早稲田の古文 夏期集中講座 第8回 元弘の乱 「源具行(みなもとのともゆき)」
早稲田の教育学部で2018年、「増鏡」が出題されています。元弘の乱(1331年)後、鎌倉へ連行される源具行(みなもとのともゆき)を書いたものです。
「増鏡」は歴史物語ですから時代が特定できれば読解は楽になります。鎌倉幕府滅亡が、1333年ですから、幕府滅亡寸前の頃です。更に読解は楽になります。
本文を見ると「隠岐の御送り」とか「島守」という言葉から、後鳥羽上皇か御醍醐天皇であることは明らかです。鎌倉幕府滅亡寸前ですから御醍醐天皇であると断定できます。
「隠岐の御送り」だけでなく、「御道すがら」「御心」「めでたうおはしましし御事」「御有様」といった敬語が集中したパラグラフは全て御醍醐天皇の事を言っているとわかります。問17で「あまりたる御有様」について問う問題で御醍醐天皇と確定できれば、選択肢は㋑「帝のすぐれた器量」か㊁「帝へのひどすぎる処罰」のどちらかに絞られます。
更にパラグラフ全体のイメージが肯定的か否定的かで確定できいます。「何事も昔にお呼びめでたうおはしまし御事にて」とかつのどやかにて、溝(みぞ)など、所につけてことそぎ」といったプラスイメージの肯定的文脈であることから、御醍醐天皇治世のはなやかだった古き昔の思い出話で酒盛りをして盛り上がっていたのだろうと想像がつきます。
従って答は㋑の「帝のすぐれた器量」が正解となります。次に、主人公である源具行がどんな人か探ると、つかくたけき(猛き)家に生まれて、弓矢とるわざにしとあることから武士である、とわかります。
どんな境遇にあるかということも、御醍醐天皇が隠岐へ流される訳ですからよかろうはずもありません。おそらく処罰されるでしょうが、どの程度かということが問題となります。
こういうことは最後で判断すべきです。「消えかかる露の命のはては見つ」とか「いまはの際も」という言葉から、恐らく死刑になったのでしょう。
問十六の、何をほのめかすか、という問についても㋭の具行が近く死罪になるであることを選らばないといけません。傍線5の「まほならねどほのめかすように」という所だけで判断してはならないのです。
文は常に最後に大事なことが書いています。「後ろから前へ」というのが読解の鉄則です。最後の結論から判断しないと㊁の具行が近く流罪になるであろうこと、を選んでしまうかもしれないのです。問十八の「つひに逃るまじき道」は、中世の無常観の時代認識で判断できるかが鍵となります。人はいずれは死ぬものだという認識からすれば㋩の「結局人は死ななければならないという点では、どうあっても同じことで」というのが正解となります。
問二十一も、今はの際に武士らしく逍遥と死を受け入れて潔く死んだであろう、という推理から㋺の「ひどく見苦しいということもなく」が正解となります。時代精神の外部構造で人の心の内部までわかる典型です。