大阪クリニックの放火について
このニュースを最初に聞いたとき、正直言って「まずいことになったな」と思いました。もともと日本では精神科(心療内科)や心理というものに理解があまりなく、患者さんたちもケアに携わる人たちも世間の偏見に曝されがちです。精神障害者も社会でともに生きていくというダイバーシティの観点からすると、こうした偏見・障壁は減らされ、なくなるべきなのですが、前よりましとは言え本質的にはあまり変わっていないと言えるでしょう。
そうした世間の不理解・不寛容さは不必要に入院日数を伸ばしたり、いったん精神的な障害を患った人たちが社会復帰するのを妨げていると言えます。たとえば、入院していた人がいきなりコミュニティに戻るのではなく、徐々に順応していけるよう支援する中間的な施設(デイケア・デイサービスなど、アメリカだと「ハーフウェイ・ハウス」というのがありましたが)が必要なのですが、こうした施設を作ろうとすると危ないのではとか、地域の雰囲気が悪くなるのではといった理由で反対されることも多そうです。実際には精神を病む人たちのほとんどは大人しく、傷つきやすい人たちですし、病院の外で継続的なケアを受けることで状態は格段に良くなり、自立した生活を送っていくことも可能になるはずです。
診療内科やカウンセリングに通っているということも「タブー」的色彩が強く、人に言わない、という人が多いでしょう。(私たちメンタル専門家~私は心理職ですが~は守秘義務により患者・クライアント名やその人を特定できるような情報、相談内容の詳細等は公開できないことになっています。)
今回、そうしたメンタルの履歴がある人によりクリニックが放火されたらしいということで、「やっぱり危ない人たち」とか「危ない場所」と思われてしまったら、むしろ偏見を助長してしまうというのが私の懸念なのです。
さて、その患者によってメンタルのクリニックが攻撃されたかもしれないということは、いろいろな意味を帯びています。まず自殺・他殺企図(と実行)です。自殺・他殺に関することにはさまざまなレベルがあり、単なる「想念」であることから、より実行の可能性が高いものまでありますが、しかし実行してしまうということは相当内的なテンションが高まっていたこと、衝動性が強いことなどがあったのでしょう。結果(この場合火災という危険、余計な人を巻き込むこと、自分が犯罪者として逮捕されるかもしれないこと、その他)についての「洞察」(想像力)も欠いていることが推察されます。
後からの報道によるとどうやら放火の上自殺を図るつもりだったようです。が、自宅で「予行演習」したらしいこと、燃料を持ち込んでいることなどから、「計画性があった」と法的には断定されてしまいそうです。(この辺、心理的には難しいですが。)
私がとっさに思ったのは、放火に至ったのはなにかクリニックや先生(治療者)に対する不満や怒り(無意識的なものもありうる)があったのかな、ということです。精神的・心理的治療には「転移」と呼ばれるものがつきまといます。転移とは、狭い意味では患者(ケアされる人)が親など自分にとって重要な関係にある人に対し持ってきた感情やダイナミクスなどを、治療関係のなかで治療者に向けてしまうことを言い、精神分析的治療においては、敢えてこれを起こして関係性を変えていく、ということも行われます。(このような治療は誰にでも行えるというものではなく、そうした密度に耐えられると思われる人と行われます。
しかし一般的な精神科・心療内科の15分診療的な治療では、転移の部分を十分に扱っていくことも難しいのではと思います。このクリニックは復職支援も盛んだったということなので、いそいそと復職に取り組むほかの患者さんへの「嫉妬」や、孤独感があったということで、仲間に入れない悔しさなどもあったのでは、などと思います。(あくまで憶測です)。
元・患者さんなどは「とても優しい、いい先生だった」とおっしゃているとのことですが、そうした「いい人」的「陽性の」転移も起こりますし、「いい人」「いい先生」だからと言って転移が起こらないわけではないので注意が必要です。私の知る限りレベルの高い治療者は常に「両面」(いい面も悪い面も)を意識しているかと思います。
さらに後の報道でこの人には息子の殺人未遂という前科があったそうです。家庭を持つ前は技術の高い働き者だったということですが、家庭を持って、いろいろ難しさにぶち当たってしまったのかもしれません。家庭のなかにはどうしても愛憎が渦巻きがちですし、関係性も近く、また経済的プレッシャーなども生じがちで感情的なストレスを抱え込みやすい、ということはあります。
前科があるということを亡くなった先生はご存じだったのだろうか? というのも気になります。というのも治安が日本より悪いアメリカなどに比べ、そうした過去についての徹底的な情報収集を日本の外来診療の場で果たしてするのかな? という疑問があるからです。私もまだ臨床経験が浅い頃うかつにもある方にドラッグ使用歴があるということをまったく想定しないままずっとカウンセリングをつづけていたことがありました(外国の方でしたが)。なにかの犯罪歴や違法行為があるということは、それがないのに比べやはり「一線を越えたことがある」という意味で、「より深刻」と考える必要があります。
いずれにせよ自殺・他殺となると簡単な原因では起こりえず、非常に複雑な複合的要因があることがほとんどです。よく、「自殺の原因は」と取り沙汰されますが、ふつう「原因」となったと言われるのは「きっかけ」となった出来事であり、「すべての」「原因」ではありえません。誰か支えてくれる人や、助け舟を出してくれる人、多少なりとも心理面にプラスとなるような活動や気晴らしなどがあれば、自殺・他殺などには至らないと思われるからです。
・・・にしても最近放火が多いという印象があります。放火をする人にこういうことを言っても仕方ないのかと思いますが、放火は建築物を破壊し延焼の危険や関係のない他人を巻き込む怖れもあり、罪が重くなるのでしない方がいいのですが・・・
力動的には、放火=火はトラウマのメタファーと思われます。よく夢のなかなどに燃えている家として出てきたりしますが、現実と空想の境目があいまいな人だと「現実化」させてしまう(放火などにより)ことがあると言えるでしょう。この「現実と空想の境目のあいまいさ」は精神病理的なものであり、この容疑者・犯人への怒りがすごいとしても、そのために減刑や無罪になる可能性も秘めているのかもしれません。
昨年来起きていることとしてはやはりコロナで日常通りではないというストレスがあり、もともと抱えていた「問題」や「ストレス」が抱えきれなくなる、という方が多いように感じています。放火が多いという印象もこのような社会的状況の反映でもあるのではないかと思っています。
容疑者本人は重篤な状態にあるということで、はたして背景が聞けるのか分からないのですが・・・ いずれにせよ亡くなられた方たちのご冥福をお祈りします。
(後日追記: 捜査が進んでいるようですが、どうやら非常口に外から目張りしてあったのをスタッフが前日に剥がしていたとか、防犯カメラに逃げる人を阻む容疑者が写っていたとかで、ほぼ「計画性があった」「準備していた」「殺意があった」と取られる条件が揃っています。メンタルの障害による心神耗弱=こうじゃく=という線は、おそらく法的には立証が難しくなってしまうと思われます。)