私の発言 廣瀬 通孝氏 制約のないものはない。 制約を楽しむ気持ちを持ち,最適化を求め過ぎず,スピードを大切にして欲しい
東京大学大学院 廣瀬 通孝
VR教育研究センターはあくまでも「for VR」ではなく「by VR」
聞き手:2018年に設立された東京大学連携研究機構VR教育研究センターでは機構長を務めていらっしゃいますが,設立の意義や現在の活動内容について教えてください。
廣瀬:大学には,工学系,医学系,人文社会系などの,いわゆる部局があり,企業の事業部のように,縦割り組織になっています。しかし,VR(バーチャルリアリティ)のようにいろいろな部局が関係し,研究開発をするためには,組織的には横串を通さなければできません。もちろん,実態としては,医学系の先生や人文社会系の先生もよく知っていますから,一緒に研究協力してはいるわけですが,組織として動こうとしたときには,それぞれの部局長に許可を取らないといけません。これでは,機動性がないのではないかと昔から言われていました。
大学の中に横型の組織をどうつくるか。その解答の1つが,連携研究機構という組織なのです。規模は違いますが,組織的には医学系研究科や工学系研究科と並ぶものになっています。東大にはそういった連携研究機構が今では20以上整備されてきています。
その中の1つとして,VR教育研究センターがあるわけです。全学組織としてVRという言葉を付けているのは東大だけかもしれません。東大には昔からVRを専門とする先生がたくさんおられましたが,東大という組織の中に散っていたのです。第2次VRブームと言われる中で,きちんと組織化してシナジーを発揮していく体制を取り,予算をもらい,場所ももらって,今は専任の先生も2人着任しています。
VR教育研究センターというと,「VRを教育するのですか?」と聞かれることが多いのですが,それは違います。VR教育センターは,あくまでもVRを道具として使って何ができるかを考えるセンターで,「for VR」ではなく「by VR」のセンターなのです。
VR研究は第2世代に入ったと言われています。第1世代ではVRという技術自身を開発することが大きなテーマでした。ですから,東大の中に,入口以外の正面,両側面と天井,床の5面にプロジェクターで映像を投影するというCABINという大規模なVR施設を作ったりもしました。しかし,第2世代の今は,VRを使って何かできるかという出口の時代になってきています。それゆえに「by VR」のセンターを創ったのです。特に,東大における出口は「教育」と「研究」です。大学の上層部からは,VRを使って先端的な教育・研究システムを開発せよというミッションを与えられています。
おもしろいことに,開所式には多くの企業の方がいらっしゃいました。今は企業におけるスキルの伝承などが非常に大きな問題になっており,デジタルメディアを使った教育訓練としてどう役に立つのかを気になされていました。それはうれしい誤算で,2019年10月には,サービス系企業による寄付研究部門ができました。センターには,大学の予算でつくった基礎研究部門と応用研究部門という2つの部門がありますが,加えて企業による寄付研究部門ができました。サービスVRをテーマに,サービス業における訓練などにVRを活用するためのいわゆる寄付講座です。
適材適所を見極めるためにもVRの技術は有効に使える
聞き手:もともとVRを使っていなかった頃は,訓練や教育はOJTで人から人に自分が学んだことを教えていました。VRを使う良さはどこにあるのでしょうか?
廣瀬:それはいくつもあります。まず,1つ目としてOJTは手間がかかります。ですから,一般的な企業の教育では,座学を中心にして,最後に実習研修のような形でOJTを入れています。しかし,それには問題点があります。例えば,鳶のスキル伝達を考えてみましょう。座学でとても良い成績をおさめた人間がいたとします。でも,その人が実際に実習をやる段階になったら,実は高所恐怖症だったということがよくあるそうです。もともと,鳶には向かない人だったのです。お医者さんになろうとした人でも血がダメな人がいます。適材適所という言葉があるように,最初にその人にとって本当に合っているのか見極めることは大切です。論理的に考えられる適性と,もっと資質的な適性の両方を並べてみることが重要で,それは職種によっても求めるものが違うので,体験ベースの方が見つけやすいです。教育訓練では,身体的なものや暗黙知的なものが重要で,最初に見つけることが効率化や教育コストの低減にもつながるのです。
こういった方法論の先輩格として,パイロットの養成があります。航空会社ではこれまで何十億円もするフライトシミュレーターを使い訓練をしてきました。パイロットを1人養成するのに1億円かかると言われていますが,航空会社はそれでも採算が取れるようです。しかし,最近のVRシステムは,第1世代に比べ2桁から3桁くらい安くなってきており,システムを何十万円という価格で作ることができるようになりました。一般の企業では1人に1億円はかけられませんが,何十万円で訓練できるなら,VRを使う企業が増えるでしょう。
2つ目として,実訓練ではちゃんとやっているかを見るために,マンツーマンでやらなければならず人手がかかります。VRならインタラクティブなことをやろうとしたときにも,HMD(ヘッドマウンテッドディスプレイ)をかけてコンピューターを介して行うので,何がどう動いたかを全部コンピューターで記録できます。窓口サービスの場合には,お客様とちゃんと目を合わせながら対応しているか,視線がどこを向いているかが重要になります。HMDはディスプレイだと思われていることがありますが,最近のHMDはセンサーの塊です。ヘッドトラッキングセンサーがついていて,頭をどう動かしたかがわかりますし,アイトラッカーで目がどのように動いているかもわかります。最近は,顔の緊張や脈拍などもわかります。このセンサーを用いて集められたデータを分析することによって,訓練の可能性がいろいろ広がっているのです。
3つ目としては,再現力です。訓練では,ここで間違いをしたからだめだったということが多々あります。シミュレーションのいいところは,間違いをしたところからやり直せることです。特に,その状態が二度と再現できないようなレアケースも,バーチャルなら再現できるのです。
4つ目は,視点を変えられることです。サービスなどで非常に重要だと言われているのですが,例えば航空会社のCA(客室乗務員)の訓練では,自分がどう見えているか客観視するのはとても難しいのではないでしょうか。しかし,VRなら視点変換が極めて楽にできるので,航空会社では,CAや窓口の訓練にVRの活用を広げようとしています。
今は製造技術というよりは運用技術の重要性が高まっている
聞き手:VRの研究を進め,人々の生活に浸透させていくために重要だとお考えのことはありますか?
廣瀬:今後,企業間コンソーシアムの役割が増えるでしょう。私もURCF(超臨場感コミュニケーションフォーラム)の会長をしていますが,そういう模型組織です。URCFは,高い臨場感を有する情報メディアを実現するための技術開発や情報交換,異分野交流を目的として,2007年3月に設立されました。現在はあるテクノロジーがあったときに,それをどう試していくかが非常に重要になってきています。URCFの中にはいろいろなフィールドを持つ企業が入っています。フィールドを持っているということ自身が,これからの情報技術やアカデミアにおいて重要な役割を果たすと申し上げたいです。
いろいろな企業の方たちとお話しさせていただいていると,おもしろいことを言うのは現場を持っている人たちです。昔は,シーズを持っている人たちが夢を語っていました。例えば,「こういうロケットがあれば宇宙に行けるんですよ」という話をするのです。でも,宇宙に行って何をするかといった話は,あまり語られていませんでした。こういう人たちは,ロケットを打ち上げた時点で目標が達成されるのです。ある意味,技術者にとって幸せな時代だったのかもしれません。
現在はコンテンツの時代と言われているように,製造技術よりも運用技術の重要性が上がってきています。先のロケットの話でも,打ち上げてから何をやるのかが重要になってきています。おもしろい知識というのは,作った技術を試しているうちに出てくるものです。しかし,技術を使って何をするのという問いかけはメーカーからは出てきません。使う側が知識を知り始め,力関係が変わり始めているのです。
とはいうものの,いきなり利用の現場に触れるのは様々な困難がともないます。われわれの研究室では,2000年に入ってから博物館に出入りするようになりました。デジタルミュージアムのプロジェクトです。エンターテインメントよりもう少しシリアスな部分で使える分野を探した結果,博物館があったのです。博物館に行く人たちは知的水準が高く,ある種のセレクテッド・パーソンでもあるわけです。新しい技術が最初に登場するのは学会です。そこには専門家が来ますから,新技術に対する理解があります。それよりは一般的な場として,博物館や企業が実際の現場で使える応用技術を探すための展示会があり,最終的な一般的社会として家庭があります。いろいろな場があるわけで,そうした様々な使用者たちに加わってもらいながら研究を進める場所を作っていくことが必要で,これからの研究の方法論になるのではないかと思っています。
旧態依然とした実験室から人を招き入れるリビングラボへ
廣瀬:近代以降,大学の中に研究を試す場として実験室が設けられましたが,こういう昔のままの実験室でいいのかが,まさに今,VR研究などで問われているところでしょう。VRに関しては,人間を対象とする実験が必要です。社会の中に装着された形で,どうやって技術を検証していくかという時代になってきているのです。そういう意味で,新しいスタイルのラボが求められているというわけです。
最近は,リビングラボという概念が盛んに言われてきています。大学の中に一般の人たちを招き入れるしかけを作るのです。研究者から見ると,一般の人たちは被験者なのです。企業で言うアンテナショップみたいなものです。アンテナショップは,企業にとっては来場者が何をするか試す場でもあります。
これまでの実験室は,外部の人たちが入るのを前提としていない構造になっています。そうした在り方を変え,今われわれは,VRセンターでワークショップをやったり,企業の人たちのデモンストレーションやギャラリーにしたりすることを考えています。
人を招き入れるのがリビングラボです。“招き入れる研究”と言っていますが,実験室にその技術に直接関係するような外部の人を入れて,いろいろな意見を聞く,オンキャンパスということです。逆に,博物館などはフィールドラボといって,オフキャンパスになります。それらをうまく有機的につなげるのが,これからの重要なテーマです。
VR教育研究センターで1つの作業仮説として考え始めているのが,冒頭に申し上げたように,VRの応用として教育訓練に特化するということです。第1世代のVRは製造業のVRでした。ものづくりの分野で,CADの延長上がVRだったわけです。例えば,カメラを作りたいときに,カメラの使い勝手をバーチャル・プロダクトを作って試しています。しかし,それはもう行きつくところに行ってしまっているので,それがある種の閉そく状態を生んだわけです。
今日,産業界として見ると,サービス業のほうが元気がいいのではないでしょうか。もちろん,効率化が遅れている,など,問題も山積みです。だからこそ,おもしろいとも言えます。先に申し上げたように,VR教育研究センターでもサービスVR寄付講座をつくり,サービス業を中心とした新しい研究領域を求め始めているわけです。
一方,今,テクノロジーは製造業にあります。理系の拠点は製造業にあり,理系的知恵は製造業に集まっています。ですから,サービス業の理系化が重要になっているのです。グーグルやフェイスブックは新しいタイプのサービス産業です。ものをつくっているわけではなく,形のないものを売っています。しかし,それを従来型のサービス業にいきなりやれと言ってもテクノロジーがありません。ですから,重要なのがテクノロジーの転移なのです。
製造業からサービス業へという流れの中で,新しいサービス業とは何かをきちんと考える必要があります。こういう分野こそVRの技術の投入のしがいがあるというわけです。
アナログからデジタルへ VRは平成とともに生まれ 今年30歳
聞き手:VRの技術に創成期から関わってこられて,VRの変化をどのように感じていますか?
廣瀬:実は,VRは平成と同い年なのです。1989年1月平成が始まりましたが,VRは同じ年の6月7日,VPLという会社でジャロン・ラニアがVRという技術を売り始めたのが,最初なのです。ちなみに,そのとき発表したVR製品の名称は,アイ・フォン(Eye Phone)でした。もちろん,当時は学会など存在していませんでしたが,その後すぐにMIT(マサチューセッツ工科大学)のスタッフが中心となって国際会議を始めていきました。僕自身,幸せだったのは,その現場に居合わせた,数少ない日本人だったことでしょうか。日本でも自然に学会を作る形になっていきました。
ですから,VRは30歳です。平成という時代を振り返ると,入口はアナログで,出口はデジタルだったと言えます。僕らの講演も,最初はビデオテープとスライドでしたが,今ではパワーポイントで,ラップトップのPCの中に動画まで全部入っています。アナログから始まったのが,デジタル化して完全に完了するまで30年かかったということです。
第2世代に向けての変化は,2014年にフェイスブックがVR企業のオキュラスを買収したあたりから起こってきました。オキュラスという会社は安価な高性能HMDを作った会社です。HMDは90年半ば頃にいったん死滅しました。われわれもHMDは実用にならないし,解像度も十分でないから,プロジェクターで行こうと,博物館やデジタルミュージアムでは,全天周型のディスプレイを使うようになりました。プロジェクターだと解像度が高く,ハイビジョンやスーパーハイビジョンのクオリティが出てきたからです。みんながその方向に向かっていました。
しかし,2014~2015年くらいに,うちの学生が,「先生こういうおもしろいものがあります」と持ってきたものがありました。それがHMDだったのです。HMDはわれわれが昔,さんざん取り組んできたので,「学生はモノを知らないな」「何でこんなものをおもしろいと思うんだ」と,まわりの先生方の反応は冷淡でした。しかし,現実は学生のほうが正しく,新しいHMDが1つのブームになっていきました。昔のHMDを知らない人たちによって代替わりが起こったのかもしれません。僕らは,ヘッドマウンテッドディスプレイと言いますが,最近はヘッドマウントディスプレイと言っているようです(笑)。時代は繰り返すということです。
今では,HMDは数万円で手に入るようになりました。ソニーのプレステVRは2K相当の解像度があります。費用対効果からみると,格段に使いやすくなりました。予想すらしていなかったのが,スマホの流行です。今では100円ショップでVRレンズが売られています。スマホにはめると,HMDになります。スマホには加速度センサーなど各種センサーがついていますから,気がつけばポケットにHMDが入っているという時代になってきているのです。また,リコーが全天周型カメラTHETAを発売しましたが,360度の動画を簡単に撮れるようになっています。このように,様々な技術が,VRの周りにつながり始めてきています。
知らないことは偉大で,知らないからできることがある
聞き手:これから工学分野において活躍を目指す若手研究者・技術者,学生に向けて,意識の持ち方や大事だと思われることなど,メッセージをお願いします。
廣瀬:最近,漠然と思っているのは,「高速化時代」と言われているのに,むしろ研究開発のスピードは遅くなっているのではないかと。マスコミでも,技術の進歩は速いという書き方をしますが,本当に速いのかと一度検証してみたほうがいいように思います。
2020年の東京オリンピックで,東京の鉄道網はどれだけ変わるかというと,ほとんど変わりません。田町と品川間に新駅ができるくらいです。昔なら,羽田空港から少なくとも東京駅直結くらいの線路をつくっているでしょう。ちなみに,前の東京オリンピック開会直前の1964年10月1日に開業した東海道新幹線は,わずか5年でできているのです。今まで最高110 km/hで走っていた特急列車が,いきなり200 km/hを超えて走るようになったのです。
わからないことをやるときには,多少の無茶も必要になります。それに対して,われわれは寛容でなければいけません。何事もこわがっていてはできないのです。
ある会社の社長さんで,自分で会社を大きくした人がいました。技術屋なのですが,あるとき,水の中で自社のスピーカーの音が聞こえるかと話題になりました。技術関係者の人たちが,ああでもない,こうでもないと,会議をしていたところ,その社長は途中で切れてしまって,「バケツに水を入れて,そこにスピーカーを沈めて聞いてみろ!」と言って帰ってしまったそうです。まさに示唆的な話で,今はそういうことが多いのではないでしょうか。
「メッセージをお願いします」と言われると,私は「知らないことは偉大である」とよく答えています。具体的な答えを出さないと何も進みませんが,知り過ぎているとやれないことがあります。知らないからできることがあります。無限の可能性の中から,最適化を求め過ぎると何もできなくなってしまいます。今の製造業の人たちは,あまりに最適なものをつくろうとするから,いつまで経っても完成品ができないのかもしれません。予算がないとか,みんなが理解してくれないと不平を言う人がいます。制約があることに不平を言っても仕方がないわけです。逆に,制約があるところから思考は始まるのです。仮に不平を言っている人に,制約を全部取っ払うから良いものをつくってくれと言ってもつくれないのではないでしょうか。むしろ,制約を楽しむことも必要です。制約のないものはないのですから,制約を楽しむ気持ちを持つことです。そして,あまりに最適化を求め過ぎず,なおかつスピードを持って進める時間感覚も大切にして欲しいと思います。
(O plus E 「私の発言」2019年11・12月号, 797~802ページ掲載。
ご所属などは掲載当時の情報です)