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「センスの哲学」を読んだ

本日は千葉雅也著「センスの哲学」を読んだので、それについて書きたい。

「センス、良くなりてぇな〜」と思うことは割と誰でもあると思うのだが、そもそもその「センス」の正体とは何なのか?が千葉雅也の視点で解かれる本であり、その「センス」論もかなり納得できる内容だなと感じた。

大まかにいうと、この本は「センス」を解き明かすことに始まり、インプットをどのように行うか?アウトプットをどのように行うか?のヒントが詰まっている本だと感じたので、それを書く。

今日の知見

「リズム」で捉えてインプットする

文化資本の形成とは、多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作ること。

千葉雅也「センスの哲学」より引用

学習とは抽象化であり、モデルはあるにしてもそれを抽象化して扱うこと。データ量が多いと特定のモデルに偏らない。

千葉雅也「センスの哲学」より引用

センスとは「直感的に分かる」ということで、色んなことにまたがる総合的な判断力である。

千葉雅也「センスの哲学」より引用

まず、センスとは色んなことにまたがる総合的な判断力。
つまり、ある物事を捉え、そこから捉えたインプットを何かしら他の分野に転用し、判断し、使うということだと解釈する。

そのためには、インプットをそのまま捉えて、そのまま「モデル」として表面的に真似をするのではなくて、抽象化して捉えることが大事だということを述べている。

1番上に引用した「文化資本の形成」というのは、そもそも人間は自分がまだ知らない未知の領域に対してはインプットを行うことを躊躇ってしまうが、他の分野に転用したり、使えることがわかれば、そのインプットも段々面白くなってくる。その回路を作ること。

じゃあ、捉えたインプットをどう他に転用するか?というところで、

「リズム」で捉えてみる

というのが、この本である。

リズムで捉えるとは、どういうことか?
細かく言うと色々書いてあったが、僕の単純な解釈だと「反復」と「差異」で捉えるということかなと思った。

軸となるリズムである「反復」
タンタンタンタンタン…
みたいな心地よいリズム。

そこに入る「差異」
タンタンタン「タタン」、タンタンタンタン…
みたいなアクセントをつけるリズム

前に書いたノートは、櫻坂46の東京ドーム公演について書いたが、それをリズムとして捉えてみるということを実践してみた結果だ。

このライブの流れを「リズム」として捉えてみたのだが、
櫻坂46のリズムは、「BAN」や「何歳の頃に戻りたいのか?」などといったかっこよさげな曲が軸のリズムとしてある。ファンもここはとても盛り上がっており、熱狂を生む。

その一方で、アクセントとしてその中に、「桜月」のような感動的で静かめな、曲を入れることで、このライブが単調ではない面白さ、ファンが熱狂するようなライブになる理由を作っているように思えた。

このように捉えてみる。そうすると、この差異の生み方が色んなものに応用できるようになってくる。確かに。

そして、音楽的なことではなくて絵や食べ物にも同じ「リズム」で捉えることができる。

コジマユイ作

例えば、このイラストでいうと、屋根から壁にかけては線の凝縮がなく、スッキリとした大きなリズム(反復)であるが、床の畳に線が凝縮され、小さなリズム(差異)があることによって、バランスがよく見える。

また、奥に流れる線のパースが大きなリズム(反復)であるが、その中で照明を囲う四角形がアクセントの「差異」となっている。

とまぁ、これはあくまで僕の捉え方であるが、こんな感じでみると、他にも転用できそうなインプットとなるのだ。

もちろん僕も実践し始めなので、若干、??のつく例かもしれないが、多分こんな感じ。

「小さな意味」で捉えてインプットする

物事を捉える時には人は大きな意味で捉えてしまうことが多いという。

大きな感動ともいうが、「感動した!」とか「楽しかった!」みたいなことだと思う。
全くこれでも良いと思うのだが、それとは別にもう一個、「小さな意味」として捉えるというのがあるという。

構造的感動とは、色んな事柄の近さとか遠さのリズミカルな展開を面白く思うこと。色々な部分の面白さに注目すること。

千葉雅也「センスの哲学」より引用

構造的感動ともいうが、「近い/遠い」で捉えてみるというのが、一例だという。

例えば、「近い」は、
櫻坂46のライブでいえば、僕にとっては、
「BAN」や「Start over!」、「何歳の頃に戻りたいのか?」という楽曲は、アップテンポだし、カッコいいという意味で、割とそれぞれが「近い」と捉えた。

一方で、「遠い」は、
それらの楽曲と「桜月」。「桜月」は他の表題曲に比べると、静かで、感動的で、聴き入ってしまう楽曲という意味で、「遠い」と捉えた。

そして、ライブの最後の方であった「Anthem time」や「ドローン旋回中」は、ノリが良いという意味で「BAN」などとは「近い」が、かっこよさという点では、「遠い」。

…のように、ライブの構成が「近さ」と「遠さ」で理解できる。

絵においても、

ピート・モンドリアンの有名な絵

全部、四角形というところや、線の太さが同じというところは「近い」で構成されているが、
色は、それぞれ赤、青、白、黄色と「遠い」で構成されている。

この近さと遠さのバランスが分かると、何か面白い。多分、こんな感じで観てみることなんだと思う。

「リズム」でアウトプットする

さて、これをどうやって自分の作品やアウトプットに繋げていくか?という部分だが、

どんな形で並べても良い。
音楽であれば音をどんな形で並べても、映画であれば何かの映像と何かの映像を並べても何かしたら意味を作るようにはなっている。

千葉雅也著「センスの哲学」から引用

結論、そのインプットで得たリズムを並べることでアウトプットを行うということ。

言い換えれば、全てのことにリズムがある。そのリズムに並べる作業がアウトプットだということだ。

そして、それはどんな形で並べても、人はそこからその場面と場面の意味付けを行い補完していく。どんな並べ方でも良いのだ。

一方で、その中で面白いと言える並び=リズムとは何なのか?それが分かる、作り出せることがセンスの良さである。

極端なランダム状態を最大値として考えた時に、そこに色んな制約をかけていくことでいろんなジャンルが成立する。

千葉雅也著「センスの哲学」より引用

面白いリズムとは、ある程度の反復があり、差異が適度のバラツキで起きることである。

千葉雅也著「センスの哲学」より引用

差異とは予測誤差であり、予測誤差がほどほどの範囲に収まっていると美的になる。それに対し、予測誤差が大きく、どうなるか分からないという偶然性が強まっていくと崇高的になる。

千葉雅也著「センスの哲学」から引用

ずっと私が書いている櫻坂46のライブは、まさにこの反復と差異の適度なバラツキであった。

この反復と差異の心地よいリズムを意識しながらモノを作ることは今後、意識したい。

千葉雅也氏はこう言っている。

最大の開放状態としてただの偶然を置いた上で、いくらかの反復と差異を作っていく。
「偶然ベースのゆるい状態から締めていく」というような発想で、テキトーに絵を描いたり、音を出してみたりすると面白い。

千葉雅也著「センスの哲学」から引用

とにかく、あんまり表現したいモノとか考えずに並べてみましょう!ということ。
それに反復と差異のルールを付け加えていくことによって「センスが良いもの」「自分の個性がでているもの」が、結果的にできる。

作るものは少し反復と差異のリズムを意識してあまり深く考えずに出してみようと思う。

最後に

面白いものの見方だなと思ったけれど、あながち、大きな意味で捉えなくても良いというところや、誰もが言うが、とにかくアウトプットを出すことなのだということが、さらに強化されたと思う。

では、この辺で。

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