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あなたは何を変えたくて、オープンダイアローグを学ぶのですか?

「職場に対話を!」と言いながら、精神医療従事者でもない、”オープンダイアローグ(以下、ODと略す)かぶれ”な私が、やみくもに走り回っていると、原点を忘れがちだ。

「オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン」が、「対話実践のガイドライン - Open Dialogue Network Japan」という文章に、最初の質問を載せている。それは、なぜオープンダイアローグを学びたいのか、という問いだ。

私の答えは、日本を寛容な社会にしたいからだ。
日本はインターネットやSNSの普及により、産業構造が大きく変わった。コロナ禍を経て、好きな人とだけ繋がり、自分と似た人たちとだけ関わるのは心地よいけれど、それに閉じこもりすぎると、他人とのつながりが難しくなったり、亀裂が生じやすくなる。

寛容な社会とは、異なるバックグラウンドや信念を持つ個人やグループが互いを尊重し、認め合って共存する社会のことだ。そうなれば、誰もが平等に機会を享受し、助け合うことができる環境が育まれるだろう。

先日、NHKの「家族に乾杯」という旅番組で、笑福亭鶴瓶さんが、ゲストと現地の人が仲良く交流する姿を見て、「まだまだ、日本も捨てたもんやない」と発言されていた。

そう、そう、あんな感じ!
知らない土地で、知らない人と、ちょっと話したり、つながったりする。

昔の日本や田舎にはそんな社会があったよね?

話は変わるけれど、私が数年前にアリゾナへ旅行したとき、知らない人に道を聞こうと女性に近づいたら、女性は大慌てで車に乗って走り去ったことがあった。

当時、私はその行動を疑問に思ったが、夫に話したら、「きっと不審者だと思ったんだよ」と言った。

先進国ほど他人を警戒することを学ぶのかもしれない。それも大事な感覚だ。けれど、私はできれば、人と人が緩やかにつながり、助け合える場所が増えることを願っている。
そうすれば、悲しみや苦しみを抱える誰かが、一人でその重荷を背負って苦しむことなく、何かの出口や、心の癒しを見つけられるかもしれない。


それだから、私は、まず自分の職場を、開かれた対話の場にしよう、と決意した。

少し長くなってしまったけれど、これが私が職場に対話を求める理由だ。職場で働く我々世代が、ODができるようになれば、それが他の場所でも広まると信じている。
家庭や学校、地域、医療、行政など、影響がきっと広がるだろう。


by桜子

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