竜宮城からの招待状(パスポート) 13話 おとひめさまのアプローチ
遥か大昔、竜宮城内が長く厳しい寒冷期を迎えたことがある。
気温は常にマイナスで、作物は育たず、霜が家を浸食し、人々は飢えと寒さに凍えながら、誰もが破滅を覚悟していた。
そんな時だ。突如として、竜宮城のあちこちから、熱い蒸気が噴き出した。濃密な龍脈を孕んだその蒸気は、世界中の霜を溶かし、作物を育み、人々を温める。
――きっと、この惑星の中核に生きる龍神様が、我々のことをお救いくださったのだ――。
人々は救いの龍神様に感謝の意を表するために、その感謝を後世に伝えるために、毎年祭りを催すことにした。それが、龍迎祭のなりたちだ。
今ではもっぱら、楽しい季節の風物詩。あるいは、恋する者たちの決戦場――。
慶汰の右手人差し指の爪に、サファイアのネイルがついた。モルネアの分裂体を宿したネイルコアだ。
アーロドロップの使いを名乗る眼鏡の青年から、昨日渡されたのである。
地上で生まれ育った慶汰は、龍脈術を使えない。だが、モルネアの起動は問題なくできる。ただネイルコアを強く押すだけだ。
モルネアが言うことには、アーロドロップから待ち合わせ場所と時刻について指示が出たらしい。ついでに、モルネアは自力で起動と停止ができるので、オンとオフの操作にあまり意味はない。ならばなぜスイッチがあるのかと問えば、風情という答えが返ってくる。
龍迎祭当日、慶汰はモルネアをナビ代わりに、龍迎祭の会場付近に指定された待ち合わせ場所へと移動した。
王城の東側――城下町の区画のど真ん中に、大きくどんと鎮座する広い台地。その東西南北が階段になっていて、それぞれ入口には大きな鳥居が構えられている。その西側鳥居が待ち合わせ場所だ。
どこか祭り囃子を彷彿とさせる、笛と太鼓の織りなす軽妙な音楽が微かに届く。
いよいよオレンジ色の空が夜に向けてくすんできた頃に、慶汰が到着した。
「ちょっと早すぎたかな……」
〈ちょうどいいくらいだよー〉
慶汰が身に纏っているのは、イ級客服ではなく、濃淡の違う紺のストライプ柄の浴衣だ。足は、下駄の太い二本の布紐が二本、足にかかっているだけで、風が素足を吹き抜けて落ち着かない。
道行く人たちも、ひらひらと浴衣の端を揺らしながら、からんころんと下駄の音を鳴らしている。
老若男女が揃って浴衣を着ているのは見慣れてきた光景だが、夏祭りだと思えば、竜宮城に来てから一番日本の雰囲気に近い日だ。
「よくよく思えば、俺が龍迎祭に誘った時、アロップは断らなかったんだよな……」
女子側にその気がないなら、誘われたタイミングで断るのが常識――となれば、こうしてデートが成立した時点で……。
そう気づいてそわそわしていると、人で賑わう大通りの中から、聞き慣れた声がした。
〈この辺りにいると思うんだけどなぁ〉
慶汰はつい反射的に、自らの右手を見た。
「今なんか喋ったか?」
〈ボクじゃないけど、別のボクだよ〉
「あ、いた! 慶汰!」
名前を呼ばれて顔を上げると、明るい赤色の浴衣を着た黒髪の少女と目が合う。いつもの銀色の髪と乙姫羽衣姿ではないが、きっと王族だから変装しなければいけないのだろう。なにより、慶汰を真っ直ぐ見つめる碧眼を間違えるはずがない。
「アロップ!」
愛称を呼ぶと、アーロドロップは慌てたように駆けよる。底の厚い舟形の下駄が、コロコロと高い音を鳴らした。
「しー、今日はお忍びなんだから!」
口元に人差し指を添える何気ない仕草すら、今は無性に意識してしまう。
「それにしても、待たせちゃったみたいね」
「い、いや……俺も今来たところだ」
刹那、慶汰とアーロドロップの手元から、モルネアの声が二重で響く。
〈何言ってんの、慶汰が出発したら教えてってアロップが言ったん――〉
すかさず、慶汰もアーロドロップも、自らの右手人差し指の爪を無言で押した。そして、無言で微笑みあう。
――いや、いてくれた方がよかったか? でも、正直この空気を壊したくは……って、何を期待しているんだ俺は!?
「おほん、それより乙姫羽衣じゃないんだな。……浴衣姿もきれいだ」
純白の帯に巻かれた浴衣は、大きな貝殻が花模様を描くように贅沢に散らされており、涼しげで華やかな雰囲気があった。
黒髪は頭の後ろで大きな貝殻風のリボンで結ばれていて、可愛らしい。同時に綺麗なうなじも露出して、色っぽさも演出している。
アーロドロップは照れるように頬を赤くして、耳にかかる一束の黒髪を指でさらった。
「あ、ありがと……。慶汰も、よく似合ってる」
「そ、そうか? それはよかった」
お礼を言って……しかし、その先の言葉に繋げない。沈黙が、浮かれた気分を沈ませる。
やはり、無理させているのだろうか。
ここでどれだけ頑張っても、別れることは決まっているのだ。アーロドロップだってそのくらいわかっているはず。そうなると、こうして龍迎祭の誘いに乗ってくれたのも、気を遣わせてしまっただけのことかもしれない。
慶汰は両手の拳を強く握り締めた。辛いことを言わせるくらいなら、自分が道化を演じるべきだろう。
「なあ、アロップ。俺さ、龍迎祭のジンクスのこと、知ら――」
「あのね! 慶汰!」
アーロドロップが、明るい笑顔を浮かべて遮る。
「玉手箱の件なんだけど、結局あんまり進展なくて……でも、あたし、頑張るから」
じっ、と。笑顔でありながら、アーロドロップの真剣な眼差しが、真っ直ぐに慶汰に向かう。慶汰がリアクションに困って喉を鳴らすと、彼女はぎゅっと両手を握って、繰り返した。
「頑張るから!」
ひしひしと、慶汰の全身に熱が伝わる。きっと、本気の覚悟を決めて、この場に来てくれたのだろう。
そんなアーロドロップの覚悟を蔑ろにするなんて、一番ひどい仕打ちをするところだった。
腹を括ったつもりでいたが、全然覚悟が甘かった――そう痛感したからこそ、慶汰の表情が自然とほぐれる。
――もう、間違えるもんか。
「期待してるぞ! ま、今日は楽しもうぜ!」
そんな慶汰の方へ、アーロドロップがそっと右手を浮かせた。
「じゃあ、手を繋いでも……いい?」
「お、おう……!」
周りを見れば、カップルで来ている男女はみんな手を繋いで歩いていた。慶汰はパッと左手を出し、アーロドロップの右手を握る。……小さくて、柔らかい。
どくん、どくんと、左手が心臓の鼓動で脈打っている。違うリズムをアーロドロップの手から感じて、お互いの体温が呼応するように熱くなる。
大勢の人が作る波に乗って、階段を上る。
「なぁ、今さらだけど、髪色と服を変えただけで正体ばれたりしないのか?」
「既に、数年前から偽装工作はできてるわ。ドロップちゃんっていう、あたしによく似た女の子がこの近辺に住んでることになってるの」
「――ことになってる?」
アーロドロップは、ちょこんと人差し指を自らの胸元に向けた。
「……要するに、今のあたしのことなんだけど。変装していれば、案外どうにかなるものよ。だから慶汰も、祭りの間はあたしのこと、ドロップって呼んでね」
さすがお転婆姫様だ、すでに対策を立てているらしい。
「お、おう。了解したよ、ドロップ……」
しかし、今慶汰たちは階段を上っている真っ最中。目の前には知らない人の背中があり、二人の左右にも肩がぶつからんばかりの至近距離にも人がいる。真後ろだってそうだ。聞かれていてもおかしくない。
「今、ドロップちゃん何て言った……?」
祭り囃子や雑踏に混じって、すぐ背後から聞こえた声に、ドキリと背筋が伸びる。
「変装って言ったと思う……! まさかとは思ってたけど、ドロップちゃんの正体って」
恐る恐る背後を伺う。慶汰の真後ろには若い大人の女性二人組がいるが、揃って額を手で押さえていた。
「あれ、私たち今なんの話してたっけ……?」
「さあ……。なんだか、有名人を追いかけてきたような気がしたんだけど……」
――記憶麻酔術!?
咄嗟にアーロドロップの方を見た慶汰は、いよいよ驚きに声が出なくなる。
この人混みの中、いつの間にかアーロドロップのすぐ向こうに、見覚えのある眼鏡の男性が立っていたのだ。
「――お二人に仕掛けた認識阻害術も、あまり効力を強めると、今度は人との衝突リスクが高まってしまいます。くれぐれも、会話の内容にはご注意くださいませ」
口元に手を添え囁かれ、アーロドロップは小さく頭を下げた。
「あ、ありがとう。助かったわ、レン……」
刹那、レンと呼ばれた男性は、音もなくその場から消失する。
「い、今の人って、昨日俺にネイルコアを持ってきてくれた人……だよな……? 今、なにしたんだ……?」
「き、気にしないで慶汰。龍迎祭、楽しむんでしょ?」
色々と突っ込んで聞きたいところだが、それこそ人混みの中で尋ねていい話題ではないのだろう。とにかく今は、アーロドロップの正体が露見しにくくなる状況らしい、という程度の認識で留めておくしかない。
渋々頷くと、気を取り直すようにアーロドロップが語り出した。
「龍迎祭にはね、たくさんの屋台が出るのよ。オススメはクロイイワシの一本焼き。炭焼きの苦みと岩塩の塩辛さが癖になるの!」
「一個目でいきなり渋そうなのが出たな。でもうまそうだ」
「ええ、後で食べてみなさい。そうだ、今年はシンカイガメ来てるかしら。昔は動物に意思疎通の龍脈術をかけて使役していたのだけど、その名残というか、文化を守るために、今でもイベントがあれば人と会話できる亀と触れあえるのよ」
アーロドロップの声が先ほどからずっと弾みっぱなしだ。
「へぇ、人の言葉を喋る亀か……いよいよ浦島太郎だな!」
いつもより二割増しのテンションで喋るアーロドロップと会話を楽しんでいると、長そうに思っていた階段もすぐに上りきれた。
「それじゃあさっそく見て回りましょうか!」
男女とも浴衣で華やぐ賑やかな会場を、アーロドロップと手を繋いで巡る。
最初はクロイイワシの一本焼き。屋台に近づいた時にはもう、炭火焼きの遠赤外線が顔を温め、焦げた磯の香りが食欲を刺激していた。
名前の通り、クロイイワシという竜宮城で穫れる魚を串に刺して焼いたものだ。だが――。
「うおっ、でかいな!」
予想以上にサイズ感が大きい。大きく口を開けないと食べられないほど太く、片手で持つと手首が疲れそうなほど長い。地上にいた頃の記憶で比較すれば、チョコバナナより一回り大きい。
「ふふ。さ、熱いうちに一口めしあがれ」
屋台の袖にある少しのスペースに移動して、慶汰は頭から齧りついた。
「はふはふ……! うん、塩が効いてて、身がホクホクして何本でもイケる!」
「でしょ? ねぇ、慶汰。……あたしにも、一口ちょうだいな?」
アーロドロップが手を出してくる。
「え? でも、もう……」
狼狽して目を泳がせると、道のあちらこちらで当然のように、他のカップルが一匹のクロイイワシを仲良く交互につついている。いくつかのカップルは、お互いに食べさせあっているほどだ。
そんな中で、口をつけてしまったし……とは、恥ずかしくて言えなかった。
「まさかその量、一人で食べる気? 他にも美味しいもの、たくさんあるのに」
「う……わかったよ」
慶汰が差し出すと、アーロドロップは素早く受け取って、食べかけのクロイイワシをじっと見つめる。
慣れていないうえに、過剰に意識してしまっているのだろう。手元は震えて、目の焦点も合っているか怪しい様子だ。
さすがに、見ていて心配になる。
「なぁドロップ、無理しなくても……」
「む、無理なんてしてないし……!」
勢いよく、アーロドロップはひと思いにかじりついた。
「……お、美味しい……」
ちろりと少しだけ舌が覗いて、薄い唇をそっとなでる。その仕草をまじまじと見てしまい、慶汰はさっと顔を背けた。
すると、アーロドロップは上擦った声と共に、歯形をつけたクロイイワシを慶汰の方へ向ける。
「ほ、ほほ、ほら、慶汰ももう一口食べる? 食べさせてあげるわ……!」
アーロドロップが、伸ばした右腕の袖口を左手で押さえ、少しずつ距離を詰めてくる。彼女の顔は見てわかるほど火照っており、必至に恥ずかしいのを我慢しているのが見て取れた。
さっきから、アーロドロップの様子がおかしい。合流した時に宣言した「頑張る」とは、カップルらしく振る舞うことを指していたのだろうか。
「慶汰……あ~ん……!」
こういうことをされて嬉しくない、わけがない。ただ、無理をさせてしまうのは、ひどく居たたまれなかった。
もっとも、ではせっかくのあ~んを無碍にするのか……。
葛藤の最中、慶汰はふと、視界の隅にあるものを見つけて、身体が動いた。
「悪いドロップ、ちょっと待っててくれ」
ドリンクを売る屋台の向こう、屋台の列の裏手の木陰に、うずくまる幼い男の子を見つけたのだ。
「え、ちょ、慶汰っ!?」
慶汰はスタスタと、一直線に歩を進める。屋台の横を抜けて、先ほど見かけた木陰の元へ。そして、年端もいかなそうな幼き少年に声をかけた。
「君、どうかしたかい? 怪我でもしたかな」
優しく声をかけると、幼い男の子はゆっくり顔を上げて、首をふるふると横に振った。
「ママとはぐれちゃったの……」
「なんだ、迷子だったのか。じゃあ、お兄ちゃんが一緒に探してあげるよ」
「ほんとう?」
「うん。立てるかい?」
慶汰が手を差し伸べると、おずおずと握り返して、すっくと立ち上がる。そのまま手を引いて、慶汰はアーロドロップの元に戻った。
「ごめんドロップ、ちょっと寄り道していいか?」
一拍、間があって、アーロドロップは微笑んで頷く。
先ほどまでと違って、普段の彼女らしい、頼もしい笑顔だ。
「当然。あたしも一緒に行くわ。運営のテント、場所わからないでしょ」
「ああ、頼む!」
――と、言ったその瞬間。
三人の前に一陣の風が吹いて、金髪の青年が出現した。
「運営スタッフの者っス! 迷子発見と聞いて、参上しましたっス!」
急な登場に、周囲にいた他の人々たちもどよめく。
慶汰も、呆然としながらも、記憶の中から心当たりを引っ張り出した。
「あ、一週間前の玉手箱窃盗事件の時にいた人」
「だ、誰のことっスかね!? オレはしがない運営スタッフっスよ!」
焦ったように言い繕う彼に、アーロドロップがじーっと無言で圧をかけている。
咳払いした自称運営スタッフのお兄さんは、幼き少年の前に立て膝を着いて、目の高さを合わせた。
「さ、オレが来たからにはもう大丈夫っスよ! 一緒にお母さんのところに行こうっス!」
「うん……?」
少年は、どうにも展開を飲み込めていないながらに頷いた。金髪の青年がひょいと抱き上げると、そのまま片手を上げる。
「じゃ、オレはこれで失礼するっスよ! お二人とも、この後もしっかり楽しんでほしいっス!」
びゅん! 慶汰たちの返事を聞くより先に、彼は迷子の少年を連れて去ってしまった。
「……ドロップ、もしや今の人と、さっきの眼鏡の人って……」
アーロドロップはそれには答えず、慶汰をじっと見つめる。
「迷子に気づいて声をかけにいくなんて、さすが慶汰ね」
「た、たまたまだよ」
どうやら彼のことも、この人混みの中では触れてはいけない話題らしい。周囲の人たちも、迷子の件が一段落したと察するや否や、それぞれ恋人や友人たちとの会話に戻っていく。
注目の的ではなくなったことを確認して、アーロドロップが慶汰に身体ごと向かいあった。
「さっきはごめんなさい。あたしってば、すっかり浮かれてて……慣れないことはするものじゃないわね」
我に返ったのだろう、しゅんと肩を落としている。
もう、さっきのようにいちゃついてくれないのかもしれないと思うと、それはそれで少し残念だ。
「いや、それはそれで可愛かったし……」
「もう……」
びし、と腕を叩かれた。そして向けられる抗議の視線も、いじらしい。
つい緩んでしまいそうになる頬に気合いを入れて、慶汰はアーロドロップの手を取る。
「わっ、慶汰……?」
「さ、せっかく気を利かせてもらったんだし、次いこうぜ!」
それから二人は、全力で龍迎祭を楽しんだ。
クリオネ釣りは、水を張った浅く広いガラスのプールに放流されたクリオネを、糸で釣る遊びだ。糸には餌となる貝のエキスが染みこんでいて、糸の先端を球状に結ぶだけで餌と勘違いして食いつくらしい。
何十匹と泳ぐクリオネたちは、五センチくらいあれば大きい方だ。愛らしい透明な体表の中、胸元の心臓辺りが黄色く色づいている。
可愛いな、とほのぼのしながら糸を垂らすと、ふわふわと近寄って――ぐわっ! 口から六本の触手を勢いよく広げて襲いかかる!
「うわっ!?」
慶汰は腰を抜かして、地面に尻餅をついた。糸を引く感触は強く、慶汰の指からひったくられた糸が、ガラスの水槽に落ちる。
「あはははは! 慶汰ったら、驚きすぎ!」
クリオネはすぐに餌ではないと気づいたようで、ペッと糸は吐き出されてしまった。
「び、びっくりした……。意外とパワーあったな、クリオネ」
慶汰のリアクションが壺に入ったのだろう、アーロドロップは目尻に浮かんだ涙を左手の指で拭う。そして、右手を慶汰に差し出した。
「もう、大丈夫?」
自然とアーロドロップの手を取って、姿勢を直す。
「サンキュ……今度は釣ってやるからな……!」
「じゃあ、あたしの糸あげるわ。いい? できるだけ奥まで吸い込ませて、吐き出すまでの時間を長引かせるのがコツよ」
「そんなこと言われてもな、どうやるんだよ」
「仕方ないわね。まず、餌だと思わせるために小さく揺らすの……」
慶汰の手にアーロドロップの手が重なる。どころか、身体までぴったりくっついた。
ゴクリと息を呑む慶汰の耳元で、アーロドロップが真剣に囁いた。
「じっくり待って……焦っちゃダメ……」
ちらりと見た横顔が、本気だ。ならばと慶汰も集中する。
「近づいてきたら糸に遊びを作って、吸い込む時に奥まで入れるように……今よっ!」
クリオネが食いついた瞬間、アーロドロップと共につり上げる。さっと小さな器を構えて、張った水にクリオネが収まった。
「よっしゃ! ありがとなドロップ!」
慶汰が拳の甲を向けると、アーロドロップは一瞬目を丸くして、すぐに得意げな笑顔で拳を合わせた。
「当然!」
それからも、いくつかの屋台を見て回る。
階段で聞いたシンカイガメも見つけたが、想像以上に小さかった。
しゃがみ込んだ慶汰の両手に、シンカイガメが人懐っこく乗る。見た目以上の重みはあるが、多少持ち上げることに苦労はない。
膝と肘をくっつけるようにして支える姿勢をとると、慶汰の左肩に、アーロドロップの右肩がくっついた。そのまま、彼女がシンカイガメにぐっと顔を近づける。
「こんにちは。お名前は?」
シンカイガメの甲羅を、アーロドロップが指先で優しくつつく。すると、にゅっと伸びた首の先、丸い顔の口がパクパクと動いた。
「コンニチハ! ボク、マルラキー!」
「マルラキー? 可愛い名前ね」
にこ。無邪気さの中に大人っぽさが混ざったような笑顔が、慶汰の目の前でマルラキーに注がれる。
「アリガトー!」
「か、可愛いな……」
「でしょ」
慶汰と目が合ったアーロドロップは、より慶汰の肩に身体を預けた。長い黒髪が、慶汰の背中にそっと触れる。
たしかな体温と花のような香りを感じながら、慶汰は穏やかに会話を続けた。
「浦島太郎はこんなに小さい亀に捕まってここまで来たのか?」
「どうかしら……触れあい用の動物は、最初から小型の種類を使っているから。大昔、浦島太郎を連れてきたのは、ちゃんと人が移動するための、もっと大きな亀だったと思うわ」
「なるほどなぁ」
感心しながら、マルラキーを透明な展示ケースの中に戻してやる。手の熱で火傷させないように。
マルラキーは「オミズー」といいながら砂利の上をゆったり歩き、石に囲まれた餌箱の方へ向かっていった。
「ばいばい」
アーロドロップが手を振って立ち上がる。
それから二人で仲良く、次はどの屋台に寄ろうか、と歩いていると、不意に背後から小鳥のさえずるような声がした。
「殿下」
慶汰がびくりと背筋を伸ばす間にも、きれいな囁き声が続く。
「そろそろ花火のお時間です」
振り返ると、鮮やかな赤地に、白い泡模様の浴衣を着た、髪まで真紅色の女の子がいた。
「副隊長が場所を確保しております。ご移動願います」
「あの、君は……」
慶汰が声をかけると、少女はちらりと慶汰を見た。少女は儚げに微笑むと一礼して、くるりと踵を返して去っていく。
「イリスは人見知りだから……。それより、移動しましょ」
アーロドロップの手には、いつの間にか、簡単な地図が描かれた紙の切れ端が握られていた。
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