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母のダウンから気づいた、理想の母親像の手放し

娘から始まった胃腸炎。

その後、実家に帰省してから、息子→夫→私→弟→姉とループが続いたところで、ついに母に移ってしまった。


いつものごとく、母の部屋で執筆していたら、

「ひろこ、ご飯の準備を交換して!
お母さん、気持ちが悪くてできない!」

と、母が足早に部屋へと入ってきて、言いました。

「えっ?!」

驚いて、大慌てでパソコンを片付け。
だって、母はいつだって元気だったから。

母がほぼ仕上げてくれたご飯を盛り付けて、子どもたちに食べさせる。

いつも淡々と用意してくれたんだな。ありがたい。

さらに、家事についてテキパキと指示。
介護が必要な父にも、手早く指示出し
自分は体調不良なのに、なぜこんなにできるのだろう。。。

私だったら、あとはよろしくで寝ていただろう。

母はいつだってそうだ。

家族のために尽くす人。
感情は、自分の中に飲み込む。

別に評価を得ようとしない。
そして、泣き言やグチを言わない。
なるべくプラスの面を見ようとする。

私がグチグチと文句を言っても、違う視点からプラスに捉え直す。

達観していて、自己犠牲的。
でも、それが母の行動指針。

母が寝室に戻るまでの、ものの10分程度の出来事だったけど、いろいろな感情が押し寄せた。

そこで気づいた。

私にも、理想の母像が色濃く染みついていることを。

「母」なるもののイメージは、私の母から来ている。めちゃくちゃ高いハードルだ。
ベルリンの壁のごとく越えるのは難しい。

だから、こんなにも自分が苦しくなる。
母なのに、仕事に時間を割いていいのか?
子どものために尽くさなければいけないのでは?

母と同じようにできないようでは、自分に及第点を与えられない。

そう思い続けたことに、なぜかこのタイミングで気づけた。

本当の私は、自分のために時間を使いたい。
もっと仕事ができるようになりたい。
本音はそこを1番突き詰めたい。

けれど、母の姿に引っ張られて、どこかで罪悪感を抱いていた。

母なのに、子供を二の次にするなら、なぜ母になったの?

そんな誰も言ってこないことを勝手に自問自答してしまい、自分の首を締めている。

私にとっては子供も仕事も大切だ。
でも時には、がんばりたい時期があってもいいと思っている。

それを自分のために、芯から認めてあげたい。そして、私のなかの思い込みや思考を受け入れて感謝して、手放そう。

母とは違う、母親になることを決めよう。

それでいいんだと、自分を許そう。


母がダウンして、それでもそつなく動き、家族のために尽くす姿を見て気づいたこと。

私はずっと母に憧れて、追いかけ続けたんだ。
でも、道が違う。時代も、人も、考えも違う。

だから、私は母のような母にならない自分を許して、受け入れて、愛していきます。

それが、私の決意。
私の手放し。
私の理想の母像、ありがとう。ばいばい。

理想の母親像は手放すけど、母へのリスペクトは変わりません。

母、今までありがとう。
そして、これからもよろしくね。
早くよくなりますように。

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おーつー(冨田裕子)
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