師としても、人としても許されることじゃない」と優しく、それでいて強く諭していて、「ああ、桐野が三島のそばにいてくれてよかった」と思った。
そして、夢野と三島の2人のシーン。
その後、夢野が母と話す中で、「俺は三島が好きだった。でも男としての三島は、違った。」と語る。
そんな夢野へ、「あなたが三島くんを好きな気持ちはどこに行っちゃうのかな??」という、母の優しさに溢れた言葉がけは、胸にじわりと染み渡った。
また、夢野の母が語る、「もし太郎ちゃんがそうなら(男性が好き)、それはしょうがないと思うわ」という言葉も、とても印象的だ。
「しょうがない」というこの言葉、ざっくりしている言葉にも聞こえるが、母の温かさが詰まっていると感じた。
このドラマ、1人1人に微妙な違いがある。
三島は女性のような服装やメイクをするのが好きで、男性が好き。だが、女性になりたいかどうかはわからない。
桐野は、男性が好き。そして、女性になりたいと思っている。
夢野は、男性であり、三島という人は好きだが、男性が好きであるわけではない。というかまだわからない。
柳田は、男性として生きていて、男性が好き。
その微妙な違いがとても丁寧に描かれていた。
そして、みんな、本当の自分を探している。
その中で、彼らが見つけた答えは一体なんだったのか。それは最終話で明かされた。
本当の自分になるために、三島と桐野は東京へ向かうが、桐野の母が倒れてしまう。
桐野は母を本当に大切に思っている。母1人、子1人、ずっと2人で生きてきた。だからこそ、母を悲しませることはできない。
彼は「あたし」として生きるために東京に行くことを諦め、地元へ、母の元へ帰ることにした。
彼は、自分の「パンドラの箱」を閉めることにしたのだ。自分が幸せになるために、自分で決めた。「強くならなきゃ。いつかは幸せな結婚もできるかも」と語る。
三島とは生きる道を違えることに。
地元に帰ってきた時の桐野。「あたし」が「俺」になる瞬間、彼の目つきが一瞬にして変わった。
女性から男性になったことがよくわかった。
自分で決めたのはわかっている。社会から抑圧されて決めたわけではない。でも、それでも、胸が苦しくなった。
それからというものの、2人で過ごしていたはずの屋上での昼休みは、三島1人で過ごすようになり、桐野は仲間たちと楽しくバスケをしている。
卒業式の日、互いに言葉を交わすことなく、黙って目だけを合わせる2人。互いにわかり合っているからこそ、別れた。それでも、苦しい。
だが、三島の隣には夢野がいる。彼は、あれから三島のことを考え続け、三島のそばにいることを選んだ。
そして途中退場した柳田はというと、自暴自棄になり、ギリギリのところで生きているようだ。彼のその後は「深潭回廊」というスピンオフで描かれているそう。
ラストは三島、桐野、夢野のその後の姿が。
全員、社会人になって、立派に生きていた。
三島と夢野は、東京に上京して、同棲している。恋人同士として生きているのだ。東京は彼の思うような桃源郷というわけではなかったが、片田舎で生きるよりも「本当の自分」に近い姿で暮らすことができている。
そして桐野。
彼はあれから、「パンドラの箱」を閉じたまま、結婚をし、子どもを持ち、今もあの田舎町で暮らしていると思われる。
彼はかつて三島に語った通りの人生を送っている。きっと幸せじゃないわけではない。でも、あの夏、三島と過ごしていた時にはあった彼の瞳の輝きは、色褪せていた。
自分で決めたからこそ、幸せに暮らせているからこそ、胸がちくりと痛む。
彼は「あたし」として生きる希望を三島の人生に委ねた。そして、彼は自ら選んだ人生を強く生きている。
最後の最後で気づいたことがある。
このドラマのポスターのことだ。他の3人とは違い、桐野だけは柵越しの写真だった。
ずっと不思議だったのだが、今思うと、彼だけ柵を越えることができなかったのだと思う。
柵を越えられず、本当の自分を箱にしまい、柵の中で生き続けている。
彼らの人生の中で忘れられない一夏の経験を切り取ったこのドラマ。
このドラマを見ることができて、よかった。