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バレエマンガを比較してみた! then(あの頃) & now(今)

noteで、できるだけトピックの範囲を絞りたいとは思っているのですが、本質的に引き出しが多いため、いろいろ違ったトピックを挙げてしまうのをお許しください。
さて、子どものとき習わせてもらえなかったバレエを大学生で始めたという執念深い(?)私ですが、そんなこんなで、バレエマンガなるものも読んできました(全部ではないですが)。古いところでは山岸涼子さん『アラベスク』、最近では読んでいないのですがCuvieさん『絢爛たるグランドセーヌ』などがあります。古今東西、バレエは(主に)少女たちの憧れ、日本に限らず海外でも人気は高いです。変わったところではナイジェリアのバレエスクールなんていうのもあるようです。日本、韓国、中国など東アジア系のダンサーたちは、もうすでにだいぶバレエの世界に進出しているイメージがあります。
今回比較したいのは(と言ってもわざわざ読み返してはいないのですが・・・)有吉京子『Swan~白鳥』と、ジョージ朝倉『ダンス・ダンス・ダンスール』です。
前者は1976年連載開始。私が小学生のとき雑誌連載(集英社『週刊マーガレット』)を読んでいたものです。北海道・旭川出身のバレリーナの卵、聖真澄がボリショイ・バレエの公演で出会った師・セルゲイエフ(この辺りの体当たり感は、『ガラスの仮面』などとも告示しているような・・・)や彼の教え子のダンサーたち、また日本のトップレベルのダンサーたちに出会い、さまざまな困難に遭いつつ、コンクールや恋などを経て、一人前の、それも国際的なダンサーに成長していく、という物語です。
以前読んだのですが、なんでも有吉先生は連載開始当時、バレエのことはほとんど知らなかったそうで・・・週刊連誌を走りながら調べたりして描いていったということで、驚きです。有吉先生はバレエマンガを描くために漫画家になった、というような方です。『Swan~白鳥』の前作として短編の『白鳥の歌をきいて!』がありますが、こちらは、美貌と才能に恵まれた少女ダンサーがいるのだけれど、不治の病に冒されていて・・・という、当時なぜか少女マンガ界で好まれていた筋書きでした(『Swan~白鳥』の中にも、生まれつき心臓が悪いけれど天才的なダンサーである「リリアナ」が、主人公の最大のライバルとして登場していますが・・・)。
実は以前、似たようなテーマでエッセイを書いてある賞に投稿したのですが、見事選ばれたということはなく・・・気になったのは、ここで真澄がどんな国(ロシアやアメリカ)に行っても、まるで翻訳こんにゃくが喉に入ってでもいるかのように(?)、まったく問題なく、「話せている」ことです。
このようなことは現実にはあり得ませんし、語学のカベ・文化のカベ、いろいろなものにぶち当たるはずです(ダンスの世界は音楽と動きですが、やはり言葉が分からなければ先生の言っていることなどが分かりません)。孤独やコミュニケーションの問題というのも、海外生活では大きいです。そのエッセイでは、一応自分の好きなアニメであり得ないスピードでフランス語をマスターしたことになっている、『のだめカンタービレ』ののだめと比較しました。
バレエのテクニック、レッスン、演目等についても今ほど情報の入手が容易でない中、かなりがんばって情報収集され、描かれたという痕跡があります。個人的には(NYにいたので)、SAB(スクール・オブ・アメリカン・バレエ)でのバランシン作品など、モダンやコンテンポラリーの世界にタックルされているのが、グッと来ます。
『Swan~白鳥』には続編もあり、ネタバレになりますが真澄はレオンと結婚し、生まれた娘もバレエの道を志しオペラ座バレエ学校に学ぶ・・・というガチな展開になっています。
個人的には(リサーチをした訳ではないですが)、いろいろ難点もありながらこのバレエマンガの影響は計り知れなかったのではないか、と思っています。連載開始当時、森下洋子さんのような例外はいながら、日本人が海外で踊るとか、海外留学するといったことは夢のまた夢のように思われていたと思います。(現在でこそ、アジア人ダンサーの進出はめざましく、冒頭に書いた通り、アフリカや東南アジアでのブームも起こりつつあるようですが・・・)そんな中で、「日本人も海外で踊れる!」といったイメージを、想像力を駆使して植え付けた、と言っても過言ではないかと思います。(ちなみに、当初から海外を目指していたという東京バレエ団が今年60周年を迎えており、つまりは1964年の創立になります。)

さて、次に『ダンス・ダンス・ダンスール』の方です。2015年から小学館の青年誌『ビッグコミックスピリッツ』で連載開始されています。
このマンガは男子目線で描かれているため、通常の(平均的な?)バレエファンの方だと「なにこれ!」と、幻滅される場合も多いのでは(基本お下劣なので)・・・と危惧しますが、元少女マンガ読者として違和感は感じつつも、大人として男子を育てた経歴があるため、「こんなものよね・・・」と追随することができました(汗)。
真澄と違い、主人公潤平は語学面ではかなり苦労していますし、しかし持ち前の体当たり精神とポジティブさで都度乗り越えていく、という感じです。真澄と同じく彼もなぜかNYに行っているのですが、危ない目にも遭っています。お酒や身体の障害、お金の問題なども出てきて、『Swan』と比べてだいぶ現実的な感じです。
しかし(近年のマンガにありがちなように)現実的すぎて、これはいったい「フィクション」なのだろうか、と首を捻る部分も。コンクールなどは現実のコンクールが素材で、取材もしていると思いますし、世界の著名なバレエ学校やバレエ団なども網羅されている印象。これも、現役や元ダンサーさんなどに取材した結果かと思いますが、ある意味「リアル」すぎてマニュアルのような印象を拭い切れません。
『ダンス・ダンス・ダンスール』の方は続行中なので(現在28巻まで刊行中)、この後どうなるかまだ分かりませんが、これまでのストーリーと成り行きからしてやはり海外のバレエ団で踊るようになり、国際的なダンサーとなるという線かな、と勝手に思っています。
『ダンス・ダンス・ダンスール』の功績はなんと言ってもこれまであまり光の当たってこなかった、「男子バレエ」を前面に持ってきたことでしょう。
映画『ビリー・エリオット』等々もありますが、まだまだ男の子・男性がバレエをやるということに世間の偏見があります。日本では特にその傾向が強く、男子でプロレベルに踊れるとそれだけで引っ張りだこ、のように女子のもの、と思われてしまっています。そこに一石を投じたとは言えるでしょう。
バレエとジェンダーの問題、というのはかなり大きなトピックなので、また別に書いてみたいですが、フランス宮廷で発達し、しかし19世紀末頃にはほかに稼ぐ手段のない女性の「職業」のようでもあり、パトロンとの関係もあり、女性蔑視やジェンダー差等も内包しつつ、最近ではそうした伝統的なしがらみを破ろうという試みも多く見られるように思います。(残念ながら、日本ではあまり前衛的な作品が上演されないため、知ろうとしても限界がありますが・・・)
ところで、ジョージ朝倉さんは「ジョージ」というお名前なのですが女性作家さんなのです。女性作家として、上述のような男子目線の作品を描くのがどのような体験なのか、というのも興味があるところです。しかし作家さんにしてみれば、異性の(や、立場や社会階層などの違う人の)視点で描く(書く)というのは創作的なチャレンジなのであって、それほど騒ぐことでもないのかもしれません。

文学の方で、「教養小説」と呼ばれるものがありますが、これは(文学畑の人間ではないので、多少誤解があるかもしれませんが)子どもがさまざまな困難や挑戦に行き当たりながら、成長していく過程を書いたもので、ヘッセ作品やゲーテ作品が該当すると言われています。ディケンズも、そんな感じかと思います。バレエの世界ですが、「教養小説」的なニュアンスはこの2作品にもあり、負けず嫌い・挫けない主人公の生き様や、ハラハラするけれど最後はうまく行くというようなストーリー展開が人気の秘密なのでしょう。
この2つの作品の間にあるものはまず当然ながら時代の違いがあります。1976年開始と2015年開始とでは間に約40年があり、日本社会や世界の変化という意味でも、この40年は大きいなと思います。対象とする読者、つまり少女マンガと少年(青年)マンガの違い、というのもあるかと思いますが、情報化社会やそれによる世界への距離感というのも大きいように思います。たとえば、現地に行かなくても現地の協力者がいれば、情報収集などは容易ですし、また写真素材なども以前は写真集や雑誌など本や、実際に撮った写真などしかなかったものが、ネット上に大量に溢れています。
岡野玲子さんという、相撲やお坊さんの世界を描かれたマンガ家さんもいますが、「特殊な世界」「憧れの世界」はマンガのネタになってきました。が、今ではお寺さんもXで発信していたりと、情報発信や入手の次元はまったく異なってきてしまった、と言えます。その差がこの2作品の差に如実に表れていると思います。

(写真はニューヨークに数多いダンススタジオの一つ、バレエ・アーツです。)

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