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竜宮城からの招待状(パスポート) 12話 龍迎祭のジンクス

 アーロドロップを龍迎祭に誘ってから、五日が経った頃。
 慶汰は書庫に足を運んでいた。読書スペースの一角を借りて、いくつか資料を積んでいる。
 慶汰の選んだ資料は、いずれも紙束の長辺に二つ穴を開けて綴じ紐を通したものばかり。
 竜宮城の文字はほとんど読めないが、今慶汰が闘っているのは、数字とグラフの資料であり、書いてある文字や数字くらいならなんとか読めるようになってきた。
「ええっと、この曲線が、竜宮城から見た外界の時間の速度の変化を表しているわけだから……」
 手元のノートとメモ用紙には、いくつもの数字を書き殴っている。そしてまた、余白に新たな数字を書き込む。
「俺が竜宮城に来てから今日で十日目、地上で過ぎた日数は……」
〈七日だよ~〉
 覚えのある声が聞こえて顔を上げる。
 メンダコをデフォルメしたアバターがぱたぱたとスカートのような足の膜を揺らしたモルネアが、にこりと笑った。
「おお、モルネア!」
「勉強熱心ですね、慶汰さん」
 モルネアを空中に表示しているのはキラティアーズだ。いつもの乙姫羽衣に加えて、右手の人差し指に、見慣れたサファイアのつけ爪がある。
「俺にもできることがあるかもしれないからな。というか、キティもネイルコア持ってたのか」
「元々、アロップから貰っていたのです。モルネアの使用は色々と周りの目を気にしなければいけませんから、シーンを選ぶのですが……似合ってますか?」
「うん。よく似合ってる」
 慶汰が褒めると、キラティアーズは柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます。それで、慶汰さんは何を調べているのですか?」
「地上と竜宮城の時間の変化さ。とりあえず、一二〇〇年前に時間災害が起きたってのはアロップから聞いているんだけど、なんかうまくイメージを掴めなくて」
「それくらい、聞いていただければ、教えましたのに……」
「キティだって、つきっきりで俺の面倒見ているわけにはいかないんだろ? ……まあ、もし時間が空いたなら、先生役、お願いしたいんだけどさ」
 キラティアーズが慶汰の正面に腰を下ろす。
「もちろんです。では、よろしければ慶汰さんが勉強してきた内容を、見せて貰っても?」
 慶汰は少し躊躇いがちに、ノートを差し出した。
「見せるつもりなんてなかったから、内容整理してないけど……」
 キラティアーズは黙々と慶汰の書いたノートを読み込んで、机上に広がる資料のタイトルを一瞥すると、小さく頷いた。
「どうやら、日常的な竜宮城と外界の時間の変化については、問題なく理解できているみたいですね」
「地上でアロップから教わったよ。不規則な波のような変化が起きる、だろ」
 グラフの横軸は、メモリ一つ分が竜宮城の一日だ。
 縦軸は地上とのズレが大きいほど、上下にずれる。竜宮城と地上で二四時間が流れるペースが同じ場合、グラフの横軸上に点がつくわけだ。
 そして、竜宮城と地上の一日がぴたりと一致するタイミングが訪れるたびに、グラフは山と谷を繰り返す。そうして波を描くのである。
 グラフを描く山の高さや幅は、前後の谷と酷似こそすれ、点対称にはならない。どれだけ歴史を遡っても、まったく数値まで同じ波長の繰り返しは一度として存在しないそうだ。
「はい。どれだけ頭のいい学者が悩んでも、次に来る時間の波の大きさを完璧に予測することは不可能です。それでも精度は少しずつ向上して、向こう一週間の変化予測値であれば八割くらいは当たるのですが」
「まるで天気予報だな」
 同じ形の波を作らないグラフを見ていると、円周率にも似た小難しい数学の気配を感じるから不思議だ。
「基礎は把握できているようですから、さっそく慶汰さんの知りたがっている時間災害について教えましょう」
「お願いします」
 慶汰が一礼すると、キラティアーズも礼を返した。その所作は慶汰より洗練されていて美しい。
「時間災害は、慶汰さんが先ほどまで勉強してきた時間の波を断ち切って、急激な時間の変化をもたらす災害です。竜宮城で一秒過ぎる間に、外界では数十年から何百年という時間が流れたり、その真逆のことが起きたりします」
 それを聞いて、慶汰はすかさず手を挙げる。
「その反動で、今度は竜宮城側の時間が勢いよく加速したんだろ? 結果、こっちじゃ浦島太郎が竜宮城に来たのは一二〇〇年前ってことになってる……それはわかるんだが、時間災害で過ぎ去った時間と、反動で流れた竜宮城の時間って、ぴったり同じなのか?」
「いえ、一年から十年くらいの誤差が出ます。時間災害は、発生した瞬間にタイムスリップが発生し、片方の世界から見たとき、一瞬でもう片方の世界が何百年と進みます。ですがその直後に発生する反動は、相手側の一年から十年にかけて、タイムスリップした分と同じくらいの時間差が流れるのです。結果、数百年分の時間差が、遅くとも十年後までには軽微な誤差で収まるようなメカニズムになっています」
 慶汰は、手元のメモ用紙にペンを走らせた。
「つまり、浦島太郎がタイムスリップした時は、竜宮城で過ごしていた五年間のどこかの一秒で、地上が六〇〇年分経過し――浦島太郎が地上に帰還したあと、地上が十年ほど経過する間に、今度は竜宮城が六〇〇年分時間を進めた、と」
「そうなりますね」
 キラティアーズが頷くのを見て、慶汰は一二〇〇年前の時間災害についてまとめた図式を丸で囲んだ。
 しばらくその図を眺めてから、慶汰は再び質問する。
「そもそも、どうして時間災害なんてものが起こるんだ?」
「いい着眼点ですね。時間災害とは、龍脈災害の一種なのです」
「龍脈災害?」
「竜宮城に満ちている龍脈が大きく乱れて、多大な被害を及ぼす災害――それが龍脈災害です。モルネア、二つほどメジャーな例を」
〈は~い〉
 キラティアーズのネイルコアが光って、空中に用語集が表示される。
『地龍震災――竜宮城の地下が震源となり、大地を物理的に揺らす災害。一般的には建築物を揺らす程度だが、威力が大きい時で、震源に近いエリアでは、建築物が倒壊するほどの被害が出ることもある』
『蟠龍災害――局所的に渦巻き状の強烈な風が発生し、時に大雨や雷を伴う場合もある。ひどい場合は建築物や樹木なども巻き上げられる』
「他にもたくさんありますが、特に地龍震災は群を抜いてよく発生します。実は毎日、とても微弱な地龍震災が発生しているのですよ」
 慶汰は感嘆の溜息を漏らした。
「時間災害もその仲間ってことか」
「その通りです。滅多に起きるものではありませんが」
「ちなみに、龍脈災害って、そもそもどうして起きるんだ?」
「主な要因は急激な環境の変化です。町単位、都市単位での大規模な開発。それに伴う、龍脈の消費の激しいエリアと、ほとんど龍脈が消費されないエリアの二極化。もちろん、一人ひとりが常日頃から環境意識を持って生活することが大切なのですが」
「そういうことだったのか……」
 慶汰は目頭を指でもんで、大きく深呼吸した。
「ありがとう、キティ。おかげでだいぶ勉強がはかどったよ」
「どういたしまして。地上の方がわたくしたちの世界に興味を持ってくれて、嬉しいです」
 慶汰の疲労を察したのか、キラティアーズが話題を変える。
「ところで、アロップは慶汰さんを龍迎祭に誘ってくれましたか?」
「ああ。玉手箱盗難事件の時にな。誘ってくれたっていうか、俺から誘ったんだけど」
「あっ」
 ピシィ! キラティアーズの時間が止まったかのようにフリーズした。
「普通にOKしてくれたぞ。……ん? キティ? おーい、どうしたー?」
 慶汰が彼女の前で手をひらひらと振ると、キラティアーズの顔が少しずつ青ざめていく。
「え……なんで……? あの子まさか、慶汰さんに誘われるのを待っていたんですか……?」
 キラティアーズのネイルコアから、メンダコのアバターが勝手に浮かび上がる。そのモルネアが、足の一本を挙げて答えた。
〈それボクあの後聞いたー。シードランのメンバーに招集かけるのに忙しくて、慶汰を誘うの後回しにしてたんだって。それで忘れちゃったみたい〉
「そ、そんな……!」
〈ランドとイリスは城内スカウト組だったからすぐに連絡ついたけど、シューティとレンは、ほら、元々地方出身だしー〉
「だからって、連絡くらいすぐに……」
〈いやいや、キティもそうだったと思うけど、みんなそれぞれ、地上で龍脈が尽きたアロップを探すための救出チーム編成に躍起になってたんだよ? それで動きがイレギュラーになってたって〉
 ずん、と重たい何かがのしかかったように、キラティアーズが頭を垂らした。
「そうでした……。申し訳ございません慶汰さん……完全に説明を失念していたわたくしのミスです……」
「えっとー、俺が誘うと何かまずかったりするのか……?」
〈男の人が女の人を龍迎祭に誘うのはねぇ、愛の告白ってことになるんだよ!〉
 元気よくモルネアが言って、慶汰もようやく状況を理解した。どうやら、知らぬ間に告白したことになっているらしい。
 一瞬で喉が渇いて、耳の先まで熱を帯びる。
「そういうことは……先に……!」
「返す言葉もありません……」
 慶汰はイ級客服の胸元を乱暴に握って風を通した。
「で、どうするんだ誕生日祝い……。その龍迎祭告白イベントの重さがイマイチピンとこないけど、元の打ち合わせ通り、花火が上がったら『誕生日おめでとう』で済ませていいものなのか……?」
 キラティアーズは、腕を組んで喉を唸らせた。
「それは、その……まあ、結局のところ、ジンクスと言いますか……俗習と言いますか……。とにかく流れを破ったところで、罰則なんてありませんけれど……」
 キラティアーズは苦し紛れに言葉を濁すだけ。
 少し悩んで、慶汰は五日前のことを思い出した。
「思えば、アロップは俺がその説明を受けてないって察してた感じあったし……事情を伝えれば気にしなくてもよくなるんじゃないか?」
〈チッチッチ。慶汰ぁ、そんなんじゃデリカシーないってアロップに怒られちゃうぞ~?〉
 スカートのような膜をめくって、モルネアが足の一本を挑発するように振る。慶汰はイラッとして、つい鋭い眼光を向けてしまった。
「モルネア、お前にデリカシーなんてものがあるのか……?」
〈ふふん、たとえボクにデリカシーがなくても、こういう話題でこういう話の流れなら女子は百パーセント怒るっていう統計データがあるもんね!〉
 一番デリカシーのない発言だ。もっとも、そんな口論をしても仕方がない。慶汰は鼻で笑い飛ばして、モルネアに合わせた。
「で、どうして俺がデリカシーないって?」
〈そんなの決まってるじゃん。今、慶汰とキティが話していたのは、ジンクスの『段取り』の話。ジンクスのジンクスたりえる『起源』を知らずに言ったでしょー〉
「なんだよ、起源って」
 知る由のない慶汰を慮ってか、すかさずキラティアーズが説明した。
「元々は、貴族同士の家柄都合で婚約が決まっていた女性・アクラと、アクラに恋した男性のお話でした――」
 貴族に生まれたアクラは、ある日貴族の男性を宛がわれました。その男性は社交界でアクラが憧れていた人です。
 アクラは彼に気に入ってもらおうとあれこれ努力しましたが、愛想のない反応をされ続けて、落胆しました。
 そんなアクラを慕う、一人の男の人がいました。その男性はアクラの家で侍従として働く平民です。
 身分違いの叶わぬ恋、そう諦めていた従者の男性ですが、仕えているアクラの憂鬱そうな溜息が増えて、勇気を振り絞ります。
 侍従の男性は「龍迎祭の一日、アクラ様をエスコートして僕の熱意を受け取ってください」と懇願します。
 アクラは一縷の希望を込めてその話を受けました。もし、自分を好きだと言ってくれる人と駆け落ちできるなら……そんな思いに揺れたのです。
 そうして迎えた龍迎祭。従者の男性は、アクラに尽くしました。彼女の好きな食べ物を用意し、ペース配分もばっちりです。
 ですがアクラにとってすれば、それはいつもしてくれる「完璧な仕事」――残念ながら、従者の男性の献身は、あと一歩届きませんでした。
 アクラは従者の男性にエスコートのお礼を告げて、別れます。
 ですが、婚約者の男性もまた、龍迎祭で従者の女性を誘い、二人で過ごしていたのです。
 呆然とするアクラに気づいて、貴族の男性はすべて打ち明けました。自分には身分違いの想い人がいたこと、そしてアクラを慕う従者の男性の存在も知っていたこと。
 最後に、婚約を破棄した方がお互いのためだと言い残して、婚約者の男性は従者の女性と立ち去ってしまいます。
 こうして、今までずっと慕ってくれていた男性が、どんな気持ちで自分に尽くしてくれたのかを痛感したアクラは、従者の男性を探し続けましたが、結局見つけることは叶いませんでした。
「――以上が、ジンクスの元となったお話です」
〈すれ違ってばっかりだよね、この話〉
 モルネアが容赦のないコメントを叩きつける。それを聞いて、慶汰は苦笑した。
「それが言えれば世話もないけど……。もしかして、龍迎祭のジンクスって『龍迎祭で成立したカップルは永遠に結ばれる』みたいな、甘い感じじゃないな?」
 キラティアーズは深々と頷いた。
「はい。龍迎祭のジンクスとは『けっして元の関係には戻れない』というものです。一世一代の決断の場、といってもよいでしょう」
 重い、と叫べたらどれだけ気が楽だっただろう。
 慶汰は両肘を机に乗せて頭を抱えた。
「ただでさえ姉さんのために、玉手箱の解析を急いでもらっているというのに……俺は……なんということを……!」
 知らなかったとはいえ、これで龍迎祭の終わり際、花火が上がると同時に「お誕生日おめでとう!」は無神経がすぎる。
〈実際、アロップは空回り続きだよー〉
「モルネアっ! 貴方は余計なことを言わないでください!」
 慶汰とキラティアーズは、揃って重たい溜息を吐いた。
 龍迎祭は、二日後に迫っている。
 結論から言えば、もはや今の慶汰に根本的解決などできるわけがなかった。
「仕方ねぇ……こうなりゃ、当たって砕けろだ……!」
 ここまで来てしまったからには、誠心誠意向き合うしかない。

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