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理想と現実のギャップの間に味が出る

嘘でもいいからギャップを埋めろ


世の中は「理想と現実のギャップでできている」といっても過言ではない。
毎日の生活で、私たちは大なり小なりこのギャップと戦っている。
ギャップが欲を生み、人を前進させたり後退させたりする。
たとえば、「朝早く起きて健康的な朝を過ごそう」と心に決めたのに、目覚ましが鳴った瞬間に布団にしがみつく。理想はその瞬間、一瞬で霧散する。

これがいわゆる「理想と現実のギャップ」である。

ここで重要なのは、このギャップをどう埋めるかということだ。
ある人は、現実を少しねじ曲げて、理想に近づこうとする。
言い換えれば、自分に優しくするという技だ。
早起きに失敗しても、10分だけストレッチをしたら「ちょっと健康的な朝を過ごせた」と自分を納得させる。理想と現実の間に細い縄橋でもかければ、なんとか前に進める。石橋でも縄橋でも、橋さえあればいい。
これができれば、自己嫌悪に陥らずに済む。

捻じ曲げた現実も、立派な現実である。

憧れは時として人を邪魔する

しかし、時にはどうしてもギャップが埋まらないことがある。
むしろ、そのギャップに押しつぶされ、燃え尽きてしまうことさえある。

人は、自分の理想像に対して「こうであるべきだ」と勝手にプレッシャーをかけがちだ。だが、そのプレッシャーは、結局、自己分析という名の苦行にほかならない。自分の弱点を見つけ、それをじっと見つめるという作業は、なかなかに辛いものである。

さらに困ったことに、憧れが邪魔をしてくる。

憧れの人や理想の自分が頭にちらついて、「まだまだだな」と思わされる。しかし、ここで気づくべきは、憧れと自分の役割は違うということだ。
誰もが超サイヤ人になれるわけではない。
いくら頑張っても、クリリンはサイヤ人にはなれない。

だから、自分には自分の役割があり、それを見つける方が楽になるのだ。
人には人の立ち回り方があるし、乳酸菌は乳酸菌であって、人になることはできない。

こう考えると、少し肩の力が抜ける。
無理に他人に追いつこうとするよりも、自分自身をしっかり見つめ、伸びしろに気づくことの方が重要だ。それに気づけば、少しずつでも理想に近づくことができるかもしれない。

ギャップの中で生まれるその人の美学

ただ一つ気をつけたいのは、あまりに自分を客観視しすぎると、逆に気分が下がるということだ。

だからこそ、少しのナルシズムが必要である。
社会人の嗜みとしてのナルシズムだ。
これがあれば、自己分析も「自虐」ではなく、「成長のためのツール」になる。

理想を追い求めることも、現実を生きることも、どちらも大事だ。
そしてその間にあるギャップを埋めるべきだが、完全に埋める必要はない。むしろ、そのギャップがあるからこそ、人間らしさや味わいが生まれるのだ。
美学とはいかにそのギャップの中で自分らしさを見つけるか、ではないか。

人生とは、血を流し、脈を上げながらも、時にはくすっと笑う瞬間を自分に許す営みである。そして、少しでも気分のいいことを積み重ねる。それがきっと、長持ちする秘訣なのだろう。

効率化や戦略も大切だが、それは余白を生むためのものである。
余裕ができれば、また余裕ができる。
そうして、その余裕が次のステップへの一歩となるのだ。


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