見出し画像

竜宮城からの招待状(パスポート) 14話 告白

 最後に、キンキンに冷えた瓶のブルーサイダーを買って、地図に示された場所へ移動する。会場の端、雑木林を抜けた先に、切り開かれた空間があって、ぽつんと小さなベンチが設置されていた。
 そのエリアの入口を封鎖するように、ジャグランドが腰の後ろに手を回して立っている。何も言わず、道を空けて腰を折るジャグランドに、アーロドロップは「ありがとう」とお礼を告げて進んでいく。その様は、いかにも王女とその従者だ。
 慶汰もお礼を告げるが、ジャグランドは同じように上躯を傾けるだけ。沈黙を守ったまま、慶汰たちが来た一本道をゆっくり歩いていった。
「さ、座りましょ」
 お祭り会場を後方に、正面には下側に城下町が広がり、右手側には王城のあるエリアが見える。城下町の向こうは砂浜と海岸になっており、その先は暗くて境界面がどれくらい遠くにあるのかも見えなかった。
「花火は海沿いで上げるのよ」
 左隣に座ったアーロドロップが、空を見上げて言う。
「じゃあ、ベストスポットなんだな。ここ」
「ええ。用意してくれたみんなに感謝しないとね」
 慶汰はアーロドロップの横顔を見る。穏やかで、まっすぐに、目を細めていた。
「今日、影でお膳立てしてくれた四人は……みんなシードランのメンバーなのか?」
 アーロドロップはゆっくりと頷く。
「そうよ。思えば、まだ結成して一年も経ってないのだけど……みんな頼もしいでしょ」
 アーロドロップはブルーサイダーの瓶ジュースをごくりと飲むと、ゆったりと慶汰に彼らとの思い出を語って聞かせた。

 幼少期から好奇心旺盛だったアーロドロップは、王城の中を落ち着きなく飛び回る子だった。
 十歳になると、いよいよ王城の外へ抜け出すようになる。そんな彼女の監視役として任命されたのが、ジャグランドだ。
 ジャグランド・パルバルス。王城警備三十年。アーロドロップの母・ハイドローナ乙姫陛下も信頼を置く衛兵である。
 それからアーロドロップは、ジャグランドの監視を振り切ろうとあがいたが、王城の外に出る成功確率は三割に満たなかった。
 運良く外に出られても、王城の外で満足に過ごせた日はない。どれだけ策を講じても、よくて一、二時間もすれば捕まってしまう。
 そんな日々が一年以上続いたある日、アーロドロップは珍しくジャグランドを完全に撒くことに成功した。正体を隠すために〝ドロップちゃん〟という架空の人物になりすましていると、レンと出会う。
 レン――レックマン・ホライズは、地方の執政院に務める役人だった。龍脈知能体の研修を受けるため、王都にやってきていたのだ。
 同時期、王都では龍脈知性体のシステムトラブルが相次いでいた。専門的な会話ができたこともあって、レックマンと共に調査に乗り出したアーロドロップもといドロップは、トラブルの原因である龍脈知性体の回収に成功――その龍脈知性体が、モルネアだ。
 研修を終えたレックマンが地方に戻ってから一年近く、アーロドロップはモルネアの教育に力を入れた。
 そして十二歳になって半年ほどした頃、王城内で何人か新人の侍従が補充された。その中の一人がイリス――イーリアス・ビーチである。
 当時、イーリアスは緊張から失敗ばかりを繰り返していたメイドだった。アーロドロップは彼女の起こす騒動に遭遇することが多く、世話を焼いているうちに、いつの間にか仲良くなっていた。
 その頃、姉のキラティアーズが成人を迎える。
 キラティアーズの初公務は、妹のアーロドロップと二人での、スポーツ振興イベントへの出席だ。種目は、龍芸走という、龍脈術を用いた障害物走である。
 そのイベントに、王女姉妹を狙うテロ予告が出された。
 アーロドロップはテロを未然に防ぐため、ドロップちゃんに変装し、イベントへ飛び込み参加する。なお、この日はイーリアスもタイミングに応じてアーロドロップやドロップちゃんに変装し、二人分の影武者をこなすことになる。
 このイベントに、龍芸走のプロ選手として参加者にコーチングするべく、シューティ――シュークティ・ウェーブナーも参加していた。彼も運悪くテロ計画を知ってしまい、巻き込む形で強引に味方につける。
 また、地方にいたレックマンが王城勤務となり、偶然にも合流。アーロドロップたちは力を合わせてテロを防ぎ、無事にイベントを成功させた。
 この一件において、アーロドロップはテロを防いだ立役者になったわけだが、犯人と直接対峙したという危険行為が問題視され、より厳しい監視下に置かれそうになる。
 もっとも、居合わせたレックマンが、以前解決した王都龍脈知性体のシステムトラブルの解決に、ドロップちゃんもといアーロドロップが関わっていたことを打ち明けたことから話が転がり、短くない協議の末にシードランの設立が決定。
 アーロドロップが十三歳の誕生日を迎えてすぐ、シードランの活動が始まった。
 危険なことはしないと約束しながら、一年足らずして、モルネアが軍の兵器を起動させ、アーロドロップはいよいよ竜宮城追放という処罰を下されたのだ。

「――それからのことは、慶汰もよく知るとおりよ」
「想像以上の暴れっぷりだな……」
 慶汰がそうコメントした直後。
 ひゅるるる、と甲高い音が大きく響いて、夜空に鮮やかな黄色い花が豪快に咲く。轟く開花の音が空気を揺らし、慶汰たちの元にも届いた。
「始まったな」
 慶汰はアーロドロップの横顔を覗う。なんとなく、どんな表情で見ているのか、気になったのだ。
 穏やかな、優しい微笑みを浮かべている。
 開幕の一輪目が、その花弁を散らす。空が一旦、静かになった。
 ここで、慶汰は息を呑む。
 アーロドロップのリボンで結んだ黒い髪が、音もなく変色したのだ。これまで、ドロップちゃんとして黒く染まっていた髪が、元の銀色に早変わりする。
「それも龍脈術だったのか……」
 つい慶汰が呟くと、アーロドロップがぱっと顔を向けて、視線が重なった。
「……もう、花火を見なさいよ」
 とん、ととん、と、花火が上がる。紅色に、金色に、空が瞬く。
「そうだな」
 慶汰は花が咲き誇る夜空を見上げて、ブルーサイダーを一口飲んだ。爽やかな甘さとぷちぷちと小さく弾ける泡の粒が喉を通り、身体の内側に染み込んでいく。
 風に乗って、火薬の匂いが鼻腔をくすぐる。どことなく、鉄のような味がした。
 上昇と散華、そして余韻。一発ごとに少しずつ高さの異なる音が幾重に重なり、音楽のようなリズムを作る。
 紫に金、青、緑。鮮やかな一瞬の花が彩る夜空は、光が収まるほんの一瞬だけ、境界面の奥に広がる深海の暗闇を覘かせる。
 アーロドロップの指が、そっと慶汰の手の甲に触れた。何も言わずに掌を上に向けると、二人の手が重なる。
 再び、視線が交錯した。
 アーロドロップは、真剣な面持ちで、唇を開く。
「お返事、今してもいいかしら」
 花火はまだ、始まったばかりだ。
「ああ」
 静かに鼻で息を吸って、覚悟を決める。
「あたしを龍迎祭に誘ってくれた時……慶汰が、ジンクスを知らなかったことくらい、言われなくてもわかってるわ。だからこれは、あたしの勝手なわがまま」
 花火の音に負けないように、アーロドロップが言葉を紡ぐ。
「決めたの。明日、慶汰を地上に帰すって」
「え……」
 急なことに、慶汰の心臓が止まりそうになった。
「もちろん、玉手箱に仕掛けられた古代の龍脈術解明は最優先で急ぐわ。慶汰のお姉さんを助けるために、全力を尽くすつもり」
「い、いや待ってくれ! そうじゃないだろ、俺が聞きたいのは――!」
「ダメなの」
 慶汰の手がぎゅっと強く握られて、言葉は遮られた。
「あたしの頭の中はもう、あなたのことでいっぱいで……このままじゃ、いろんなことが手遅れになっちゃう」
「手遅れって」
「慶汰だって!」
 叫んだことを悔やむように、アーロドロップは俯いた。
「……当然、把握してるわよね。竜宮城と外界の時間差」
「それは……」
 竜宮城に来たばかりの頃は、地上の方が遅かった。竜宮城で一日過ごしても、地上は半日くらいしか過ぎていなかった。
 だが現在、時間の波は、逆になっている。もう既に、竜宮城より、地上の時間の方が速くなっている。
 今はまだ、竜宮城に来てから得た時間の先取り分が残っている。いわばバッファとも言えるその猶予時間はしかし、あと数日もすれば完全に精算され、その翌日からは加速度的に地上の時間が過ぎ去ってしまう。
「慶汰。あなたのことは……好きよ。大好き」
 アーロドロップは、瞳を潤ませていた。
「でも、あたしは貴方をこれ以上苦しませたくない……っ!」
 慶汰はアーロドロップの手を握る力を強めた。
「アロップ、聞いてくれ。俺も、お前のことが大切に――好きになったんだ! もし姉さんを救えなかったとしても、その先でアロップと共に生涯を過ごせる未来があるのなら、それもいいかなって思えるくらい――」
「やめてよ! そんな言葉聞きたくないっ! あたしが貴方を竜宮城に連れてきたのは、貴方を裏切るためじゃないの!」
 繋いでいた手が振り払われた。アーロドロップが慶汰の胸元を強く握る。ごつんと、弱々しくも力強く、銀髪と共に額が胸板にぶつかる。
「だから、お願い……! 地上に帰ってよ……ッ!」
 声まで震わせて、アーロドロップは、慶汰の胸の中で泣いた。
 徐々に強まっていく花火の光が、音が、衝撃が……今は、苦しい。
 慶汰はアーロドロップを抱きしめようかとも思ったが、腕は、上がらなかった。
 それからどのくらい、そうしていただろう。
「ごめんなさい……。あたしは先に帰って、玉手箱の実験をするけど……慶汰は花火、楽しんで……!」
 次々と打ち上がる花火は、いつの間にか間断なく、一発一発が最大級の威力を誇って乱れ咲いていた。
 曲の大サビのように、儚くも激しく荒れて……
 最後に一つ、ピリオドを打つ。

 静まりかえったベンチで一人、慶汰は人差し指のネイルコアに触れた。
「……モルネア、聞こえるか?」
〈うん〉
「さっきの話、聞いてたか?」
〈……うん〉
 モルネアでも、返事を躊躇うことがあるようだ。
「俺、どうすればよかったのかな」
〈……ごめん、よくわかんないや〉
 いままでずっと間延びした喋り方だったのに、そうしてほしい時に限って、そうしてくれないらしい。
「俺さ、モルネアが玉手箱に吸い込まれた日の夜、悩んだんだ。アロップが、玉手箱を解析できなかったら、その時どうなっちゃうんだろうって」
 少し間を開けたが、モルネアは相槌を打たなかった。慶汰は続ける。
「でさ、思ったんだ。アロップならやってくれるって。だから、どれだけ時間がかかっても、そばで応援するって決めたんだ。たとえそれで、地上に残した家族と離ればなれになっても……」
 そこまで言って、慶汰はひとりでにフフっと笑った。
「姉さんを助けてもらうために、玉手箱の解析を頼んでるのに……それに間に合わなくても応援しようって、おかしな話だよな」
〈……おかしな話……なのかな……〉
 モルネアなりに、気を遣ってくれているのだろうか。矛盾があれば突っ込んでくるとばかり思っていただけに、慶汰は訝しみながらも、語りを続けた。
「もしかしたら、その時にはもう、俺はアロップに惚れていたのかも……ああ、自分でもわかんないや」
 慶汰は自分に相槌を打つように頷く。
「でも、それぐらいの覚悟で、俺はこっちに――竜宮城に来たんだ。……なのに、ああ言われちゃ、な……」
 はぁぁー、と大きく肩を落とした。
「今さらそんなこと伝えても、もっと気にさせるだけだろうし……」
〈アロップ、それはもう知ってるよ?〉
「え……?」
 ネイルコアから、メンダコのアバターが浮かび上がる。
〈薬事院で、まだボクが玉手箱に閉じ込められたままだった時、慶汰、玉手箱盗んだ犯人に似たようなこと怒鳴ってたでしょ〉
 言われて思い出す。その事件も、もう七日前のことだ。
「ああ、そういえばそうだったな……。つか、玉手箱の中でも声は届いてたのか?」
〈うん、竜宮城に入ってある程度龍脈が溜まった頃からね。玉手箱にはボクの発声に必要な機能がなかったから、お返事できなかったけど〉
「そうだったのか……で、アロップが聞いてたってのは?」
〈言葉通りの意味だよ。玉手箱を取り返すために駆けつけた時に、ちょうど慶汰がそう叫ぶところに居合わせて、アロップだけ外に飛び出していったって、シューティたちから聞いたもん〉
「なっ……。ま、まさか聞かれていたとは……」
 しばらく放心する。そうして、改めてアーロドロップの言葉を受け止めた。
「じゃあ、逆にプレッシャーを与えてたんだな、俺は……」
 モルネアが、触手の一本を上げる。
〈ねぇ、慶汰。質問いい?〉
「おう」
〈アロップはさ、慶汰のことが好きだって、何度も言ってたんだけど〉
「おっ……おおう」
 その話、聞いていいのだろうか。だがモルネアは一向に気にしない。
〈好きなら一緒にいたいって思うのが普通でしょ? なのになんで、アロップは慶汰と離ればなれになろうとするの?〉
 ――なんでそれをよりによって俺に聞く!? と叫びたい衝動をなんとか飲み込んで、慶汰の喉が鳴った。
「そりゃお前……アロップは俺のことが、す、好きだから、これ以上、迷惑かけたくないってことだろ」
〈慶汰がそれでもいいって言ったのに?〉
「ホント話振る相手くらい選んでくれよもう……!」
 あまりの気恥ずかしさに、慶汰は熱くなった顔面を両手で覆う。
 血圧があまりに高まって、脳が破裂しそうだ。慶汰はやけくそになって、思いつくままに答える。
「モルネア、お前にはわからないだろうけど、それが恋って気持ちなんだよ……! 好きな人のことを想うと、一緒にいたいし、胸張れる自分でいたいし、相手のためならなんでもしてやりたくなって、それがどれだけ矛盾しても、好きって気持ちに突き動かされて、自分でも理解できないことを言ったりしたりするんだよ……!」
 熱のこもった慶汰の吐息が、穏やかな夜風にさらわれる。まだ、火薬の香りがほのかに残っていた。
 風が凪いだ時、モルネアのメンダコのアバターに、不気味なノイズが走る。
〈それが、恋……うん。そっか。この気持ちが、恋なんだね……ああ……!〉
 音声もだ。幼き少年のような声に、低い男性の声や老齢な女性の声もミックスされている。
「も、モルネア……?」
〈そうだよ、そうなんだよ……そうだったんだよ……!〉
「だ、大丈夫か……?」
 モルネアの声が、二十代ほどの男性の声で安定する。
〈ああ、慶汰……今まで、苦労をかけてしまったね。本当にごめん〉
「お、おい……? 急にどうしちまったんだ?」
〈いや……ようやく、全てを思い出したんだ。そう、ボクは……恋をしていたんだ!〉
 突然何を言い出すかと思えば。
「え、誰に……アロップに……?」
 呆然としながら尋ねる。モルネアは、静かに答えた。
〈いや……アクアーシャ、というんだけど〉
「ホントに誰だよ!?」
 知らない人の名前だという感覚は、続くモルネアの声で覆される。
〈六〇〇年前……こっちの世界では一二〇〇年前、ボクに玉手箱をくれた、乙姫様の名前だよ〉

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?