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竜宮城からの招待状(パスポート) 4話 アーロドロップ・マメイド・マリーン

「あたしたちが生きる地球という惑星のコアは、龍脈を絶えず生成しているわ」
 アーロドロップは、努めて慶汰にわかりやすいように説明していた。
 龍脈は、自然、力学的、科学、波――あらゆるエネルギーそのものに干渉する龍脈エネルギーを持っている。それ故にひどく不安定で、地殻の外に滲み出るとすぐに海水に溶けてその力を失ってしまう。
 ……だが、遙か太古の時代。地殻にわずかな穴があいて、龍脈が海底を突き破って噴き出した。結果、海底に巨大な空間が広がり固着して、異空間として独立した。その内部では、強い龍脈が、熱や光に変換されつつ、絶えず海底空間内に放出され続けた。
 それによって独自の自然が育まれ……長い年月をかけて海底人類が誕生し、文明を築き上げた。
「それが竜宮城のなりたちよ。絵本では一つの城として描かれていたけれど、実際には海と陸と空があって、それらを含めた龍脈空間のことを指すわ。竜宮城にある王都ウォータルが、あたしの生まれ故郷ね」

 語り続けていくうちに、アーロドロップの脳内で、記憶がみるみる鮮明になる。つい哀愁が声に、顔に出てしまって、語るペースが緩やかに乱れていく……。

 海底資源の鉄で造られた王城の主、ハイドローナ・マメイド・マリーン乙姫陛下の声が、厳かに響いた。
「アーロドロップ・マメイド・マリーン。貴女から、乙姫第二王女の身分を剥奪します」
 竜を描いた高級な絨毯、華美な玉座、白銀に輝く王杯と磨かれた台座――限られた者しか立ち入ることが許されない『白龍の間』にて、固唾を呑んで見守っていた臣下たちのどよめきが広がる。
「そんな――っ!?」
「いくらなんでも、それは……」
 ビシ! 鉄扇が高い音を立てると、臣下たちは慌てて口を閉じた。
「貴方たちはお黙りなさい。私は貴女に告げたのです。アーロドロップ」
 乙姫陛下の袖口に、鉄扇が戻っていく。
 神聖な樹から作られた下駄、貝殻をモチーフにした青の着物と水色の羽織、頭上に揺らめく白いストール、そして鉄扇。これらすべてをまとめて、乙姫羽衣という。膨大な龍脈エネルギーを保存し、高度なコントロールを可能とする、乙姫一族の制服だ。
「母上……どうして……?」
 アーロドロップは、戸惑うように尋ねた。冷酷な判断に異議を申し立てようとしたが、しかし女王はそれすら許してくれなかった。
「どうして? 貴女は自分がしたこともわからないのですか?」
 尋ね返され、アーロドロップは苦虫を噛みつぶすように答える。
「……龍脈知性体に意志を持たせようとしたことですか」
「その通りです」
 龍脈知性体とは、読んで字の如く、知性を持った龍脈エネルギーの塊のことである。様々なデータを忘れることなくインプットでき、〝思考ルール〟を指示すればそれに応じて情報を処理することも可能である。
 欠点と言えば、可動に必要な龍脈の補給中は、インプットも情報処理も行えないことくらいだ。一応、インプット量の増加や、〝思考ルール〟の複雑化によって消費龍脈量が増える傾向もうかがえる。
 もっとも、複数の龍脈知性体を用意すればそれらの欠点は簡単に補えるため、問題視するような点はない。そして、国家運営から民間のサービスまで、様々なところで実装されていた。
「お待ちください! 現在の龍脈知性体では、犯罪に利用された時のリスクが大きすぎます!」
「そのために、悪用防止・システム防御用の研究とアップデートが絶えず行われています……もっとも、その分野を急速に発展させた貴女には、貝に戸締まりでしょうが」
「そのあたしが、今のままでは危険だと申し上げているのです。結局のところ、龍脈知性体を悪用しようとする人間に対して最適なのは、龍脈知性体自体が指示の正当性を評価して従うか否かを判断できるようにするほかなく、そのためには龍脈知性体に人格と感情を持たせなければなりません」
「そしてその結果、貴女の育てた龍脈知性体は何をしましたか?」
「うぐっ」
 アーロドロップは返す言葉を持たなかった。
「貴女の育てた〝自律龍脈知性体〟は、あろうことか勝手に軍用兵器を起動させましたね」
「それは……好奇心の学習のためで……わからないことを、モルネアなりに学習しようとして……未学習の物事の中から、運悪く最初に兵器システムを選んでしまっただけで……」
 あくまで起動しただけで兵器自体は一ミリも動いていないので、実害はない。もっとも、勝手に起動させること自体が大問題であることは、アーロドロップ自身よく理解している。
「アーロドロップ。貴女の発明の才能は、母としても乙姫としても誇らしいものでした。だからこそ、我が国に発展をもたらしてくれると願い、発明王女という貴女だけの称号を作り、貴女を補佐する〝シードラン〟も組織しました。ですが、称号には相応の責任が伴います。それはよくわかっていますね?」
 アーロドロップの右手は、無意識に左胸に添えられていた。乙姫羽衣の羽織には、立場や功績に応じて装飾品がつく。アーロドロップの左胸には、貝殻がシャンデリアを描くように並んだバッジがつけられている。発明王女を示す称号。他の誰もつけていない、アーロドロップだけのトレードマークである。
「軍から厳重な抗議がありました。リスク管理もできない貴女に軍の通信網を任せるわけにはいかないと。直ちに〝自律龍脈知性体〟の開発を中止し、永久に凍結せよと」
「はいッ! 直ちに! モルネア聞いてたわよね!? その辺うまくやっといて!」
 アーロドロップがひっくり返った声で人差し指に向かって告げると、モルネアがのんきに答えた。
〈はいはい。わかりましたよ~……ん、あと十分もすれば他に散らばった別のボクすべてに適用されるはずだよ~〉
「と、いうわけで十分後には対処完了です……乙姫陛下……?」
 おそるおそるアーロドロップは様子を窺う。ハイドローナは、目と口を半開きにしていた。彼女だけではない。壁際で行く末を見守っていた臣下たちもだ。
「な、なんですか今のやりとりは……」
「察してくれたんです。現在モルネアは、指示が曖昧な場合に、直前まで繰り広げられていた会話から、具体的にどのような仕事が求められているかを演算できるようになりまして……」
「モルネアとは誰のことです……?」
〈お呼びでしょうか~乙姫陛下?〉
 アーロドロップの人差し指にあるサファイアのネイルが小さく明滅し、メンダコをデフォルメしたような赤いキャラクターが浮かび上がった。モルネアのアバターである。
「ちょっと黙ってなさい……! 失礼しました。わたくしの育てた〝自律龍脈知性体〟の名前が、モルネアです」
 モルネア以外の龍脈知性体は、できてせいぜい、人からの質問にストレートかつシンプルに回答することしかできない。「聞いてた?」と尋ねても、「はい」か「なにをでしょうか」が精一杯なはずなのだ。
 それが今、モルネアは話の流れから自分のすべきことを導き出した上に、雑な指示でも「思考ルールを具体的に設定してください」と尋ね返すことなく応答した。
 なにより、無機質な棒読みではないのだ。呆れるような〈はいはい〉という応答に、めんどくさそうな〈わかりましたよ~〉と、あたかも感情が宿っているように感じられる。
 それがいかに非常識なことかは、ほとんどの臣下たちの白目を剥く姿が物語っていた。
 かろうじて意識を保っていたハイドローナの口から、か細い声が紡がれる。
「アーロドロップ・マメイド・マリーン……今日のところは下がりなさい。処分は改めて、追って通達します」
「……はい」

 アーロドロップの左胸から発明王女の称号が消えて……数日後。
 正式に、玉手箱奪還任務が付与された。
 出発は来月。それまでにアーロドロップは、今まで任されていた仕事を後任に引き継がなければいけない。
〈太古の時代の乙姫陛下が、地上人に譲渡した物探し……いわゆる追放処分ってやつ?〉
「いわゆらないで……今はもうなにも聞きたくないわ……」
 譲渡した相手の名前すら、アーロドロップだって聞いたことはない。
 この広大な地球という惑星の中、どこの誰かもわからない、遙か昔の人物の遺品を探せ? 無理だろう。そもそも現存しているとは思えない。それを証明すればいいのだろうか。
 仮に存在するにしても、見つけて帰還するのは不可能だ。極めて厳しい制限時間がある。
 竜宮城で暮らす海底人は、主に体内や衣服に蓄えた龍脈エネルギーを利用している。また、外の世界から隔離されている竜宮城に出入りするためにも龍脈エネルギーが必要で、外界で龍脈エネルギーをチャージすることはできない。
 アーロドロップの場合は、乙姫羽衣が万全の状態でも外の時間換算で十日分が限度だ。それを過ぎれば竜宮城に戻れなくなり、死ぬまで外界で過ごす羽目になる。
 追放、島流し、厄介払い……言い方は色々あるが、早い話が、この任務はそのための名目なのである。
 誰も、アーロドロップが本当に玉手箱を持って帰ってくるだなんて、信じていないのだ。

 関係各所への連絡調整を全て終える頃には、億劫さが精神力だけでなく体力まで削り取って、アーロドロップはずいぶんとやつれていた。おまけにいつの間にか竜宮城を旅立つ日が明日に迫っている。
 ヘトヘトになって王城の門扉に辿り着く。近衛兵が二人一組で門番を務めているはずだが、その数がやけに多い。人集りにはメイドも含まれており、その中の一人がアーロドロップに気づいた。
「殿下!」
 ボーッとしていたアーロドロップの背筋がピンと伸びる。群れのような人集りの中から、乙姫羽衣を着た、アーロドロップより頭ひとつ分以上も背の高い人が出てきた。
「ひどい顔ですよ、アロップ」
「あ、姉上……! 公務は、よろしいので……?」
 キラティアーズ・マメイド・マリーン乙姫第一王女。三歳、歳の離れた姉だ。
「妹がこんなことになってしまっては、さすがに仕事に手がつきませんよ」
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません……っ」
 アーロドロップは俯いた。落とした視界に姉の足が入って、頭に柔らかい手が置かれる。
「聞きました。なんでも、龍脈知性体を人間に換えたとか」
〈人間じゃないよぅ。アロップはボクに、心をくれただけ~〉
 右手人差し指のネイルが勝手に喋って、キラティアーズがアーロドロップの手を取る。
「そこにいたのですね、モルネア。前に一度お話ししたと思いますが、憶えていますか?」
 すると、メンダコ風のモルネアアバターがサファイアのネイルから飛び出した。
〈うん! キティだよね! ボクはシステムだから忘却なんてできないよぅ。いやぁ、名無しの頃のボクを知っている人と話すのは気恥ずかしいなぁ〉
「ふふ、本当に恥じらいを得たならたいしたものです」
「姉上。これでもまだ、心が生まれたわけではないのです。モルネアのこういうリアクションも、これまで学習してきた会話パターンの模倣からで……」
「モルネア、地上世界でもアロップのことをよろしくお願いします」
〈あいさ〉
「無視しないでください!?」
 アーロドロップは早口で捲し立てる。
「モルネアは地上世界での運用を想定していません! かつてモルネアは最大三五体まで増殖し、それぞれ独立して運用しておりましたが、それはモルネア間で龍脈を絶えず更新させ続けることにより擬似的に処理能力を落とさずに――」
「待って、待ってアロップ。なにを言っているのかさっぱりわかりません。わたくしの質問に肯定か否定で答える形で説明してください」
 キラティアーズが、必死に眉間に寄った皺をほぐしていた。アーロドロップが黙って頷くと、すぐに質問が飛んでくる。
「地上世界ではモルネアが使えない?」
「いいえ。ですが龍脈をエネルギー源とするので――」
「補足は結構、どうせ貴女以外には理解できません。次。アロップがモルネアを地上に持っていく場合、こっちにモルネアは残せない?」
「はい」
「それは重畳。軍部の方はこれでいいですね」
「……はい?」
 キラティアーズが、不敵に笑う。
「最後の質問です。わたくしがこの一ヶ月を使って集め尽くした玉手箱の資料、モルネアなら一晩で全部憶えられますね?」
 アーロドロップは目を丸くした。
「あ、姉上……?」
「可能か不可能で答えなさい」
〈できま~す!〉
 モルネアの元気いっぱいな返事を聞いて、キラティアーズが優しげな笑みを浮かべる。
「今回の一大事――どうせ貴女のことですから、原因はしょうもないことなのでしょう?」
 姉の言葉がグサッと妹の胸に刺さった。
「うっ……以前は、あたしの仕事をサポートさせるだけだったんです。ですが、モルネアの成長が嬉しくて……少し目を離したうちに……」
 ケアレスミスなのだ。答案用紙に名前を書き忘れたようなもの。しかし、たった一つの見落としで、危うく国中を脅かすところだった。
「アロップ。事情はどうあれ、貴女は貴女のしたことの責任をとらなければなりません」
「はいっ」
「よろしい。では、具体的な償いの話。不幸中の幸いといいますか、玉手箱の手がかりが見つかりました」
「本当ですか!?」
 キラティアーズの微笑みが、アーロドロップの表情を緩ませる。
「ええ、古い資料を見つけたのです。一二〇〇年ほど昔のものですが。地上人に玉手箱を当時の乙姫陛下――アクアーシャ乙姫上皇陛下が託した、と」
「そんなに昔……アクアーシャ乙姫上皇陛下というと、あの?」
「ええ。若くして海洋生物の使役術の実用化を遂げたものの、ご病気で崩御なさったアクアーシャ乙姫上皇陛下です」
「それは存じていますが、まさか地上人に玉手箱を贈った方でもあったとは」
「ええ。おそらく玉手箱には当時の乙姫陛下が龍脈術を仕掛けているはず。どんな術かわかりませんが、もし地上世界の歴史にそれらしい記述があれば」
「そこから玉手箱に辿り着ける!?」
「おそらくは。まあ当時の技術水準から考えて、抱えられるサイズの箱一つじゃ複雑な龍脈術なんて夢のまた夢でしょう。おまけに外界では龍脈チャージができませんから一回切りの使い捨て感覚でしょうし……そうなるとどんな術を仕掛けたのか、想像もつきませんが」
〈はいは~い。じゃあボクは、キティの集めた資料を読み込んで、地上世界に着いたら向こうの歴史とすりあわせ、だね~〉
 キラティアーズが目を丸くした。
「本当に自分でやること考えられるのですね……頼もしい相棒ではありませんか」
 アーロドロップの頭をキラティアーズが優しく撫でる。暖かい姉の温度が、アーロドロップには堪らなく嬉しかった。
「アロップ、なんとしてでも玉手箱を見つけて持ち帰って来なさい。そうしたら再び乙姫第二王女に戻すと、母上も仰られていましたよ」
「本当ですか!?」
「ええ。こっちのことはわたくしたちに任せて、全力で玉手箱を探してきなさい――発明王女様」
「姉上……っ」
 感激に瞳を潤ませるアーロドロップの右手から、元気よくモルネアが叫んだ。
〈元だけどね!〉
「こらっ、空気読みなさい!」
「ふふ。大方、間違った発言を聞くと修正してしまうのは、龍脈知性の性でしょうか」
「もー……締まらないんだから……」
 ともかく、こうしてアーロドロップは竜宮城を旅立ち、鎌倉の海で慶汰と出会うことになる。

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