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責められたと勝手に解釈して落ち込むクセ、やめます!

私なりに行動したのに、なんで理解してくれないの?

大学生のとき環境サークルに所属していた。

環境問題へのアプローチを学生なりにしていこうよ、っていうコンセプトの団体であった。

たとえば、学祭の出店ではゴミを出さないように、紙皿の代わりにタコせんを使用。全て食べられるから、ゴミを出さない作戦だ。

さらには、卒業生が家電や家具をゴミステーションに置いて引っ越す人がいて、地域の問題に発展していた。不要になったものを無料で引き取って、保管。キレイにして、格安で新入生や留学生に販売するイベントを継承してきた。

私は大学2年生のとき、代表に就任した。

イベントを実行するのは楽しいけど、まとまるまでがとにかく長い。意見がまとまらないのだ。
想いのある人たちが集まっているから、いろんな主張が出てくるのが原因だ。

その上、私がみんなの意見を尊重してしまい、なかなか決めきれずにいたのだ。

それをまとめるのが、とにかくストレスでよく泣いた。

みんなは私を否定すると。

人目もはばからず泣いて、

おーつーは感情表現が豊かだね〜

と、よく言われたもんだ。

それは、公務員でも、フリーランスに転身しても変わらなかった。

自分なりに行動したのに、諌められる。否定される。指摘される。

クライアントさんに、仲間に。

なんで、みんな分かってくれないの!

と思って、勝手に怒って勝手に落ち込んでいた。

この落ち込みが厄介で、一回凹むとなかなか浮上できないのだ。そのたびに神社に行ったり、美味しいものを食べたりして浮上しようとするけど、心が整わなかった。

私の能力が劣っているからだ。私なんて必要とされていない。

そんな、やさぐれた意識さえ出てきた。

それ、被害者意識だよね。
諌められた。否定された。指摘された。
それは、おーつーさんの解釈だよ。

フォローしてくれたんじゃない?
より良いものを提示してくれたんじゃない?

そんなことをメンターに言われた。

そんなはずない!私はずっと頑張ってきた!
相手に貢献するために、できることをしていた!

そう主張しようと思ったけど。

……待てよ。

曲解してるの私じゃない?
図星でした。

あの発言、ただの確認だった。
あの言葉、ありがたいフォローだった。

現に、周りの方々は私を尊重してくれるし、認めてくれている。

結局のところ、頑張っていたのは人から認められたいだけだった。こんなに行動してるんだから褒めてよ。誰よりも動いたんだから、労ってよ。

そう人に要求していた。

これ、テイカーじゃん。

誰かに認められずとも、私は私を認めればいい。
誰かに労われなくても、私は私を労えばいい。

自分への矢印が少ないから、外からの評価で埋めようとしていた。そして、拍車をかけたのがネガティブに解釈して受け取る思考。

この考え方は、姉と勝手に比較して卑下していたときから来てるんじゃないか。。。

そう思い立ち、姉がこれまでしてくれた良いことを思い出した。

  • 小学生のころ、寝るときはいつも一緒に2階に上がってくれた

  • 同じ高校に進学したとき。寝坊が多い私を待って登校してくれた

  • 実家に暮らしていたとき。土日はいつも子どもたちと遊んでくれた

  • 子どもたちが幼稚園に入学するとき、バッグや袋を縫ってくれた

姉と比較して劣等感を感じていたけど、姉はこんなにも私を助けてくれていたし、仲良かったんだ。

姉から受けたネガティブな記憶は、特定の出来事だけだった。それ以上に多い思い出は、仲良くて、いつも笑って過ごしていたこと。

忘却の彼方から記憶が蘇ったら、泣けて泣けて。

お風呂の洗い場に置いた椅子に座りながら、心のままに声をあげて涙した。

おねえちゃん、ありがとう。
ずっと仲良くしてくれていたのに、私はずっとおねえちゃんに憧れて、劣等感を抱いていた。
そんなこと関係なく、ずっと私をサポートしてくれていたよね。
ごめんね。ありがとう。

また、否定された気持ちになり、凹むことはあるかもしれない。

けれど、そのたびに

本当に責められたか?
本当に否定されたのか?

自分の思考グセではないか、確認してみようと思う。

いつも私を見守り、サポートしてくれる方々。
勝手に思い違いをして、勝手に凹んでごめんなさい。

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おーつー(冨田裕子)
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