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竜宮城からの招待状(パスポート) 8話 いざりゅうぐうじょうへ!

 辺り一面、大海原。
 空には白い雲が浮かび、じりじりと朝日が上昇している。
 少々シュールな絵面だが、慶汰は今、玉手箱を抱えた格好で、海面を撫でるように飛んでいた。目に見えない龍脈の薄い膜が慶汰を包み、服も肌も髪も、まったく濡れずに海水を弾いている。
 いつだったか高速道路を走っていた時、助手席の窓ガラスに顔を貼りつけ、路面を見下ろした感覚――それよりも速く、海面が視界を過ぎ去っていく。
 海上保安庁の神保曰く、来る時のアーロドロップは六〇ノットの速度が出ていたそうだが、それは時速に置き換えるとおよそ一一〇110キロである。高速道路を走る車より、なお速い。
 少し前を、やはり濡れていないアーロドロップが飛行している。
 どれだけ時間が経ったかもわからないが、少なくとも一晩丸々経過して、今ではすっかり朝の雰囲気だ。パーティーのビンゴ大会が夜七時スタートだったから、もう一〇時間は飛行しているとみていいかもしれない。
 大きな音で腹が鳴って、慶汰は苦笑した。竜宮城から鎌倉の埠頭まで移動したアーロドロップが、あれだけお腹を鳴らすのも当然だろう。
「なぁー……! 今さらだけどー、竜宮城の場所、わかるのかー!?」
「あたしたちはねー! 龍脈の気配がわかるのー! さすがに故郷となれば、地上からでも方角と大まかな距離が感じ取れるわー!」
 魔法使いや霊能力者みたいなセリフだった。あるいは帰巣本能のようなものなのかもしれない。それはともかく。
「それでー! あとどれくらい進むんだー!?」
「そろそろ潜るわ~! 玉手箱開いて、空気抜けるようにしておいてー!」
「息を止める必要は~!?」
「あるわけないでしょ~! 遊泳術に切り替えるから、呼吸も水圧も大丈夫~!」
 白波をかき分け音を立て、海中の世界へ!
「おお~!」
 小魚の群れが美しい螺旋を描いて、俺たちを囲い、通り過ぎていく。
 感動しながら見送っていると、小魚の群れに大きな口を開けた巨大な鯨が突っ込んだ。
「す、すげぇ~!」
 慶汰も見たことのない大自然、太平洋の日常。
 そこには当然、海の脅威もいる。
 下から俺たち目掛けて、四メートル以上もあるごつい体格の白い死神――ホホジロザメが一直線に詰めてくる!
「アロップ!? やばいんじゃないか!?」
「慶汰~! 玉手箱、放さないでよね~!」
 アーロドロップは楽しそうに言った。
「リベンジマッチ、受けて立つわ!」
 ホホジロザメの左の目元には、一筋の傷が走っている。
「りべ――!?」
 ぎょっとして目を剥くと、アーロドロップは袖口から鉄扇を出して笑った。
「今回も返り討ちにしてあげるッ!」
「来る時もやり合ってたのかよ……」
 慶汰は恐怖より呆れが勝って、肩の力が抜ける。
 アーロドロップは一人方向転換。慶汰への遊泳術を維持したまま、巨大なサメと戯れる。
 迫る牙に鉄扇を添え、そこを支点に受け流す。舞うように曲線を描いたアロップの軌道は、直後、ジェット噴射したかのようにまっすぐ伸びた。
 ホホジロザメを追いかけて、追いついて、併泳する。
 身体を捻ってホホジロザメは暴れた。巨体がくねる迫力は圧巻だ。海水を伝って、衝撃の重さが龍脈の膜越しに伝わってくる。
 アーロドロップは際どいところで回避行動を取り、煽るように踊っていた。しばらくスリルで遊んだ後、ホホジロザメとのすれ違いざま、尾びれを鉄扇で弾く。
 反転したサメが噛みつこうと大口を開いた。鋭い歯は凶悪に並んでいる。それをアーロドロップは間一髪のところで回避し、鉄扇でサメのエラを叩いた。隙も無駄もない動きは、とても優雅だと慶汰は思った。
 その一撃が決め手となり、ホホジロザメは尻尾を巻いて逃げていく。慌てふためいて滑稽に思えるほどだ。
「さっ! 寄り道はおしまい! ここから先は、あたしたちの世界よ!」
「お、おう!」
 海中でのサメとの戦闘を、鉄扇一本で完勝する。改めて、龍脈術のすごさを思い知ったと同時に、少しサメが不憫にも思った慶汰だった。
 それから二人は深く潜っていく。五〇メートル、一〇〇メートル……。
 周囲がどんどん暗くなり、途端に孤独感が増していく。それに応じるように、慶汰とアーロドロップの身体が白く発光する。光は優しい発熱も伴った。
 光源ができて、少しだけ周囲の様子がわかるようになる。
 太陽光は、およそ海から二〇〇メートルの深さまでしか届かない。
 そこから下は、深海だ。
 地球の七割を占める海。その九八パーセントもが、深海に分類されている。
 ここまで来ると、波とは無縁だ。たとえ真上で大雨が降ろうと、台風が吹き荒れようと、この世界にはなんの影響も及ぼさない。
 光も、風もない……静かな暗闇の世界。
 水温は冷たい。千メートルも潜れば、五度を超えることはまずない。
 水圧は高い。千メートル潜るごとに、だいたい一〇〇キロの圧が加わる。
 ちなみに玉手箱はといえば、変形することなく慶汰の腕の中にある。六〇〇年も昔の乙姫様が手土産に持たせるだけのことはあり、とても頑丈なようだ。
 ここには、慶汰とアーロドロップの二人だけしかいなかった。二人は少しの距離を開け、まったく同じ速度で移動している……はずだ。
 慶汰には、止まっているように感じられた。
 体感時間や体感温度というのは、自分の身体の感覚器官で、外部からの刺激を受けることによって生まれる感覚だ。
 体感速度であれば、服越しに肌を擦る空気の感触。距離感であれば、視覚で受け取る対象物との遠近感や、耳に届く音の音量や響き方で測ることができる。
 ただ、ここにはそれが一切ない。
 龍脈の膜があるから海水に触れている感触はなく、位置や距離感を比較できる対象物はアーロドロップだけだ。
 風や水は肌をこすらず、静まりかえって音もなければ、嗅げる匂いも特になく、二人以外になにもない。
 つまりここでは――速度を感じられないのである。
 もしも宇宙の果てに行くことがあれば、きっとこの感覚を思い出すのだろう。
「そういえばアロップ、深海生物の姿が見えないんだけど」
「あら、見たいの? まあなんとなくオチは予想着いたけど」
「オチってなんだよ……気色悪いやつを見てビビる、か?」
 縁起でもなさそうな前振りにそわそわしていると、待ち構えていたかのように、妖しい白濁色の何かが出迎えた。
「あは、噂をすればなんとやら、ね。正体はなにかしら」
「クラゲ?」
「……ふぅん。もっと近づいてみましょうか。玉手箱、くれぐれも放さないようにね」
「え、毒とか怖いんだけど……」
 クラゲのようだが、四本の触手は慶汰の手首くらいの幅がある。いや、二本ずつ繋がって輪になっていて、触手ではないことに気づく。
 アーロドロップが無防備に手を伸ばして、その触手のような輪っかを掴んだ。そして躊躇いなく慶汰の方へ腕を伸ばした。
「ほら!」
 それ以上近づくと玉手箱の吸収範囲になるからか、アーロドロップの手から離れたそれが慶汰の方へ漂ってくる。
「ぎゃああ待て待てふざけんな刺されたら……」
 慶汰は心臓がひっくり返りそうになりながら、それでも勇気を出して右手を伸ばす。触れてみると、なにやら触り慣れた感触だということに気がついた。
「これは……! コンビニのビニール袋じゃん!」
 プラスチックゴミは深海まで流れることがある。深刻な環境問題だ、という話を、子供の頃によく聞かされたことを思い出した。
「ふふ。最高のリアクションをありがとう慶汰」
「人で遊ぶなよな……」
 慶汰が溜息を吐くと、アーロドロップは両眼をゆっくり伏せた。
「ごめんなさい。でも、そろそろ深度二千メートルってとこかしら。王道なオチがついたところで、そろそろ旅路も終わりよ」
「これって王道なのか……?」
 釈然としない気持ちをビニール袋に詰め込んで、慶汰は異世界へ飛び込む覚悟を決める。と同時に、違和感を抱いた。
「ってか、二千メートル? 太平洋の平均深度ってたしか……四千メートルだったような。竜宮城ってそんな浅いところに――」
「いくわよー、せーのっ!」
 慶汰がすべてを言いきる前に、二人は竜宮城に突入した。
 ――空から。
 視界が急に明るくなる。うるさく唸る風の音が懐かしい。
 二千メートルに及ぶ潜水の後に待っていたのは、何千メートルもある空中落下だった。巨大な綿雲よりも高い。
「うわああぁぁぁ……あれ!? ああ、そっか」
 浮遊術に切り替わったおかげで、風船がただ落ちるように、慶汰はゆっくりと下降している。高すぎるところにいる恐怖はあるが、焦る必要はないと深呼吸。そして改めて、眼下に広がる風景を眺めた。
「やべえ~! 陸地があるーッ!」
 慶汰は、少し離れた位置をゆっくり落下するアーロドロップに聞こえるように、声を張り上げた。
「なに言ってんのよー! 浦島太郎資料館で説明したでしょー!」
「さすがに口頭だけじゃここまで鮮明にイメージできないって!」
 海岸が陸と海の境界線を描いて、一部はシルバーの人工的な湾岸エリアが発達している。内陸部は陸地が盛り上がっていて、木々の緑を切り開くようにして、住宅街だろうか──淡い桃色や黄色、黄緑色の密集地が点在していた。それらを繋ぐように道路のような線が見えるから、人の活動エリアであることは間違いない。
「ってか、二千メートルの高さじゃないだろ! どれだけ広いんだ!?」
「時間と一緒で、空間も単純計算じゃないわ~! 地上から頭上の境界面の高さは、平均三千メートルなの!」
 慶汰たちはどうやら竜宮城の隅にいるらしい。湾曲した境界面が海底大陸を区切っていた。大きく緩やかに広がる境界面は、白く発光していて目に染みる。その眩しい白は、奥に闇があるかのように不気味に滲んでいる。目を凝らせば、白い光がさり気なく波打っていた。
「なあ、空が蠢いてないかー!?」
「こっちはそういうものよー! 地面に降りれば目視じゃわからなくなるけどねー! 目ぇ悪くするからー、あんまり直視しちゃダメよー!」
 今度は竜宮城世界の遠くを見るべく顎を持ち上げた。白い境界面の空と焦げ茶色の大地に分厚い大気が挟まれている光景は、なんだか不思議な光景だ。サイズ違いの綿雲がぷかぷか浮かんでいて、ここが深海の中だということが信じられなくなる。
 地球は球体なので、大地も空も湾曲していて地平線ができている。遠いところは慶汰の視力では陸であることくらいしかわからなくて、それが慶汰の想像以上に海底世界の広さがあることを教えてくれる。
 海岸があって陸地があって街があって道路があって、川に森に山もある様は、日本のようで親近感が湧く。
 一方で、遥か上空からでも見える銀色のアーチは、いったいどういうオブジェクトだろう。今は茹でる前のうどんのような細さだが、きっと地上では太い立派な橋のように感じられるはずだ。それが何本も、一本ずつ独立して、街から遠い街へとまたいでいる。
「なあ! もしかして、あれがアロップの暮らしてる王城か!?」
 慶汰は湾岸部から少し内陸側の辺りに指を向けた。城壁に囲まれた広い敷地には、庭園や池を内包しつつ、立派な城が三つも建てられている。その敷地の中には、変わった形の建物もちらほらとあった。
「ええ、そうよ! このまま直行するわ!」

 気づけば、慶汰はいつの間にか眠っていたのだとおぼろ気に理解した。
 長い海の旅路は、慶汰の体力を体感以上に削り取っていた。玉手箱を届けるという使命感と、未知の世界への緊張感と、興奮と感動が、疲労感を麻痺させていたのだ。
 その証拠に、一晩眠った今、慶汰は竜宮城突入から、こうしてふかふかの布団に眠っている細かな経緯を、おぼろげにしか思い出せずにいた。
 街の市民から城の人々まで、誰もが和装だったこと。
 王城が、太い鉄骨系の建材で造られていること。
 城の中は青い系統の色合いが基調となっていて、優しく支えられるような雰囲気があったこと。
 城内に入ってすぐ、アーロドロップが紅い髪のメイドと話し終えるのをソファのような椅子に座って待つことになり、それから……記憶がない。
「あら、ごめんなさい。起こしちゃったわね」
 アーロドロップの声を聞いて、慶汰は身体を起こした。いつの間にか、和風の旅館にあるような浴衣を着せられている。
 慶汰は知らない部屋にいた。広い部屋だ。壁にはイカともクラゲとも思える軟体動物が漂う絵画が飾られている。ベッドはセミダブルだろうか、一人で寝るには贅沢な広さと柔らかさがあった。小さな照明器具の乗ったサイドテーブルは磨かれた木材が綺麗な黄緑色をしていて、壁際の同じ材質のテーブルにはスーツ一式が綺麗に畳んで置かれている。窓でもあるのだろうか、壁には青い布が垂れていた。
「アロップ……?」
 慶汰が目を向けると、アーロドロップは引き戸を閉めて、木の椅子に腰を下ろした。見慣れた乙姫羽衣姿で、手には水筒のようなものを持っている。
「おはよう。ここはゲストルームよ。慶汰、昨日椅子に座らせたらそのまま寝ちゃったの。憶えてる?」
「ああ、なんとなく……え、昨日?」
 慶汰は耳を疑った。がっつり寝込んでいたようだ、と髪に触れる。しっかり寝癖の感触があった。
 よりによって寝起きのだらしないところを見られてしまった、と咄嗟に指で髪を梳く慶汰を、アーロドロップが笑顔で見守っている。
「フフ、長旅だったものね。今日は……といってもあと半日もないけど、ゆっくりしていてちょうだい。明日から、色々と忙しいから」
「ええと、玉手箱は?」
 寝起きで意識はぼーっとしているが、腕が筋肉痛とも痺れとも違う違和感を訴えている。それだけ長い間しっかり抱えていたからだろう。
「今、さっそく解析に回しているわ。まあ数日は龍脈チャージだけで検査のしようがなさそうだけど」
 細かいことはわからないが、とにかく紛失したわけではなさそうだとわかって、慶汰は胸をなで下ろした。と同時に、お腹が勢いよく唸り声を上げる。
 あまりの恥ずかしさに、慶汰は耳まで真っ赤にして……今にも笑い出しそうなアーロドロップと目が合った。
「……ぷ」
「……く」
 二人して一気に「あははは!」と大声で笑う。ひとしきり大笑いして、アーロドロップが指の背で自らの目元を拭った。
「そんなことだろうと思って、はいこれ」
 アーロドロップが差し出した水筒を受け取り、慶汰は観察した。五〇〇ミリペットボトル程度のサイズ感で、蓋がコップになっていると思しき形状だ。だが切れ目の下に丸いボタンがひとつある。
「飲み物か?」
「消化しやすいエナジードリンク。寝起きで自覚ないでしょうけど、体力を消耗したまま長いこと寝ていたんだから、いきなり食事をすると胃がムカムカするわよ」
「おお……ありがとう」
 蓋を回そうとするが硬すぎてびくともしない。ボタンを押すと炭酸が抜けるようなプシュッという音がして、今度は蓋が回るようになった。本体は直接口をつけて飲むのに適した突起があるので、慶汰は直接口をつけた。鼻に抜ける香りは爽やかな酸味があるが、舌で感じるのは心地よく冷えた甘みだ。
「なんか、うまいんだけど不思議な味だな」
「疲れているほど甘く感じるようになっているのよ。地上人にも通じるみたいね」
 運動部のクラスメイトが、スポーツドリンクを飲む時にそんなような話をしていたことを思い出す。アーロドロップが普通に地上で食事をしていたからそれほど心配していなかったが、海底世界の生活習慣はそれほど地上と乖離していないようだ。
「それで、モルネアは大丈夫そうなのか?」
「おそらくね。バグって情報が壊れていなければいいんだけど――」
 そうアーロドロップが言ったところで、ドアがノックされた。
「どうぞ」
 返事をしたのはアーロドロップだ。
 ドアを開けて入ってきたのは、アーロドロップを少し成長させたような、美しい銀髪碧眼の少女だった。お揃いの乙姫羽衣の胸元には、分厚い辞書を開いたような意匠の金色のバッジが光っている。
 顔立ちは凜々しく、しかし瞳や唇の雰囲気はどこか子供らしい印象が残る。慶汰の感覚で、年齢感の第一印象は同い年か年上という印象だ。
「――アラ? アロップの王子様はお目覚めになられていたようですね」
「ですからそういうのじゃないです、姉上!」
 顔を真っ赤にして早口で抗議するアーロドロップを横目に、そういえば姉がいたんだと思い出して、慶汰は名乗った。
「はじめまして。浦島慶汰です」
「キラティアーズ・マメイド・マリーン乙姫第一王女です」
 今さらながらにベッドに座ったままというのは無礼だろうかと掛け布団をめくるが、歩み寄ったキラティアーズがそっと直した。
「そのままでよろしいですよ。妹から経緯の大筋は聞いております。このたびは妹を救ってくださって、本当にありがとうございました」
「いえ、当然のことをしたまでですから……」
 キラティアーズの礼儀正しいお淑やかな振る舞いに、慶汰は背筋を伸ばす。
「見たところ年齢もわたくしとそう離れていないようですが、おいくつか伺っても?」
「俺は十六歳です」
「まあ。ご一緒でしたね。それは嬉しい」
 にこりと微笑むキラティアーズ。一方で、椅子に座っているアーロドロップは、慶汰を見つめて目をしばたたかせている。
「……年上だったの?」
「アロップには俺がいくつに見えてたんだ? つか、今まで気にしてなかったけど、アロップはいくつなんだ?」
「もうすぐ十四歳よ。慶汰は同い年か年下くらいに思ってた」
「俺、そんな高校生感ないか……?」
 アーロドロップほどかけ離れた予想はしていなかったが、慶汰としてもアーロドロップはもう少し歳が上だと思っていたので、正直驚いている。
「アロップ。年上だと知ってその言葉遣いはなんですか」
 姉に窘められたアーロドロップは、ばつが悪そうに唇を尖らせた。
「だって今さらですし……」
「まあ、いいじゃないですか、キラティアーズさん。正直俺も、今さら敬語を使われてもって感じですし」
 キラティアーズは溜息を吐いた。それがあまりに様になっていて、慶汰は彼女に苦労性な印象を抱く。
「慶汰さん、妹をあまり甘やかさないでいただけますか? この子はいくらなんでもお転婆が過ぎます」
「あー……まあ、けっこう……だいぶ……」
 慶汰は懐かしむように、思い出を指折り数えて語った。出会い頭に首に鉄扇を突きつけられたことや、鎌倉駅前で初対面の男性相手に喧嘩を売るような態度だったこと、仕方ないとはいえ海保を騒がせ、サメと戦っていたことなど、いざ振り返るとたった四日間で枚挙にいとまがない。
 そもそも慶汰と出会ったきっかけだって、モルネアに自我を持たせて目を離したら軍の兵器を起動させた――なんて話だったはずだ。
「ちょ、慶汰! そこは普通やんわりと否定しておくところでしょ!?」
 アーロドロップが頬を引きつらせる一方で、キラティアーズは信じられないと言わんばかりに顔から血の気が引いていた。
「ホホジロザメと戦った……!?」
 慶汰がすかさず質問の挙手。
「あの、海底の方々ってサメとあたりまえのように渡り合えるってわけじゃ……」
「そんなわけないじゃないですかっ! アロップ! 貴女という人は! なんと無謀極まりないことを! 死んだらどうするんですかッ!」
 キラティアーズがずいっと妹に迫り、アーロドロップはそのあまりの迫力にのけぞった。
「でも姉上、乙姫羽衣のスペックなら理論上勝てます」
「そのスペックで逃げるのです! どうして戦っちゃうんですか!」
 慶汰は苦笑を漏らす。龍脈術の超常的な力と、乙姫羽衣のビジュアルインパクトが強すぎて、印象の物差しが狂わされていたようだ。
「それは、向こうから襲ってきたからで──」
「貴女は肝が据わりすぎです!」
 姉妹喧嘩がヒートアップしそうな気配を感じ取って、慶汰が割って入った。
「ハハハ……アロップが規格外に強すぎたんですね……?」
 キラティアーズはハッとして、咳払いをする。どこか恥ずかしそうに肩を狭めて、声のトーンを落とした。
「まったくもう、地上人になんという誤解を招いているのですか」
「う、それにつきましては弁解の余地もございません……」
 椅子から立ち、頭を垂れて素直に謝っているアーロドロップが、ちらりと慶汰に抗議の視線を向ける。慶汰はそんな二人を見て、つい微笑んだ。
「戻って来れてよかったな、アロップ」
 アーロドロップの頬が朱に染まり、小さく口をもごもごと動かしたが、なんと言ったのか慶汰には聞き取れない。ただ、少しいじらしげなのが妙にくすぐったくて、慶汰は声を出して笑った。

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