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竜宮城からの招待状(パスポート) 16話 新しいおとぎばなし

 龍迎祭の夜から、これまで手がかりすら掴めず苦戦していたのが嘘のように、玉手箱の確認と改良作業が進んだ。アーロドロップが満足そうに「完成したわよ」と教えてくれたのが、龍迎祭から二日後の夜のこと。
 翌日。
 慶汰は、〝りゅうぐう〟竣工記念パーティで着てきたスーツ姿に着替えて、アーロドロップと共に竜宮城を後にした。
 たった二週間ほどのつきあいだったが、キラティアーズも、ハイドローナも、シードランの面々も……多くの人たちが見送りに来てくれて、慶汰は彼らの姿が見えなくなるまで、玉手箱を落とさないように手を振り続けた。

 長い海の旅から日本に辿り着く。満天の星空が、懐かしくて遠くに感じる。
 波の音は少し荒い気がした。竜宮城でも風は吹くが、地上の海岸の風はどこか冷え込んでいる。それでも、ちょうどいい涼しさだ。となると季節は夏のまま……問題なく、日本に帰ってきたのだ。
 あと数十秒で横に長い砂浜に到着するというところで、いよいよ懐かしい景色も見えてきた。
 ある程度の高さを備えた壁の向こうは、車道と線路が通っている。ヘッドライトを付けた車がまあまあの密度で通っていて、『江ノ電鎌倉高校前』の文字が照らし出された。鎌倉高校は慶汰が通っている高校だ。するとここは、七里ヶ浜海岸辺りだろう。
 薄暗い闇の向こうに、小さく江の島を見つけたところで、砂浜に上陸した。海岸に人はいない。
 頭上に浮かせた白いストールと、乙姫羽衣の振り袖をはためかせて、アーロドロップが空を見上げる。
「やっぱり、外界は広いわね……。なんて、感慨に浸っている場合でもないか」
「まさか、というかやっぱり、海保とか海自とかに探知されたのか?」
「どうかしら。モルネア」
〈うーん……さすがにソナーの対照資料がないからね。ただ、なんとなく不自然な音波ってことなら、心当たりあるよ〉
「なら急がないとね……慶汰、もうだいぶ腕疲れてるでしょ。ここからはあたしが持つわ」
 竜宮城に向かう時は、玉手箱が龍脈を吸おうとしていたため慶汰が運ばなければいけなかったが……龍脈が蓄えられている今は違う。
 それでも、慶汰は玉手箱を抱える腕にぎゅっと力を込めた。
「ありがとう。でも、姉さんを助けるための道具だから……最後まで、自分で運びたいんだ。俺にできるのは、それだけだから」
「慶汰……わかったわ。じゃ、お願いね。モルネア。病院の位置、憶えてるわよね」
〈うん、距離も方角もばっちり。ちゃんとガイドするから、任せて〉
「さ、今から飛ぶわよ!」
 その一声が浮遊術の合図となる。風を感じて舞い上がると、鎌倉の街並みが一望できた。
 眼下に広がる光景は、暗いエリアと明るいエリアがはっきりしている。住宅街は軒並み明るく、鎌倉高校らしき敷地はもう真っ暗だ。
 線路沿いには、遠くに小さく、電車の車両らしき灯りが移動している。まだ終電という時刻でもないのだろう。
 こうして、鳥のように滑空する。
 病院に着くまで、それほど時間はかからなかった。
 広い駐車場にそっと降り立つ。車はほとんどない……が、一、二台、端の方に駐車されているのは、病院で働く人の車だろうか。
〈さて、どうやって侵入する?〉
「堂々と面会に来ました……とは、ダメそうな感じね」
「二人とも、静かに」
 慶汰はアーロドロップの肩を押して、しゃがませた。
 どの病棟にも鍵がかけられている……はずだが、こんな真夜中でもコンビニの袋を引っ提げて堂々と入っていく女性を発見。
「――今から透明にするから。パーティーの時と違って、玉手箱も透明にできるから、落とさないでよ」
「――もちろんだ」
 慶汰たちは、気づかれないように後をつけた。
 一般女性は時間外緊急出入口へとまっすぐ向かい、職員にインターホンで解錠を頼んでいた。
 近寄って聞き耳を立てる。どうやら、幼いお子さんが入院しているようで、その付き添いとしてこの病院に寝泊まりしているらしい。
 透明になったまま、浮遊術で音もなく宙を滑り、扉を開いた女性の頭上を通過して侵入成功。
 夜の病院は、しかし意外と人の気配がする。むしろ、普通に廊下は電気がついているし、医者や看護師が起きていて、不慮に遭遇する危険の方が高かった。数は少ないが、油断して会話しようものなら最後、誰かに聞かれそうだ。
 廊下を浮遊して進む道中、ナースコールセンターで見つけた掛け時計を見れば、夜の九時五〇分過ぎだった。
 こっそりと侵入した病室には、海来が静かにベッドで横たわっている。
 身体中には、変わらず延命のための管やコードが繋がっていた。心電図モニターの音も、記憶のそれとまったく同じように、淡々と音を鳴らしている。
「生きてる……姉さん……!」
 そっと扉が閉まって、慶汰とアーロドロップの姿が音もなく出現する。
「それじゃあ、さっそく始めるわね」
「頼む」
 といっても、玉手箱による処置は、驚くほどあっけなかった。
 海来のそばに折りたたみ式の丸椅子を置いて、その上に玉手箱を設置する。そして、開いた。それだけ。
 長々とした呪文も、キラキラ光るエフェクトもない。
 蓋を開いて、たった五秒で、終わったらしい。
「間にあったわ……。これで、お姉さんはもう大丈夫よ」
「そ、そう……なのか?」
 なにかしら心電図なり、表情筋なりに、変化が見えると安心できるのだが……一瞬で回復がわかるほどの、劇的な効果を速効で発動する術というわけでもないようだ。
「しばらくすれば……遅くとも朝にはなにかしら兆候が見えるでしょうけど、一ヶ月は絶対安静よ――それはそうと、まずは帰還の挨拶をしないとね」
「そう、だな」
 姉のベッドから、慶汰が優しく海来の手を出す。
 二人でそっと触れて、声をかける。
「ただいま、姉さん」
「約束、果たしましたからね」
 海来の指が、ほんのわずかに、でもたしかに、二人の手に触れた。

 休憩も兼ねて、しばらく海来を見守りながら、竜宮城での思い出話を語った後。
 別れの場所として二人で選んだのは、二人が最初に出会った、小さな埠頭だった。
 テトラポッドがあの時より少なく見えるのは、潮が満ちているせいだろうか。それとも夜で視界が悪いからだろうか。どちらにしても、海は力強く、波を押し寄せては引き戻す。
 胸の高さの柵を前に、慶汰とアーロドロップは向かいあった。
「名残惜しいけど……そろそろ、お別れにしましょ」
 アーロドロップが、左の袖口から、鉄扇を取り出す。
「ホントに、記憶を消すのか……」
「だって、そうじゃないと、本当に慶汰の心をあたしで縛り付けちゃいそうなんだもの」
「…………」
 慶汰は何も言い返せなかった。
「あたしにはあたしの……慶汰には慶汰の、大切な時間が、これからも続いていくの。それはもう、けっして交わることがないものなんだから……あたしのせいで、慶汰が幸せを躊躇うなんて、もったいないでしょ」
 どうにも納得できなくて、慶汰は訴えた。
「でも、忘れたくないんだ。ちゃんと、アロップとの出会いを、大切な思い出にしたい……! その上で、お互い、それぞれの居場所で、幸せになれれば――」
「それは嫌」
 スパッと、アーロドロップが拗ねるように頬を膨らませた。
「そもそも、あたしのことを憶えておきながら、他の女の子とくっついてほしくないし……でも、あたしの記憶麻酔術で慶汰の記憶からあたしを封印した上で――ってことなら、まだギリギリ納得できるというか……」
 急に強烈な独占欲を見せつけられて、慶汰の心臓が大きく跳ねる。
「まさか……それが本音で、俺の記憶を消そうと……!?」
 アーロドロップも、真っ赤に顔を茹で上がらせた。
「な、なな、なによ、文句ある!?」
 慶汰は少し唸って、大きく長く、息を吐いた。
「そういうことなら……まあ、しょうがねぇか……納得してやるよ……」
 刹那、風を切って鉄扇が向けられる。
「ちょちょちょちょっと待て!」
「なによっ、まだなにか!?」
 今にも記憶を消そうとしてくるアーロドロップを止めるため、慶汰は咄嗟に思いついた話を振った。
「玉手箱! 本当に持って帰らなくていいのか?」
「え? その話はもう、竜宮城を出る前にしたじゃ……」
 アーロドロップはそうツッコミを入れようとして、嬉しそうににんまりと笑った。
 名残惜しさに、引き留める口実のためだけの話題だったと、バレてしまったのだろうか。
 慶汰が羞恥心に目を逸らすと、アーロドロップはゴキゲンに咳払いした。
「おほん! 玉手箱は慶汰が持っていて。……元々、不要なものだったし。あってもきっと、向こうじゃトラブルの種だわ」
 慶汰は拳を握って、話題を探した。もう少しだけでいい。一言でも多く、言葉を交わしたかった。
 しかし、時間切れだと、アーロドロップが宣告する。
「あたしたちのおとぎばなしも、ここでおしまいにしましょう」
 慶汰は最後に、静かに深呼吸して、言った。
「ああ――姉さんを助けてくれてありがとう、アロップ」
「こちらこそ。慶汰がいなければ、追放されたまま終わってたわ。感謝してる。ありがとう」
 アーロドロップの姿が、音もなく消えた。
 慶汰の視界が、白く明滅する。
 そして、両肩に見えない手が置かれて、唇に柔らかい熱が触れた。
 慶汰の目が大きく開いて、涙が溢れる。
 ほんの数秒で、見えない彼女は慶汰の元から離れた。甲高く欄干を蹴り飛ばすような音がして、その向こうの海にばしゃんと波しぶきが立つ。
「向こうで待ってろよ。必ず、迎えに行くからな……!」
 それから慶汰は、静かに水平線を見つめていた。できるだけ長く、彼女のことを憶えていられるように。
 ずっと、ずっと……。
 名残惜しさが、涙となって頬を伝う。
 どうして自分は、ここにいるのだろう。
 なぜか熱い唇を舐めると、涙の味がした。
 わからないが、わからなくても、確信できることがある。
 竜宮城を探すのだ。

 入院中の海来の指がぴくりと動いて、四ヶ月が経った頃。
 季節はすっかり冬となり、慶汰は高校一年の冬休みを迎えていた。
 その冬休みを使って、浦島家は家族四人で、温泉旅行に向かっている。
 目的地は群馬にある草津温泉。今現在は、その道中、埼玉県にある上里サービスエリアでトイレ休憩中だ。
 海来は車から降りて、駐車場を恐る恐る渡ると、突然公園に向かって駆けだした。
「ひゃっほー! 来たぜ上里エスエェー!」
 大学生のくせに、子供のように走っていく海来に、慶汰はギョッと目を剥く。
「ちょ、姉さん! ただでさえ医者の先生から安静に……話を聞けぇ!」
 ――半年以上、病院で植物状態だったはずの海来は、しかし八月の上旬から突然、急激な回復を見せた。しかも、後遺症は一切なく、意識を取り戻してからの回復速度はさらに加速し、医者の先生が声をひっくり返していたほどである。
「慶汰も早くおいでよー! いい眺めだよ~!」
「テンション高ぇ……!」
 海来を追いかけ、慶汰もサービスエリアの公園に飛び込む。そこからは、畑と住宅地が広がる光景を一望できた。
「姉さん、ホントどうしてそんなに元気なんだ?」
「あっはは! 家族旅行ついでに湯治にいきたいって言ったの、まだ指先とか痺れてた頃の私なのにね!」
 なぜだろうか。この脳天気な喋り方で立場を弁えない発言を聞くと、どうにも頭に青筋が浮かんでしまう。
 おまけに、海来ののんきな発言はさらに続く。
「まあなに、奇跡のおかげってところかな!」
「自分で言ってりゃ世話ねーけど」
「ちょっと慶汰、何言ってるの? 奇跡は慶汰が起こしてくれたんじゃん!」
「はあ?」
 いよいよ姉の言っていることがわからん、と慶汰が口をあんぐり開くと、海来は乱暴に慶汰の背中を叩いた。
「ほら! 今年の夏に起きた玉手箱消失事件!」
「それは奇跡じゃなくて怪奇現象だろ?」
「ホント、自覚ないの面白いよね。慶汰も当事者なんだよ?」
 海来はけらけらと言う。
 笑って言うことではないのだが、と慶汰は後頭部の髪をかいた。
「その話怖いからやめてくれよ。俺も未だに当時のことを思い出せないんだからよ……」
 表向き、玉手箱消失事件、などと呼ばれているが、内容は慶汰の行方不明という事件もセットになっている。そして慶汰は、その事件が起きた〝りゅうぐう〟竣工記念パーティーとその前後の記憶をなくしているのだ。
「あっはっは!」
「笑い事じゃないんだが姉さん」
 慶汰は溜息を吐いて肩を落とした。
「しかし本当、いったい俺の身に何があったんだ……? 記憶がないってマジ怖いんだが」
 すると、海来がふふん、と得意げに鼻を鳴らし、人差し指を振って語り出した。
「今年今年、あるところに。それはとても優しい男の子がいました――」
 男の子は深き眠りについた敬愛するお姉様を目覚めさせようと、日々健気に看病をしておりました。
 すると、そんな男の子の元に、麗しき少女が訪れます。彼女は竜宮城から来たお姫様を名乗り、少年にある取引を持ちかけました。
 玉手箱を渡してくれたら、君の大切なお姉さんを目覚めさせてあげよう。
 お姫様は、なんと竜宮城を追放されてしまったので、玉手箱がないと帰れないと言うのです。
 心優しき少年は、お姫様の取引を受け入れました。なので、乙姫様と一緒に、竜宮城へ向かいます。
 そうして、お姫様は再び竜宮城で暮らせることになりました。約束を守ってくれたお礼に、今度はお姫様が少年の偉大なるお姉様に目覚めの魔法をかけます。
 こうして契約は履行されました。最後に少年はお姫様と過ごした時間を忘れる魔法をかけられて、二人はお互いの世界に戻っていきます。
「――それからというもの、少年は大切なお姉さんと一緒に日常に戻っていきましたとさ。めでたしめでたし」
 大げさな身振り手振りを交えてそう語った海来は、ぐっと慶汰に顔を近づけて、満面の笑みを輝かせる。
「どう? なにか思い出した?」
「思い出す……?」
 慶汰は眉間に皺を寄せて、海来の創ったらしいおとぎばなしにケチを付ける。
「なにひとつ意味がわからないんだが、自画自賛が過ぎないか?」
「じゃ、とっておきの魔法」
「無視かよ」
 悪疑心を目に宿して、海来がおかしな呪文を唱える。
「アーロドロップ・マメイド・マリーン」
 同時に強く冬の冷たい風が吹いたが、それ以上に全身が熱を帯び、慶汰は咄嗟に唇を手で覆った。
「お? なんか顔赤くなった?」
 海来がやらしいニヤニヤ顔を隠そうともせず、慶汰をからかう。
 脳裏に、真夜中の鎌倉で見た、テトラポットと波しぶきの光景が浮かんだ。朦朧として煙のようにあやふやな、青い和服の女の子。
 なにか大切なことを忘れているような気がした。
 それはきっと恋に関することだと感覚が訴えていて、そんな戸惑いを姉に見透かされたくなくて、なにより姉からもっと情報を引き出せそうな気がして、尋ねる。
「いったい……姉さんは、何を知ってるっていうんだ……?」
 そんな慶汰を、海来は怪しむように見つめ返すだけ。
 しばらく無言の時間が続いて、先に口を開いたのは海来だった。
「う~ん、あともう一押しってとこかな……? これ以上は危なそうだから今日はここまでにしてあげよう」
 ふっと鼻で小さく息を吹いたあと、海来は空を見上げる。
「じゃあこれだけ素直に答えて? 慶汰。竜宮城って、乙姫様って、ホントに実在すると思ってる?」
 慶汰は不服そうに半目になって海来を睨んだ。
 しかし、にやっと口角が持ち上がるのを見ると、ヘタに文句をつければ倍返しされてしまう気がして、強気に出られない。
 結局、話を合わせておくことにした。
「当然だろ。少なくとも南北朝時代、浦島太郎を名乗る若者が老化したってのは史実なんだから。それに、得体の知れない木箱もあるしな」
「そうだよね! じゃ、頑張りますか!」
 海来がガッツポーズを作った。
「姉さんこそ、本気で竜宮城に行けると思ってるのかよ?」
「うん! というか、あたしの命を救ってくれたお礼、まだ言ってないからね!」
 どうも姉はなにか荒唐無稽なことを確信しているようだ。おかしなことを、と文句をつけたい気もあったが、それを否定してはいけないと、なぜか慶汰の直感が主張している。
「…………」
 慶汰は無言を相槌として、穏やかな空を見上げた。
 さて、自分たちの力だけで竜宮城に行くには、何をしたらいいのだろうか。
 空が遠い。あたりまえのことなのに、不思議とそう思えるのはきっと、空が近い世界を知っているからかもしれない。それはいくらなんでも考えすぎだろうか。
 だが、なんとしても成し遂げなければならない気がした。きっと記憶喪失した期間の中で、口づけを交わすほどに大切な女の子に、そう誓ったのだ。その子のことはまともに憶えていないのに、不思議と、確信がある。希望的観測だが、竜宮城に行けばきっと、その子のことも思い出せるだろう。
 手を伸ばす。手の中に収まりそうに思える小さい雲は、想像している以上に遠く離れていて、とても触れられそうにない。
 でも、雲の高さすら越えて、宇宙に到達した人だっているのだ。地球が青かったと言えたのだから、きっと竜宮城にだって行けるだろう。

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