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竜宮城からの招待状(パスポート) 11話 老化現象解明の手かがり

 薬事院の外に、アーロドロップが背中を向けて立っていた。暗い夜の中、オレンジ色の外灯と、建物の窓からこぼれる照明が、二人を照らす。
「アロップ! 無事だったか!」
 慶汰が声をかけると、アーロドロップは大きくびくりと背筋を伸ばす。落ち着きなく振り袖が揺れたが、振り向くわけではなく、そのまま両手で顔を覆った。
「泣いてるのか……?」
 不思議に思いながらも左から回り込む。すると、さっと身体ごと捻って背中を向けられた。
 両手で顔が隠れて表情こそ見えなかったが、ちらりと見えたアーロドロップの横顔は、首から耳まで真っ赤に紅潮していた。
「……アロップ?」
「ダメ、こっち見ないで……! まだ、心の準備が……」
 声が上擦って震えている。どうしたのだろうと思って、慶汰は自分が玉手箱を抱えていたことを思い出す。
「ああ、モルネアとの再会がそんなに緊張するのか」
 すると、三秒くらいの間があって、アーロドロップが慶汰の方へ身体を向ける。先ほどまでの真っ赤な顔が嘘のように、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「ふふ……ありがとう、おかげで落ち着いたわ」
 異様な迫力を感じて、慶汰の左足が半歩下がる。
「お、おう……? なんか怖いぞ?」
 今の声かけでどう落ち着くというのか。疑問に思った慶汰だったが、それより事件の方が気になった。
「で、そっちは大丈夫だったのか? さっき共犯がどうとか聞いたけど」
「ええ、だいたい背景はわかったわ。姉上の政敵が関わってたんだけど、姉上関係は弱みなんてないからね。妹のあたしを狙って身内の不手際から攻める算段だったんでしょ。そうすれば共犯も集めやすいから」
「政治の話……だったのか?」
「悲しいことにね。それより、慶汰の方こそ無事だった?」
「ジャグランドさんがいてくれたからな。玉手箱も問題ないはずだ」
 玉手箱の蓋を開いていいのかわからないので、ひとまず慶汰は正面をアーロドロップの方に向ける。
「で、モルネアの救出ってのは、どうすりゃいいんだ?」
「別にどうってことはないわ」
 アーロドロップは、右手人差し指のネイルコアで、玉手箱につん、と触れた。
「戻ってきなさい、モルネア」
 瞬間、赤いメンダコのアバターが、ネイルコアから空中に浮かび上がった。懐かしいとすら思える幼げな少年の電子音声が、のんびりと響く。
〈ただいま~〉
「おかえりー」
 アロップは満面の笑顔でお気楽に返事して、すぐに目をつり上げた。
「――じゃないのよ! なんでそれなのよ! もっとこう、ないの!? 急に閉じ込められて怖かったとか、七日間も孤独で寂しかったとか!」
 慶汰はつい、感嘆した。
 竜宮城に来て以来、アーロドロップに振り回される人々ばかり見ていたからか、彼女がノリツッコミをする姿が新鮮に映る。
〈広くて居心地よかったけど~?〉
「悪かったわね、ネイルコアが狭くて居心地悪くて……!」
 アーロドロップのつけ爪の中だと思えば、たしかに狭いしまず揺れる。だが、AIのような龍脈知性体にそのような感受性があるのかは疑問だ。
〈でも~、アロップがいなかったから、つまんなかったな~〉
 モルネアが何気なく放った一言が、アーロドロップの涙腺を刺激する。
 ぐすりと洟をすすって、アーロドロップはネイルコアを抱きしめるように両手を胸に当てた。
「……もう、どこで憶えてきたのよ、そんな言葉……!」
〈わぁ、急に何するのさ~〉
「心配したんだからね……! ごめんなさい、あたしがもっと警戒していれば、あなたを吸い取られずに済んだのに……!」
〈や、だから居心地よかったって言ったじゃんか~〉
「空気読みなさいよもう……ばかぁぁ……!」
 アーロドロップが泣きじゃくる夜の庭園に、柔らかい風が吹いて、ほのかな花の香りを運んでくる。
 慶汰は何も言わずに、二人の再会を見守った。
 しばらくモルネアを抱きしめてから、アーロドロップが再び手を前に出す。
 再表示したモルネアが、その場でくるりと反転し、ぱたぱたと耳のようなひれを動かした。
〈慶汰も、ありがとう!〉
 元気いっぱいのお礼を告げられて、慶汰の頬が緩む。
「どういたしまして。急にいなくなった時はびっくりしたけど、ともあれ無事でなによりだよ」
〈うん!〉
「なんで慶汰には素直に懐いてるわけ……?」
 アーロドロップは、涙声になりながらも不服そうに言った。そして、わざとらしく咳払いして、表情を真剣な雰囲気に戻す。
「モルネア、玉手箱の中にいる間、なにかわかったことはあった?」
〈それがどうも不鮮明でさぁ。六〇〇年もの間龍脈チャージができてなかったせいか、うまく読み取れなかったんだよねぇ〉
「わかる範囲でいいから、もっと詳しく話してくれる?」
〈もちろん! 玉手箱には今、なにひとつとして龍脈術が設定されてなかったよ!〉
「ちょっと待ってくれ。浦島太郎が老化したのは龍脈術の仕業なんじゃなかったのか?」
「そうだけど、この場合はニュアンスが違うわ、慶汰」
 慶汰が眉間に皺を寄せると、アーロドロップは左手の指を二本立てた。
「龍脈術は大きく二つに大別できるの」
「蓋を開けたら発動するのか、それとも蓋を開けるまで効力を発揮し続けていたのか……みたいな話はキティとしたけど」
「それとは別に、何度でも発動できるタイプと、一回使ったら二度と発動できないタイプの、二つのタイプがあるのよ。まあほとんどの龍脈術が何度でも使用可能なものばかりだけどね」
「使い捨てもあるのか……」
「何度も使う前提の場合、道具や術式を傷つけない出力での運用を余儀なくされるわ。ただ、使い捨てならそんなこと気にしなくていいでしょ」
〈それが使い捨て最大の利点だね~〉
「追放前に姉上も言っていたけれど、地上じゃ龍脈チャージができないから、そういう意味でもデメリットが気にならないわね。なにより、そこからわかる重要なことがあるわ」
 慶汰は顎に手を添えて答えた。
「六〇〇年前の乙姫様は、浦島太郎による玉手箱の龍脈術発動回数を、一度きりと定めて龍脈術を仕掛けていた……?」
「そう!」
 アーロドロップが不敵な笑みを浮かべて断言する。
「それが確定しただけ一歩前進よ! モルネア、他にはどう!?」
〈う~ん、地上に行く前にキティが予想していたとおり、龍脈術は一種類だけだったと思うな~〉
「たった一つの龍脈術で、浦島太郎を老化させた……結局、その意図がわからないのよね……。いったい何があったら、浦島太郎をお爺さんにしようって思うわけ?」
「キティともその話はしたんだよな……ただ、推理の一つも出せなかったけど」
 夜風がそよぐ。ささやかな花の香りと、肌を撫でる優しい感触に応援されながら思考を巡らせた。しばらく議論を繰り広げたが、結局ホワイダニットで行き詰まる。
「だー、ダメだ! いくら考えても思いつかねぇ!」
「見方を変えて考える必要があるかもね……一旦今日は解散して、気分転換でもしましょうか」
 アーロドロップの溜息を聞いて、慶汰はハッと忘れていた話題を思い出す。
「そういえばアロップ、龍迎祭の日って空いてるか?」
「あ、そういえば。姉上から聞いてたの、すっかり忘れてた」
「せっかくだから、こっちの祭りがどんなものか見てみたくてさ。その、なんだ――」
 慶汰はわざとらしく咳払いして、シンプルな誘い文句を口にする。
「俺と一緒に、回ってくれないか?」
 キラティアーズにからかわれたことを思い出して、つい緊張から声が揺れた。
 もっとも、どういうわけか、アーロドロップの方が動揺が大きいらしい。
「えっ、あの、ちょ……!」
 両目をまんまるに開いて、頬を紅潮させている。
 おかげで、慶汰はすぐに気を取り直せた。
「だ、大丈夫か……?」
 声をかけると、アーロドロップもすぐにハッとして、髪が波立つほどに首を左右に振る。
「な、なんでもないわ! どうせなにも知らずに言ったんでしょ!?」
「え……?」
 既にキラティアーズが話を通しているはずだ。サプライズのことを見抜かれたのだろうかと思うと、下手に踏み込むわけにもいかず、慶汰は回答に困った。
「いいわよ、つきあってあげようじゃない!」
 しかしどうも、様子がおかしい。サプライズで誕生日を祝ってくれると知ったとして、このような返答になるだろうか。
「どうしたんだ、急に……」
 突然上から目線になったアーロドロップの態度の変化に戸惑う慶汰に、デフォルメされた顔をニヤニヤさせたモルネアが言った。
〈知~り~た~い~?〉
「モルネア! 言っちゃダメ!」
 湯気すら出しそうなほどに赤くなったアーロドロップが右手をぎゅっと握り締めて、モルネアは強制的にネイルコアへ封じ込まれてしまった。

 モルネアを玉手箱から出して三日が経った。
 アーロドロップは、シードランのメンバー四人と共に、玉手箱に新たな龍脈術を仕込む実験の最中だ。
 シードランの構成員は、着物こそ自身の普段着だが、制服として、銀色の羽織に袖を通すことになっている。銀の羽織の胸元には、発明王女の称号と同じ、シャンデリアの意匠の刺繍が入っていた。
 入口近くの椅子には、ジャグランドが座っている。
「シューティ。そろそろ殿下のセッティングが終わるようだが」
「わかってるっスよ、計器の準備はばっちりっス」
 金髪の青年は、操作盤に指を乗せて待機。
「あ、終わったみたいです」
 壁際で、足を揃えて姿勢良く立っていた紅い髪の少女が、一歩前に出た。が、そばにいた長身の男が手で制する。
「いいですよ、イリス。扉はボクが開けますから」
「ありがとうございます、レンさん」
 レンと呼ばれた眼鏡をかけた黒髪の男が、龍脈実験室に続く分厚い扉を開くと、アーロドロップが出てきて手を挙げる。
「ひとまず、発煙の龍脈術をセットしたわ。シューティ」
 そう言って、アーロドロップは強化ガラスの前で仁王立ちした。見つめるガラスの先、龍脈実験室は無機質な鉄の密室になっており、中央の作業台に載せられた玉手箱以外に余計なものなど一つもない。
「ウィッス。計測準備できてるっス」
 シューティがタタンと操作盤を弾くと、天井付近に設置されているディスプレイで、モルネアのアバターがくるりと踊った。
〈検査開始~!〉
 それから数十秒したところで、強化ガラスの向こう側で、ぼこんと鈍い小爆発が起こる。玉手箱の蓋が開いて、湯気のように透明な熱が少し上った。
「ご覧の通り、不発っスね……計測しようもないっス。この手のテスト用術式が不発となると、もう検体が特殊すぎるってことしかわかんないっスよ」
「ああもう、なんでうまくいかないのよ!?」
 すかさず、イリスもシューティもレンもジャグランドも、静かにお互いの顔を見やった。
 口火を切ったのは、ディスプレイに表示されているモルネアだ。
〈最初に仕込まれた龍脈術がなんなのかわかってないんだから、他の術式がうまくいくわけないじゃん〉
「だからテスト用の術式で特徴を絞ろうとしてるのよ……」
 龍脈術はデリケートなので、道具で発動する場合、その道具を作る段階から発動する龍脈術に適した加工を施すのが一般的だ。結果、道具一つひとつに癖が出る。
 その癖を把握しないと、別の龍脈術の道具にはできないのだ。
「殿下。もう一度、一二〇〇年前の出来事について調べてみませんか……?」
 イリスが小鳥のようにきれいな声で提案する。彼女の意見を後押しするように、シューティが続く。
「テスト用の龍脈術もそれなりに試してきたっスけど、これまでの結果からもまるで手がかりが得られなかったんスよ? 地道な調査が、もう少し必要じゃないっスかね」
 不満そうにアーロドロップが渋面を浮かべると、そばに控えていたレンが、眼鏡の奥の瞳を糸のように細めたまま首を傾げた。
「そのご様子……もしや、なにか急いでいらっしゃるのですか? 事情があるなら、我々にもご相談いただければ――」
 イリスとシューティが「あ、それは」とハモったことでお見合いしてしまう。
 ジャグランドだけが、居心地悪そうに両眼を閉じた。
「みんな、ごめん。ちょっと風浴びてくるわ。十分休憩にしましょ」
 アーロドロップは持て余すほどの衝動に耐えられず、早足に部屋を出て行ってしまう。
 取り残された四人は、しばらく気まずい沈黙を過ごし……レンが他三人の顔を見やった。
「どうやら僕、まずいことを言ってしまったようですが……皆さんはなにかご存じで?」
 すると、イリスが恥じらうように頬を染めながら、「どうぞ」と手をシューティに向ける。
 シューティは、言いづらそうに苦笑した。
「こないだの、玉手箱窃盗事件。レン先輩に犯人二人の身柄を任せて、オレとイリスと殿下の三人で、犯人を追いかけたじゃないっスか」
「既にジャグランドさんが現場にいて、犯人を捕まえていてくれたのですよね」
「まさにその現場に、例の地上人も居たんスよ。ウラシマケイタ君、でしたっけ?」
「はぁ。詳しい状況までは聞き及んでいませんが……そこでなにが?」
「ちょうどオレらが薬事院に駆けつけた時、犯人が殿下を貶す暴言を叫んでて……慶汰君が、めちゃくちゃ男前に怒ってたんスよ。それ聞いて、よほど嬉しかったんでしょうね。殿下は顔を真っ赤にして飛び出しちゃって……。あんな可愛い殿下、初めて見たっス」
 イリスは瞳をとろけさせて、左サイドで結んだ自らの紅い髪を撫でる。
「しょうがないですよ、ただでさえ命の恩人同然の存在なのに……あんなことまで言われたら、誰だってときめいちゃう……!」
「オレも惚れ惚れしたっスけどね。ありゃ真似できねぇっス」
「まさか殿下は、地上の男に恋したというのですか……!?」
 レンはズレた眼鏡の位置を直して、ジャグランドに目を向けた。
 だが、一番の年長者は、未だに腕を組んだまま目を閉じて、会話に参加しない構えだ。太い眉毛がぴくぴく動いているところからして、どういうスタンスで接するべきなのか決めかねているのだろう。
「……それで、どうなったのですか?」
 すると、シューティもイリスも、さっと照れるように顔を背けた。
「それが、オレたちが割って入れるような空気じゃなくて……そうこうしているうちに、慶汰君が殿下を、龍迎祭デートに誘ったんス」
「女の子なら……一度は憧れる最高のシチュエーションです~……!」
 レンは絶句した。
 男が龍迎祭に女性を誘う。
 それは、竜宮城で生まれ育った人なら誰でも知っている、告白の王道だ。

 廊下に飛び出したアーロドロップは、後ろからシードランのメンバーが着いてこないことを確認して、窓の近くで足を止めた。
 外は透き通るように明るい。そろそろお昼ご飯の時間だろう。
〈アロップ、どうするの~?〉
 右手の人差し指からメンダコアバターのホログラムを浮かべたモルネアに、アーロドロップは顔を上気させて答える。
「そそそ、そんなの、ちゃんと返事しないとだけど……!」
〈なんの返事……? ボク、玉手箱の話してるんだけど〉
 一瞬、ぽかんと忘我したアーロドロップは、自分がいかに集中できていないか自覚して、羞恥心に全身が熱くなった。
「仕方ないじゃない! あんなこと言われたら誰だって気にするでしょ!」
 男性が女性を龍迎祭に誘うのは、恋人になってください、の意だ。
 誘われた女性にその気がなければ、その場で断ることもできる。というより、その気がないならその場で断るのがマナーだ。
 お誘いを受けたなら、龍迎祭の間に答えを出し、終了後に気持ちを伝えなければならない。それが龍迎祭の俗習だ。
〈ああ、告白の返事のことかー。でもアロップ、慶汰のこと好きなんでしょ?〉
「……だから、それまでに玉手箱の仕組みを解き明かして、慶汰を地上に帰したいのよ」
〈まさか、返事をうやむやにするつもり?〉
「仕方ないでしょ……慶汰は地上人なのよ。そうでなくても、一刻でも早く玉手箱を解析して、慶汰のお姉さんを回復させないといけないのに……」
 アーロドロップは、そっと胸元の〝発明王女〟の称号に触れた。
 こうして第二王女として、シードランの隊長に復帰できたのは、すべて慶汰のおかげだ。
 今度はアーロドロップの番なのだ。なんとしてでも、海来をしっかり治癒しなければ、胸を張って慶汰の前に立てない。
 ――もっとも、海来を治せば最後、慶汰は地上に戻るだろう。
 だから、自分たちが結ばれることはないのだ。それがわかっているのに、想いを伝えるなんて、そんな負担はかけたくない。
 アーロドロップは、「それでいいの」と独りごちて、頷いた。
「そろそろ戻りましょ。みんな待ってるわ」

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