治者たるにふさわしい教育(ソクラテスの教育法) 【クセノフォーン著「ソークラテースの思い出」】
これは、ソクラテスの言葉です。
この発言で注目すべきは、「刻苦勉励」「堅忍不抜」という部分でしょう。
それは、苦しみのレベルまで励み努め、忍耐力を堅固にし、初心を変えずに貫くことを意味しています。
どのようなことでも、「苦しみ」の域まで達していないと、努力したことにはならないと言っているのです。
ソクラテスは、国家を治める為政者というものは、衣食住の快楽に安住してはならないと主張します。
この主張が、後に「満足した豚であるより、飢えたソクラテスであれ」というJ・S・ミルの言葉につながるのかもしれません。
ソクラテスの主張に対して、弟子のアリスティッポスが反論します。
その反論を聞いて、ソクラテスは警告します。
いつの時代でも、「弱肉強食」は世の習いです。
政治の世界でも、ビジネスの世界でも、市民生活においても、それは変わりません。
同じ苦労をするのであれば、たとえどのような世界にいたとしても、ソクラテスが言うように「治者として刻苦精励し堅忍不抜の勉励」を実行する位の気概をもつべきでしょう。
治者のごとく、世のため人のために利他的な実践行動に生きる人生の方が、利己的に小市民のような人生を送るよりも、自分自身が満足し、他人からも賞讃を受けるような羨望の的になることができるでしょう。
これこそが、心豊かな生涯と言えるのかもしれません。
ケネディ大統領は、「国に対して何かしてもらうことを考えるよりも、国に対して何ができるかを考えてほしい」という演説をしました。
イギリスの上流階級では、子供の頃から、パブリックスクールで、「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」の精神を叩き込まれると言います。
これは、「高貴な者ほど、社会や国家に対する義務と奉仕が求められる」ことを意味しています。
自分のためだけに生きるのではなく、他者のためにも生きることこそが、高貴な精神性であり、尊い人間性と言えるでしょう。
教育の原点は、ここにあるのです。
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