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【脱力】の意味を履き違えた数か月
最近、「脱力」という言葉に魅了されていた。
生活の中で脱力をキーテーマとして自分なりに実践する。
しかし、脱力の本当の意味を理解せずに、
本来やるべきことを怠っていたことに気付く。
全ての物事に対して手を抜き、頑張らない努力をするようになった。
仕事も最低限の努力で済ませていたため、
体力を消耗することなく疲れる感覚があった。
体力を減らさない努力をし過ぎて、体力自体が劣っていたのだろう。
リラックスしているつもりだったが、実際はリスク逃避傾向に陥っていたことに気付く。
脱力の本当の意味は、「力まないこと」だ。
ただ力を抜くだけではなく、
力の入れどころと抜きどころを明確にすることが大切だったのだ。
これを理解せずに、単に力を抜いていたため
ストレスから逃げ回って逆に疲れていた。
ほとんどの出来事に乗り気になれなくなり
斜に構えすぎて最近はもう横を向いていた。
GWにギラギラしてる人と会う中で、このままではダメかもと思った。
駄目ではないが自分が求めていた脱力はこれではないと分かった。
例えると僕が理想とする脱力は、仮病を使って打席に立たないことでない。
打席に立ちながら小声でキャッチャーに「次はまっすぐ?」と冗談を言うことである。
なんとも分かりづらい例えだ。言ったことを後悔している。
そんなことを考えながら大好きな天下一品に行った。
壁紙には【正しい努力】と書いている。
創業者の木村勉さんの好きな言葉らしい。
良い言葉だな。
死んだら墓石に【正しい脱力】と書こう。